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 振り返った黒崎は、信じられない、と言いたげな表情で羊花を見つめた。


 たった一言で、記憶を取り戻したのだと伝わったのだろう。

 普段は鋭い眼光を放つ目が大きく見開かれている。形の良い唇が戦慄くように動き、音も無く「ひつじ」と紡いだ。


 十メートル程度の距離を保ったまま、どちらも動きを止める。

 通りには大勢の人間が行き交っているのに、そこだけ音が消えたかのようだ。


 噛み締めるようにもう一度、羊花は「シロくん」と呼ぶ。

 さして大きくなかった声は喧噪に紛れる事なく届いたのか、黒崎はくしゃりと顔を歪めた。泣く寸前の、子供みたいな顔だった。


 ふらりと羊花の方へと、引き寄せられるように踏み出す。

 けれど、そこでまた止まってしまった。縮まった距離は、たったの一歩。


 黒崎はまた厳しい顔付きに戻り、唇を引き結ぶ。

 どれ程の忍耐力がそうさせるのか、黒崎の決心は変わらない。羊花が揺らがせたのは、ほんの少しだけ。


 きっとまた、何事もなかったような顔で立ち去るのだろう。

 今度こそ、何があっても振り返らない。


 誰にも理解されずとも、羊花自身が望まなくても。

 黒崎は黒崎の信念に基づき、羊花とは違う道を進もうとする。


(でも、そんなの想定済みだから)


