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翌日、遅くに目が覚めて、顔を洗い、コーヒーを飲み、昨夜のことについて考えてみた。ひとつの可能性には賭けてみる価値があると思った。あの二人の刑事が俺と同じように考えているとしたら、どこかでばったり会って少し説明をしなければいけなくなるようなこともあると思うが。万が一のために、まりには自分の依頼で探偵の真似事をしてもらっている、と一筆もらっていた。それにどれだけの効果があるか判らないが。
昨夜話を聞いているうちに、もしかしたら加害者が始めは被害者だったのではないか、と思った。つまり、被害妄想が高じた笠置が、どこかのタイミングで誰かに襲い掛かったが失敗し、逃げようとして背後から殴られた…なんていうのはどうだろう、と。しかし、こんな可能性について刑事が考えないわけがない、とも思った。だけど、犯人の目星については、どうだろう?あのバーは俺の仕事場からの帰り道にある。つまりそれは、オフィスビルからの帰り道でもある。笠置の家、実際はまりの家だが、それは俺の家をもう少し先へと歩いたところにある。仮に、あの夜笠置に関わった人間が、オフィス街で仕事をしたあと、帰路につく人間だったとしたら…?車の人間は除外していいだろう。もしも車を無理に止めるような状況がそこにあったとしたら、現場にはタイヤ痕やらなんやら残るはずだ。それなら一発だ。俺なんか出る幕はない。同じ理由でバイクも除外していい。オフィス街からまりの家までのライン上で、例えばどこかに怪我をしている人間が通るかどうか、チェックしてみるのはどうだろう?もちろんこれは、現場がバーの近くだと仮定してのことだが…後頭部がへこんだ状態でそんなに長い距離を歩けるとは思わない。とりあえずその仮定にそって進めてみるべきだろう。それなら平日だけで、店を閉める時間を少し早くすればいい。店の中で帳簿をつけたり、窓ガラスを拭いている振りでもしていれば、誰にも怪しまれることなく表通りを眺めることも出来るだろう。そんなに広い店じゃないし、そんなに広い道でもない。もともと昼をターゲットにしている店だから、早めに閉めたところでそれほどダメージになるわけでもない。むしろ、光熱費なんかが少し浮くかもしれない。やってみる価値はある。それっぽい人間を見つけたら、ちょっとあとをつけてみてもいい。
そこまで考えて、名案を思いついた。ひとつかふたつ、新メニューを考えればいい。ハナから売り上げが目的ではないから、少々奇抜なものでもいい。もちろん、食べられるものにするが。そして、それを宣伝するビラを作って、帰宅ラッシュの時間に店の近くで配ってみればいい。怪しまれることもないし、問題のライン上にいる人間をつぶさに観察出来る―そうなると、俺のやるべきことはひとつだった。いまから店に出て、新メニューの開発に勤しむことだ。殺人事件の犯人を捜すために、ピザの新メニューを作る。こんなことは警察には絶対に考え付かないアイデアだ。服を着替え、家と店の鍵を手に取ると、急いで外に出た。
店の中にあるもので作れるものはたかがしれていた。そもそもありきたりのものを作るための材料しか揃えてはいないのだ。買物に出る必要がある、と俺は思った。ピザにこだわらなくてもいいのだ。ここがピザ屋になる前は他のものも作っていたので、きちんとコンロだってある。例えばパスタを作ろうと決めれば、週明けには出すことも出来るだろう。
パスタか。
ピザ屋でパスタが出るんなら自然だな。昔レストランでアルバイトをしていたので、だいたいの作り方は判る。手の込んだものはしなくていい。ナポリタンだの、カルボナーラだの、ありきたりのものが用意出来ればいい。奇抜なピザを作るよりも集客も望める。ランチタイムに力を入れる方向になったということにすれば、営業時間が変わることも不自然じゃない―決まりだな。とりあえず必要と思われるものを書き出してまとめ、買物に出た。おかしな気分だった。目的に向かって動いているはずなのに、まるで的外れなことをしているような気分だった。でもとりあえず、他に何をすればいいというのだ?
その日の夜にはメニューはまとまった。キッチンを片付けて、フライヤーの製作に移った。そんなに凝ったものでなくていい。必要事項だけを書いてどこかでたくさんコピーするくらいで。原版はすぐに出来た。あとはこれを明日どこかで大量にコピーすればいい。カウンターに原版を置いて、店を片付けて電気を消し、戸締りをして外に出た。あっという間の一日だったな、と思った。こんなに働いたのは久しぶりだった。妙な爽快感と、どこか居心地の悪い思いが複雑に入り混じっていた。それは、まるでいままでに経験したことのない状況にいるせいだと思った。それも、一人の男の死が絡んでいるのだ。楽しむわけにもいかないし、なにもしないわけにもいかない。最終的にそんな気分はちょっとしたいらつきに落ち着いた。
くそ。