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大半の人が憂鬱に感じるだろう、月曜日。
羊花は大変、疲れていた。
原因は言わずもがな。『Zoo』の連中のせいである。
自堕落に過ごそうと決めていた金曜日の放課後は、溜まり場へと強制連行されて潰れた。
親が心配しない時間に帰す代わりにと翌日の約束を取り付けられ、土曜日も潰れた。
流石に日曜日は勘弁してくれと、羊花は涙目で懇願した。買ったばかりの小説を読みたいんだと、必死に訴えたら、蛇男こと紫倉の援護があり、どうにか許された……かに思えた。
羊花は大事な新刊を抱えたまま、溜まり場ではなく、だだっ広いマンションの一室に連行された。黒崎の部屋らしい場所で、思う存分読書しろと言われた。そうじゃないと噛み付く勇気を持たない羊花は、全く落ち着けない豪華なソファの上で読書した。ちなみに、内容はいっこも頭に入らなかった。
「どうしたの、羊花。元気ないわね」
教室の窓際、一番後ろ。ベストポジションに位置する自分の席で、机に頬を押し付け、ぐったりとしている羊花に声がかかる。
顔を上げずに視線だけで確認すると、前の席に座っているのは羊花の友人だった。石動 萌絵は、色白な美少女で、小学校時代から付き合いのある幼馴染でもある。
「週末にゆっくり出来なくて、ちょっとしんどい」
「自堕落なアンタが珍しい。家の用事?」
「ううん。最近知り合った人達に、なんか連れ回されて……」
ぐったりとした羊花が答えると、萌絵は柳眉を顰める。
「なにそれ、大丈夫なの? アンタまた、ヤバいのに目をつけられたとか」
「またってなに? 私、そんな経験ないんだけど」
萌絵の言葉に羊花は首を傾げた。
「え、いや。まぁ、そうよね、うん」
萌絵はなにやら言い淀む。しまったと言わんばかりの顔をしたのが気にかかったが、羊花は敢えて触れなかった。
萌絵は頑固なので、言わないと決めたら絶対に口を割らないと知っていたから。
「それよりも! どうなの、なんかヤバい人達に絡まれてるの?」
強引に話の軌道を元に戻し、萌絵は詰め寄った。
ずいと顔を寄せられた羊花は、アップに耐え得る美少女のきめ細かさに感動を覚えつつも、考えた。
(ヤバい人達といえばそうなんだけど、特に何かされた訳じゃないんだよね)
溜まり場に連行されはしたものの、それだけ。浅黄に構われながら、黒崎お手製の料理やお菓子を振舞われた。ちなみにバスクチーズケーキは絶品だった。
紫倉だけでなく、何人かのメンバーに遭遇したけれど、羊花が嫌な思いをする事はなかった。珍獣扱いはされても、そこに悪意は感じない。貶める言葉や蔑む目は、一度も向けられなかった。
「悪い人ではない、と思う」
(美味しいものくれるし)
下心を多分に含んだフォローを、羊花は考えながら口にした。
萌絵のじとりとした視線が、即座に飛んでくる。
「食欲に負けての言葉じゃないでしょうね、ソレ」
ギクリと羊花は顔を強張らせた。正直過ぎる反応に答えを得て、萌絵は大きな溜息を吐く。
「アンタももう年頃の女の子なんだから、危機感を持ちなさいよ。何かあってからじゃ遅いのよ?」
「そういう心配はいらないと思うんだけどなぁ……」
羊花は『Zoo』のメンバーの反応を思い出しながら、呟いた。
黒崎や浅黄の接触には、色めいたものが欠片もない。他の構成員の反応も、二人のどちらかの彼女への扱いという感じではなく、良く言って妹、悪く言うとペットが一番近い。
彼等は多少強引でも、羊花から何かを奪ったり、求めたりはしない。
毒にも薬にもならない関係性を、羊花は拒み切れずにいた。
(まぁ、どうせそのうち飽きるしね)
「私は、そういう話とは無縁だよ」
「またそんな事言って。アンタは可愛いわよ」
萌絵の言葉を、羊花は笑って誤魔化した。
萌絵は日本人形のように美しい少女だ。癖のない細い髪は、今でこそアッシュブラウンに染められているが、本来は鴉の濡れ羽色。きゅっと目尻の吊り上がった大きな目も、濁りのない黒で、肌は新雪の如く白い。体つきは小柄で細身。
幼い頃から男の子の憧れの的で、学校の男子の半分以上は萌絵が好きなのでは、とさえ言われていた。
ただそれが本人にとって良い事だったとは言い難い。染めた明るい髪色や、きつめのメイクも、おそらく彼女にとっては男避けの武装なんだろう。
「その顔は信じてないわね?」
「あはは……」
羊花は自分が、萌絵のように華やかな容姿でない事は知っている。地味で平凡で、モブ顔。でもそんな自分の顔に満足していた。
「羊花、アンタは」
「もーえ」
更に何かを言おうとした萌絵の声に、別の声が被さる。
苛立たしげにその方向を睨んだ萌絵に倣い、そちらを見た。