 しかし羊花はめげない。新生バージョンの羊花はそれくらいで心折れる程、ヤワではないのだから。


 記憶を取り戻す前の臆病な羊花ではなく、幼い頃の無知な羊花でもなく、恐れを知りながらも乗り越えた今の彼女にしか、出来ない事がある。


 黒崎が動き出す間も与えず、羊花は再び大きく息を吸い込む。


「黒崎司狼くん!」


 衆目を集める意図で、声を張り上げた。

 黒崎だけでなく、隣の浅黄も面食らったような顔をしている。何をする気なのかと、どちらも戸惑っている様子だった。


 目立つのが嫌いで、極力、気配を消そうとする彼女らしからぬ行動に驚き、次に何をしでかすのかが読めなくて困っている。

 これからもっと驚かせて、困らせる。分かっているから羊花は、心の中で『ごめんね』と謝った。


 でも申し訳ない以上に、楽しくなってしまった。

 もっと困ればいい。離れようなんて考えられないくらい、もっともっと、振り回してしまえばいい。


「貴方が好きです! 私と付き合ってください!」


 ザワッと大衆がどよめく。

 好奇と驚きの目が、羊花に集まった。たぶん敵意も混ざっているが、開き直った羊花にダメージはない。


 学校一どころか、周辺一帯で断トツに人気の高い男に告白するんだから、そのくらいの覚悟は出来ている。


 そして肝心の黒崎といえば、呆気にとられた顔で固まっていた。

 口を半開きにした無防備な顔に、羊花は場違いにもキュンとときめいた。マスクで顔が隠れているのをいいことに「可愛い」と一人でニヤニヤしている。


「……ここまで派手な失恋ってある?」


 存在を忘れていた鱒渕は背後で項垂れているけれど、羊花がかける言葉はない。もう既にお断りはしているのだから。


 それに羊花は、ここで気を抜く訳にはいかなかった。

 我に返った黒崎が逃げてしまう前に、追い打ちをかける必要がある。


 彼が呆けている間に、羊花は行動に出た。


 さっきまで、にやけた口元を隠してくれていたマスクのゴムに指を引っ掻ける。するりと外して口元を晒すと、呆けていた黒崎が我に返った。


 たぶん呟いた言葉は、「待て」だろう。

 けれど羊花は止まらない。


 次はパーカーのファスナーを掴むと、一気に下まで引き下ろした。

 前が開き、ふわりと風に揺れる。


「止めろ!」


 叫んだのが先か、踏み込んだのが先か。

 黒崎が駆け出すのを見つめながら、羊花はフードに手を掛けた。


 パサリと背中にフードが落ちた瞬間、強い力で掻き抱かれる。

 懐に仕舞い込むようにして、がっちりと。誰も見るなと言わんばかりに、黒崎は羊花を丸ごと腕の中に隠した。


「……っ」


 声も出ない程に恐慌し狼狽えた黒崎は、腕に力を込める。

 押し潰されながら羊花は、壊れそうな程に早鐘を打つ黒崎の心音を聞いた。逞しく大きな体は、微かに震えている。


 羊花は広い背中に手を回し、そっと抱き締め返した。


「なんで」


 黒崎は掠れた声で呟く。


「なんでこんな、馬鹿な真似をした」


 責めるような口調で言われても、羊花としては『黒崎が逃げるから』以外の理由なんてない。足止めするのに一番、有効な方法だったからだ。


「間に合わなかったらどうする。顔や制服が見えた奴から情報が広がって、いつかお前に辿り着くかもしれない」


 喜ばしい事態ではなくとも、羊花はその辺りも覚悟している。


「お前、平和に暮らしたかったんだろ。それなのになんで、自分から手放したっ?」


 自分の事のように必死な形相。苦しげに、辛そうに顔を歪めながら問う黒崎に、羊花はとっくに用意してあった答えを返した。


「平和よりももっと、欲しいものがあったから」


「……っ!?」


「言ったじゃない、付き合ってくださいって」


 腕の中から見上げて、へらりと笑う。


 ずっと黒崎の傍にいたいと願うなら、いつか覚悟を決めなくちゃならない日が来る。その『いつか』がたまたま今だっただけ。


「告白の返事は急がないよ。でもたぶん、私これから大変な事になるから、シロくんは責任取って傍にいてほしいな」


 大変だなんて微塵も思っていない、信頼しきった顔で羊花は言う。

 極限まで見開かれていた黒崎の瞳が、じわりと滲む。


 きゅっと目を眇めた黒崎は、羊花のパーカーのフードを掴んだ。

 少々乱暴な手付きで被せると羊花は、驚きに声をあげる。


「うわっ……、んむ!?」


 黒崎はフードの縁を掴んだまま羊花を引き寄せて、嚙みつく様に口付けた。

 予想外の行動に、羊花の思考が止まる。


 ひゃあ、と周囲で囃し立てるような悲鳴があがった。

 けれど羊花は、そんなの気に留める余裕もない。自分の身に何が起こっているのか理解しようとするので精一杯だ。


 口付けはすぐに解かれ、羊花は再び黒崎にがっちりと抱き込まれる。

 真っ赤な顔を手で隠しながらも、指の隙間からばっちり覗いている女子高生や、口笛を吹いてヤジを飛ばす男子らは、黒崎の一睨みで退散した。


