第三十八話 国営放送、いただきます
東京への再突入。総勢十三台の自動車によるパレードの隊列が、人間を捕食済みの小ホイホイが漂う摩天楼へと突撃していく。
「ハーイこちらくろりんです。ビルの谷間に浮かぶ大量のちっちゃいホイホイは、なんかSF映画でよく見るシーンを想像しますねー」
くろりんちゃんがラジオリポートをしながらホイホイの群れの中を通過し続ける。昨日は嘔吐するほどに参った光景だが、今は逆にその世界に反発するように明るくお喋りしている。
その元気の素になるのが、隣にピッタリ寄り添って機材をヒザに乗せ、彼女にマイクを向けているヒカル君と、前後の車両から頭や腕を出して手を振っている爺さん達の存在だ。彼らはくろりんちゃんの生リポートに歓喜の声を上げては、私に「前見て運転して」とか、松波さんに”声入らないからちょっとトーン押さえて、ただでさえ車の音やかましいんだから” などとツッコまれているが、正直あまり効果はない。
まぁそれも、彼女の恐怖心を取り除けているなら結果オーライだろう。
「あ、こっちの窓でドラゴンと戦っている勇者さんいますよー、こっちではカジノでスロットマシーンから出て来たコインに生き埋めになっている人もいます」
走りながら彼女は何と、ホイホイの中の人たちの醜態、狂態までリポしている。さすがに性交や乱交している画面はスルーしているみたいだが、すっかりリポーターとしてのスイッチが入ってるみたいだな。
「あ、あれ? 今なんか……」
”どうしました?”
そんな彼女が、ちょっと歯切れの悪い言葉を発する。通り過ぎた小ウィンドウを目で追って気にしている。あのホイホイに何が?
「あ、いえ。なんか砂嵐映像が見えた気がして……」
その言葉に私は「えっ?」とっ心で呟いた。この『にんげんホイホイ』は、その人が入らずにいる間は、他人から見たら砂嵐映像に見えている。だが入ってしまうと小さくなったウィンドウの中で、欲望の世界を赤裸々に他人に晒してしまうことになるのだが、そうなった人でも砂嵐映像が見えるケースがある、のか?
「おー、ワシも見た事あるでな」
後ろを走る老人がそう声を上げると、ラジオの向こうの日本各地から次々と報告が届く。
”あー、私も地元でひとつ見つけました”
”ウチの隣のビルでも見たよー”
”富士山頂でもひとつだけ、砂嵐映像ありましたよ”
「どういう事なんでしょうか」
くろりんちゃんの質問に、各地から様々な見解が寄せられる。
”中でおっ死んでしまったんちがう?”
”あん中で死ねるんかいな”
”恥ずかしがり屋さんが、自分の姿を見えないようにしたんじゃ……”
”だったらみんなやってるだろ、エロい世界に行った人は特に”
”ですよねー”
確かに妙な話だ。確かに中に入った人が死んでしまったら、もう映像を流す必要は無いだろう。だが、何でも欲望が叶うあの中で、果たして死ねるのだろうか。
以前徳島で、火事の真っただ中でもあのウィンドウの中では平然と健康に過ごしている人を見かけた。また、今日一緒にいるお爺さんたちの中には、奥さんがホイホイされた後、若返って青春をやり直している映像も見たそうだ。その爺さんには可哀想な映像だったが、いずれにしても寿命で死ぬと言う事も無いだろう。ましてこの短期間で。
”きっとあの中で宇宙人の存在に気付いて、反撃をもくろんでいる人たちがいるのよ。それを拡散しないために宇宙人が砂嵐映像に……”
例によっての羽田さんの宇宙人説に、全員が心の中で「なんでやねん」とツッコミを入れる。そもそもあの中に入ってやりたい放題の世界に居る人が、あえてこのホイホイの仕掛け人に反発する意味がない。
いや、待てよ。このホイホイは……
心の奥に何かわずかな引っかかりを感じて、運転しながら思考を回転させる。
宇宙人にしろ地球の意思にしろ、このホイホイは人間を捕食したがっているはずだ。だからこそその人が望む世界をエサにしているんだろう。
だったら、もし、中に入っている人が楽しんでいないとしたら……その映像を現実の世界に、こっちにいる人間い見せたくはないんじゃないのか?
――この中は、新しい事を経験できない引きこもりの世界、いずれ飽きる――
私自身の見解を改めて思い出す。そう、それに気付いてホイホイの中に飽き、元の世界に戻りたいと嘆いている人の映像がこっちから見えたら、ホイホイの仕掛け人にとって不都合なんじゃ……
「さぁ、見えてきました。NHKt放送センタービルです!」
くろりんちゃんの言葉で思考を中断する。そうだ、今はとにかくこのバルサンラジオを国営放送の電波に乗せる事が最優先だ。そうなればいよいよ全国に、そして世界に放送を、生き残っている人の息吹を伝えることが出来る。
それはホイホイの誘惑に耐えて現世に留まっている人にとって、どれほどの勇気と希望になる事か!
そして、そんな世界中のネットワークが実現すれば、必ずこのホイホイの正体を暴き、中に囚われた人を解放する手段が見えてくるはずだ。私の大切な妻と娘を、あの中から解放するその日が、いつかきっと来る!
さぁ、待っていろ国営放送。今まで払った受信料の分も働いてもらうからな! いただくぞ、その電波を!
◇ ◇ ◇
「もう……もう嫌だァーっ! こんな世界もうたくさんだーーーーっ!!」
気が変になりそうだ。何でも自分の思い通りになる、美女を望めば大挙して裸で現れ、栄光を望めば世界一のストライカーになっている。腹が減った気がしたら超高級ワインとフルコース料理が現れ、闘志が高まれば世界タイトルマッチのリングにいて、相手はいい様に殴られてKOされてくれる。
何なんだ、何なんだ、何なんだこの世界は!
何もかもが思い通りになる。出来ない事なんて無い、そして、それ以上の事は何も起こらない。
フルコースの料理もワインも、私が普段飲み食いしている定食+千円ワインと大して変わらない味じゃないか。私がワールドカップでゴールを決めた所で、相手のレベルが高校生の地区予選どまり程度の、私の知っている力量しか無いじゃないか!
嘘っぱちだ、全部私の妄想じゃないか! こんな世界は!!
「出せ、出してくれ! こんな世界はもう沢山だ!!」
あれほど憎んでいた前の世界が、ストレスと不満と不快と諦めに満ちていた世界が、あんなにも広い世界である事にどうして気付けなかったんだ。
どうして、戻れないと分かっていたのに、こんな世界に来てしまったんだ!!
戻りたい、戻りたい、戻りたい、戻りたい、戻りたい!
そうだ、あのウィンドウ。あれを潜ってこっちの世界に来たんじゃないか。あれを探してくぐれば元の世界に……
そう思った時、私の前にスマホの画面ほどの窓が音もなく開いた。そうだ、このウィンドウだ、私はこれをくぐってこの世界に来た! 戻るんだ、この窓を再びくぐって……
ふと、窓の向こうの光景が見えた。なんか暴走族のパレードみたいなのが行われている中、真ん中あたりを走っているキャデラックのイスに腰かけて、マイクを向けられてしゃべっている女の子がいる。
そう、私の知らない世界だ、私の想像や記憶にない世界だ!
「た、助けて、たすけてくれ……」
小さな窓にすがりついて、映っている少女に懇願する。と、その少女と目が合った気がした。
―ザッ―
その瞬間、私の目の前のウィンドウから映像が掻き消え、砂嵐の画面のみが残った――