三十話 変わるもの、変わらないもの(1)
「大丈夫、怖がらなくていい。ここは誰も君を傷つけないよ」
「うう……」
――ああ、またこの夢か。
朱色の柱が幾重にも建つ広い空間で、長い銀髪に藤色の道服の男性が、俯く小さな女の子の前にしゃがみ込んでいる。
この二人が誰なのか、もう今のわたしにはハッキリと分かっていた。
「……死んだ人の場所ってことは、あなたは死神さんなの?」
泣いたせいで目元が赤い小さな女の子は当然〝わたし〟で、そんなわたしの問いに困ったように眉を下げるこの銀髪の男性は――。
「死神……。確かに死を司る神としては当たらずとも遠からずだね。私は〝閻魔〟と、人には呼ばれている神なんだよ」
「えんま……? え、閻魔様?? じゃあわたしの舌を引っこ抜くの!?」
あわあわと小さいわたしが自分の口を両手で塞ぐと、閻魔様は面白そうにクスクス笑った。
「ああ、現世ではそのように私のことを伝えられているんだったな。だが私は人間の舌を抜く真似はしないよ。そもそも君は舌を抜かれるような悪いことをしていないだろ? ……〝桃花〟」
「どうして、わたしの名前……。神様だから?」
戸惑うように小さいわたしは閻魔様を見て、しかしややあってプルプルと首を横に振った。
「ううん。……わたし、悪い子なの」
「ん?」
「いつもお家に一人だから、寂しくっていっぱいお父さんとお母さんにワガママ言ったの。〝早く帰って来て〟って」
「…………」
「だからお父さんもお母さんも怒ってるの。お家に帰って来ないの」
一度落ち着いた涙がまたポロポロと小さいわたしから零れる。
「……泣くな、桃花」
「……お父さんとお母さんはお仕事を頑張ってるの。だからもう……お腹が空いても、怖くても、寂しくても……、もう来てはくれないの……。わたしが……、ワガママを言うような悪い子だから」
「桃花」
ごしごしと溢れる涙を手で拭っていると、小さな体がぎゅっと温もりに包まれて、わたしは目を見開く。
「桃花は悪い子じゃない。それは人間の行いを全て見通す、私が保証しよう」
「ほしょう? えへへ……。閻魔様の手は、あったかいね」
抱きしめられたままポンポンと頭を撫でられて、わたしは気持ちよさにうっとりと目を閉じる。
「……桃花は撫でられるのが好きなのかい?」
「うん、好き。お父さんとお母さんがお家にいる時、いっぱい撫でてくれて、いっぱい幸せだったから」
「そうかい」
「……?」
先ほどまでの優しいものと違い、なんだか素っ気ない返答。
そこに寂しさようなものを感じて、閻魔様の胸にぺったりとつけていた顔を上げて覗き込むと、閻魔様もわたしと同じ顔をしてることに気づいた。
「――……」
わたしは、導かれるように閻魔様に手を伸ばす。
「ん? なんだい?」
「あのね……」
それに気づいて小首を傾げる閻魔様に少し照れ臭くてモジモジした後、わたしは閻魔様の銀髪をそっと撫でた。
「いい子、いい子」
「ふっ……、どうして私を撫でるんだい?」
わたしの行動に閻魔様は一瞬虚を突かれたような表情をしたが、やがてクスクスと優しく笑う。
そんな閻魔様に、わたしは「だって……」と呟いた。
「閻魔様もわたしと同じ顔してるんだもん」
「――え?」
閻魔様の笑い声が途切れる。
それに構わずわたしは言葉を続けた。
「閻魔様も寂しいんでしょ?」
◇◆◇◆◇
「――――!?」
朝日が窓から射しこむ早朝、またもわたしは勢いよくベッドから跳ね起きた。
「……え? このパターン、もう何回目??」
自分で自分をつっこみつつ、とりあえず念の為辺りを確かめるが、やはりなんてことはない、ここは宮殿にあるわたしの部屋だ。
「ううっ……、頭いた……」
まるでジェットコースターに乗って頭を揺さぶられた後のような嫌な感覚。とりあえずベッド横のサイドテーブルに置いておいた水差しから湯呑に水を注ぎ、一気に飲み干して一息ついた。
「はぁー、あの夢……。子どものわたしと一緒にいたのは、やっぱり閻魔様だった……」
〝単なる夢が都合よく見せたまやかし〟……じゃない。
体が、感覚が覚えてる。
あれはわたしが実際に体験した過去の出来事だって。
漠然とした確信はあったが、やっぱりわたしは幼い頃にこの冥土に来て、閻魔様と会っていたのだ。
「……けど小さいわたしも言ってたけど、冥土って死者しか行けないわよね……?」
夢に出てきた場所は、わたしも最初にいた冥土の裁判所だった。
つまりわたしは、冥土に来るのが今回で二度目ということ。
「だとしたら、今のわたしって一体なんなのかしら……?」
こういう時、もっと自分が何者なのかと恐怖を感じてもいい筈だ。それこそ最初にここに来た時はそうだった。
だけど不思議と今は、わたしの心は落ち着いていた。
『大丈夫、怖がらなくていい。ここは誰も君を傷つけないよ』
頭にそっと触れ、わたしは微笑む。
焦らずとも間もなくわたしは全てを知る。
でもその時は、閻魔様も茜も葵も側にいる。
「――うん、大丈夫」
わたしは一人じゃない。
もう、寂しくなんかないよ。




