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翌朝早く、俺がベッドから転がり落ちるまでベルを鳴らし続けたのは二人の刑事だった。一人は背が高く、たいていの人間はたらしこめそうな顔をした色男で、もう一人は、多少小柄ではあるものの身長と横幅が同じなのではないかと思えるような圧力のある男だった。二人とも俺と同じくらいか、もう少し年上らしかった。石井と小野田、と二人は名乗った。口を開くのは主に石井の方だった。
「心当たりはありますか?」
ひとつだけある、と俺は答えた。
「昨夜のことだよね、バーで椅子から転げ落ちた…。」
俺がすべてを言い終わらないうちに石井が頷いた。
「そのことで、少し聞いてほしい話があるんです。」
石井はあくまで礼儀正しく努めていたが、目の奥の光は明らかにこちらを値踏みしていた。例えば、殺人を犯すことが出来る男だろうか、なんていうことを。小野田の方は、何も考えていないように見えたが、きちんと、横をすり抜けて逃げられたりしないように、石井の身体だけでは隠しきれない玄関口を完全にガードしていた。刑事というのは人に嫌われるんだろうな、そんな彼らを見ているとそう思わずには居られなかった。
長くなりそうですか?と俺は尋ねた。ある程度は、と石井が言った。俺は二人をキッチンに上げて食卓の椅子に座らせ、顔を洗ってくるから少し待っててくれ、と言った。ウィンクしながら、大丈夫、逃げたりしないよ、と付け加えようかと思ったが、話がさらに長くなりそうな気がして、止めた。
顔を拭きながら、コーヒーが飲みたいなと思った。キッチンに戻って刑事たちにも飲まないかと尋ねてみた。
「インスタントだけどね。」
二人は顔を見合わせて少し考えたが、意外なことに貰おうか、と答えた。俺は頷いて三人分を入れた。三人ともブラックだった。ありがたい、と一口啜って石井は言った。
「夜勤明けなものでね。こういうのが欲しくて仕方がなかった。」
小野田も妙に神妙な顔をして頷いた。全員が寝ぼけた頭を覚ましたところで、ようやく話は本題に入った。
「まず質問させてください。確認しておきたいので。」
俺は頷いた。俺の名前、年齢、仕事などの質問が一通り終わると、事件の概要が話された。
「それで、結論ですが、我々はこれを殺人事件として捜査することになりました。」
「なぜ?」
「彼の後頭部は、二度陥没しているんです。というか、一度目の陥没の後、転落の際に同じ場所に衝撃がかかったことが致命傷になった。」
石井はそう言いながら俺の顔を見た。俺が何も言わないので、話を続けた。
「彼はあのバーでカウンターに突っ伏しているとき、すでに出血していたようなんですよ―気付きませんでしたか?」
まるで気付かなかった、と俺は言った。
「店の中は薄暗かったし、あの男は嫌な感じに酔っていたので、あまりそっちを見ないようにしていた。そもそもあの店には雨宿りのために入ったんで、飲みながら窓の外を見ていたんだ。」
「酔っているのではなく、身体に変調をきたしているのでは、思うようなことはありませんでしたか?例えば、頭痛をうったえたりとか。」
なかった、と俺は答えた。
「終始カウンターに突っ伏して、左右に揺れていた。独り言を喋っていた。呂律があまり回っていなくて、内容は俺の席からはよく聞こえなかったが、マスターの話じゃ女に捨てられて恨み言を言っていたということだった。」
石井は頷いた。
「ひとつ質問させて欲しい。後頭部が陥没していたということだけど…そんな状態になった人間が、バーで何時間も酒を飲んでいたり出来るものなのだろうか?」
なくはない、と石井は答えた。
「私らより、交通課の人間の方がそういう話はたくさん知ってますがね。事故で頭から落ちたのに、その場で立ち上がって、なんでもないと言いながら歩いて帰宅して、翌朝突然死んだりとかね…そういう話はまれにあるようです。」
「殺人事件ということは、殴られた傷ということだよね。」
ええ、と石井は言った。
「ハンマーの痕ですね。ホームセンターなんかで購入出来る一般的なものです。」
「もう一個だけいいかな。あのバーに居たのが俺だとどうして判った?」
「マスターが新規のお客様ということで名前を聞いた、と言ってましたよ。」
そうだったかな、と俺は考えてみたが、そのことについてはまるで思い出せなかった。正直にそう話した。石井は、にっこりと笑って頷いた。そして、今後の展開しだいではまたお話を伺うこともあるかもしれません、と言い、コーヒーの礼を言って帰っていった。滅多にない週末の朝だ、三人分のマグカップを洗いながら俺は顔をしかめた。窓の外はよく晴れていたが、散歩に出る気はしなかった。後ろからハンマーで殴られたりしたら、たまらないしな。