教室の後方にある出入り口に、背の高い男が立っている。
つんつんと跳ねた赤毛に、浅黒い肌。凛々しい眉の下、くっきり二重の大きな目は明るい茶色。口も大きく、体つきも大柄。人懐っこい笑顔を浮かべる彼は、雑種の大型犬を彷彿とさせた。
ずかずかと教室の中へと入ってきた男は、萌絵に向かって手を差し出す。
「萌絵、辞書貸して」
「またなの!? アンタ、毎日どれだけ忘れ物すれば気が済むのよ!」
舌打ちをした萌絵に睨まれても、男は欠片も怯む様子を見せない。
ぷんすか怒りながらも辞書を取り出している萌絵を、にこにこと眺めている。
図太いこの男の名は、鱒渕 透。
萌絵の幼馴染であり、羊花の小学校時代の同級生でもある。コミュ力が高いので、羊花の事も名前呼びをするが、さほど仲良くはない。向こうも萌絵の友達、という程度の認識だろう。
これからもその薄っぺらい関係性のまま、やがてフェードアウトしたい。
そう羊花が思うのには、理由があった。
鱒渕 透が、漫画の主人公だからだ。
羊花が前世で好きだったヤンキー漫画で、黒崎達に憧れる正義漢の主役。それが今、目の前にいる。
(確かに、誰かに似ているなぁとは何度か思ったんだよね)
幼いながらも顔立ちは面影があったし、性格も真っ直ぐでちょっと馬鹿。人懐っこいところもそのままだったのに、気付かなかったのには訳がある。
単純で明解な理由。苗字が違った。
鱒渕は去年辺りまで、別の苗字だった。
噂では小学校に上がる前に両親が離婚し、そしてつい最近、復縁したらしい。羊花の同級生だった頃は、母親の姓を名乗っていた。
幼馴染である萌絵は漫画にも出ていたし、名前もそのままだったけれど、性格も容姿もまるで違う。
大人しく嫋やかで、容姿は正に大和撫子。モテ過ぎた弊害か男性恐怖症で、更に同性にもイジメを受けていた時期があり、人間不信。不登校気味で、主人公はいつも彼女を心配していた。
ダブルヒロインの一人で、人気も高かった記憶がある。
(私は今の萌絵ちゃんの方が、好きだけど)
怒りっぽくて、面倒見の良い萌絵は、押し付けるように辞書を鱒渕へと渡した。
「次はないからね。今度は別の人に借りて」
「ごめんて。お礼に何か奢るから」
「いらない。さっさと帰れ」
機嫌を取ろうと必死な鱒渕を、萌絵は素気無く突き放す。
漫画とは違い、その態度に好意のようなものは一切含まれていなそうだ。照れでツンケンしていると言った感じでもないなと、羊花は首を捻る。
漫画の萌絵は鱒渕に恋をしていたけれど、現実は違うらしい。
「透くーん」
二人の遣り取りを眺めていると、可愛らしい声が鱒渕を呼ぶ。
一斉に声の方を向くと、扉からひょっこりと教室の中を覗き込んでいる女の子がいた。
鱒渕のところへ駆け寄ってきた彼女は、彼の手に腕を絡める。
「ここにいたんだ。授業始まっちゃうから、早く帰ろ?」
満面の笑みは、同性でも見惚れる程に可愛らしい。
健康的に焼けた小麦色の肌に、きらきらと輝く大きな目。高く結い上げた髪は明るい茶色で、毛先は金に近い。水泳部で色素が抜けたというエピソードが、羊花の頭を過った。
手足はきゅっと引き締まっているが、胸はむっちりと肉感的。
萌絵との差別化を図ったかのような、運動部系美少女。ダブルヒロインの一人で、主人公にほのかな好意を寄せるクラスメイト。
(名前は確か……)
「篠木」
鱒渕は少し困ったように眉を寄せ、さりげなく彼女の腕を外す。
篠木 咲良は、それが不満だったのか、今度は手に指を絡めて引いた。
「ほら、行こう?」
強引な篠木に、鱒渕は大きな溜息を吐く。
引っ張られながらも振り返った彼は、萌絵と私を見た。
「萌絵、また来る。羊花ちゃんも、騒がしくしてゴメンね」
賑やかに退場して行った二人を見て、萌絵は不愉快そうに顔を歪める。
「二度と来なくていいのに」
羊花もその言葉に同感だ。
鱒渕の傍にいれば、自然とトラブルに巻き込まれる可能性が高い。
それにヒロインの一人である萌絵が、巻き込まれて危険な目に遭うのは嫌だった。羊花は萌絵が大事なので、彼女の恋の邪魔はしたくないが、そうでないなら引き離す気満々だ。
うんうん、と頷くと、萌絵は意外そうに目を丸くした。
「アンタがそんな反応するの珍しいわね。鱒渕の事、嫌いだったっけ?」
「んー……嫌いじゃないけど。でも、萌絵ちゃん取られるからヤダ」
「!」
萌絵の頬に、ぱっと朱が散る。
嬉しそうに目を細めた彼女は、羊花の頭をそっと撫でた。
「私もアンタがいればいいわ」
誰も割って入れない空気を醸し出す二人を、男子が拝みながら見守っている事に、羊花は気付かなかった。
もっとも『百合尊い』という言葉を聞いたとしても、羊花は全くピンとこなかっただろうけど。