「ひつじ」


「え、あ、えっと、うん? ……はい」


 真っ赤な顔した羊花は、黒崎の腕の中で混乱していた。

 キスされた事をようやく理解し、慌てふためく彼女は、どうにか返事をする。


「たぶん一生離してやれないが、覚悟はいいか?」


 とんでもなく長い単位を持ちだされ、羊花はぽかんとする。けれど黒崎の真剣な顔を見れば、冗談ではない事はすぐに分かった。

 惑ったのは、ほんの数秒。


 黒崎の背中に回した手に力を込め、表情を引き締めた羊花は頷いた。


「上等です」


 それを聞いて黒崎は、ふわりと微笑む。

 見た事もないくらい幸せそうな笑顔に、羊花は唖然とした。一拍置いて、周囲から悲鳴じみた黄色い叫びが聞こえる。


 ヤジと祝福と怨嗟と歓声と。色んな声が混ざってカオスとなった一帯に、パンパンと手を叩く音が高らかに響く。


「はーい、見学はここまでね」


 浅黄は笑顔で、群衆を散らすように手を振る。


「オレらがいないうちに、なに面白い事やってんだ。呼べよ」


「コタ、空気読んで」


「空気を読める茶臼山さんは、もはや茶臼山さんじゃないでしょう」


 割れた人垣の向こうから、悠々とした足取りで近づいて来るのは茶臼山と灰賀。その後ろから、紫倉が続く。


「見世物じゃねぇぞ」


 羊花を懐に仕舞った黒崎に睨まれ、茶臼山は呆れ顔になった。


「もう彼氏面かよ、総長。うっぜえ」


「いや、彼氏になる前からこんなモンだったでしょ」


 茶臼山の嫌味に、浅黄が薄笑いを浮かべる。


「確かに以前から、独占欲は全く隠していませんでしたね。僕達にも牽制していましたし」


「コタが空気読めないのと一緒で、総長は心が狭いのが標準仕様」


 紫倉は頷き、灰賀は淡々と容赦のない言葉をぶつける。

 しかし言われた黒崎は、余裕の表情を一切崩さなかった。


「負け犬共が、勝手に吠えとけ」


 ハッと鼻で嗤う黒崎に、仲間らの額に青筋が浮かんだ。


 睨み合う彼等の間に沈黙が落ちる。

 破ったのは羊花の「苦しい」という抗議の声だった。


「悪い、ひつじ」


 黒崎は羊花を腕の中から解放し、そっと肩を抱く。

 その合間に、手早くパーカーの前を閉める甲斐甲斐しさを発揮した。


 二人の周りを取り囲んだ浅黄らは、甘い遣り取りに呆れつつも、周囲を牽制するように睨んだ。


「ここで見た事は他言無用」


 灰賀の低い声は、張り上げずとも迫力がある。


「べっつに言いふらしたきゃ、言いふらせばいい。……ただ、それで何があっても自己責任だからな」


 緩く笑う茶臼山の目は笑っていない。自己責任、という部分で何人かが一斉に蒼褪めた。


「彼女は黒崎さんだけでなく、僕達の特別でもありますので、その辺りはご理解ください」


 紫倉は無表情のまま、冷静に告げる。


「オレらのお姫様に手ぇ出すなら、それ相応の覚悟をしてね?」


 見惚れる程に綺麗な笑みを浮かべた浅黄の言葉は、この一連の騒動と共に語り継がれる事となる。


 『ひつじ』に手を出すべからず。

 その不文律を破れば、『Zoo』から報復を受けるのだと。




「……人生って何が起こるか分からないなぁ」


 真っ黒な旗に白いペンキで書かれた『Zoo』の文字。

 その横には羊のイラストが描き足されている。下手くそとアートの中間辺りを彷徨う微妙な絵は、茶臼山作だ。


 路上のゴツいバイクに立てかけてあったソレを見つめながら、羊花はしみじみと呟く。


 今の羊花は、以前の理想だった平穏で怠惰な人生から大きく外れた道を歩いている。

 賑やかで目まぐるしい日々に、時々、目が回りそうになる事がある。それでも、昔に戻りたいとは思わなかった。


 だって、静かで穏やかな日常に、黒崎はいないから。


「ひつじ」


 背後から呼ぶ声に、羊花はぴくりと肩を揺らす。

 振り返ると黒崎を中心とした『Zoo』のメンバーが、こちらを見て手を振っていた。


 しゃがんでいた羊花は立ち上がり、スカートの埃を払うように何度か叩く。


「はーい」


 笑顔で返事をした羊花は、軽やかな足取りで駆けだした。




 本編はこれで完結となります。

 お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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― 新着の感想 ―
書籍版で見かけて番外編も含めて一気見させて頂きました。とてもとても面白かったです。ほのぼのと不穏の割合がとっても読んでいて心地よかったです。純愛が大好きな自分には凄く刺さる良い作品でした。本当に最高で…
 よき。
[一言] 短編だと思ってたのに、いつの間にか続きが連載されていたことに、今日気が付きました。 まさか初めて会うのじゃなかったとは! すごく良かったです。
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