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玉砕覚悟で黒崎に会いに行くと意気込んだ羊花だったが、そう簡単に事は運ばなかった。
まず溜まり場に行っても、誰にも会えない。
日時が悪いのかと思い、ずらしてみても同じ。連日の空振りだ。
なら別の場所へと考えてはみたものの、何処へ行ったらいいのか思いつかなかった。
考えてみたら、羊花は黒崎の事を何も知らない。何処の学校に通っているのか、何処に住んでいるのか等の最低限の情報ですら、持っていない。
それに気付いて羊花は、少し落ち込んだ。
今までの羊花だったら、ここで引いていただろう。否、避けられていると気付いた時点で、探すのを止めたはず。傷付くのが嫌で、きっと逃げた。
でも今の羊花は、一味違う。
溜まり場であるバーの関係者なら、知っているのではと思いつく。開店する夜の時間帯を狙って、お店へ行ってみる事にした。
以前の羊花からは考えられない大胆な案だ。
とはいえ、一人で行くほど無謀ではない。兄同伴だ。もちろん兄は大反対だったが、『なら一人でも行く』という脅しじみた言葉に、渋々了承を得た。
ところが、お店は定休日ではないのにお休みだった。
隣にある飲食店の店員に聞いてみたところ、羊花が入院していた頃からずっと休業しているらしい。
どうやら黒崎は、徹底的に羊花との関わりを断つ気のようだ。
店が休業中だと知って呆然とする羊花の横で、兄は複雑そうな顔をしていた。黒崎との接点が消えた事に安堵しながらも、羊花が気落ちしないか心配している。
兄は、気まずそうに口を開いた。
「……手がかりがなくなったな」
もう、諦めたらどうだ。これ以上、お前が傷付くのは見たくない。
そう続けるはずだった兄は、羊花の次の言葉に虚を衝かれた。
「うん。正攻法では、ね」
淡々とした声で返された兄は、一瞬、理解が追い付かなくて固まる。
恐る恐る羊花の顔を覗き込んで、更に彼は驚く。ショックを受けて泣きそうになっているという兄の予想を裏切り、羊花は薄く笑っていた。
大人しい羊花らしからぬ、迫力のある笑顔に兄は気圧される。
温厚な人を怒らせると怖いというのは、本当なんだなと場違いに思った。
実際、羊花は少し怒っていた。
足蹴く通って穏便に説得するという案は投げ捨てて、多少乱暴でも、話を聞いてもらえる状況に持ち込む事に決めた。
そこで頼ったのは、隣のクラスの篠木咲良だ。
彼女は羊花と同じく前世の記憶があり、漫画の知識も豊富だ。しかも黒崎ファンの女子らと交流がある。通っている学校名や行動範囲を知っている可能性は高い。
そんな羊花の予想は見事的中。
学校名と、よく見かける場所を何か所か教えてもらえた。
「そんな事になってたとはねぇ……」
簡単に今までの経緯を説明すると、篠木はしみじみと呟く。
「これからどうする気? 無策で突撃しても、逃げられて終わりなんじゃない?」
羊花の向かいの席に座る萌絵は、お菓子の封を開けながら聞く。
差し出された箱から、羊花はプリッツを一本取った。篠木も貰った一本を齧りながら、難しげに眉を寄せる。
「しかも逃げられた後、もっと徹底的に避けられそうだよね。下手したら学校辞めるくらいしそう」
流石にそこまではしないでしょう、とは誰も言えなかった。
黒崎には出来る経済力と決断力がある。羊花の為なら何でもしそうなだけに、対応を間違えば取り返しのつかない事態になりかねない。
顔を見合わせた萌絵と篠木の間に、重苦しい空気が流れる。
しかし羊花は決して、悲観的な顔を見せなかった。
「そう、だから一回勝負。逃げられない状況に追い込めばいいかなって思って」
平時と同じ声の調子で、とんでもない事を言い出した羊花に二人は目を丸くする。
「さらっと恐ろしい事を……羊花ちゃん、性格変わった?」
「ビビリだけど、昔から無鉄砲ではあったわよ。流石に、ここまで突き抜けてはいなかったけど」
萌絵は呆れたと言わんばかりに大きな溜息を吐く。
「で、具体的に何をするつもりなのかな?」
目を輝かせた篠木は、身を乗り出す。
羊花が考えた案を話すと、二人はだんだん蒼褪める。無謀ともいえる作戦に萌絵は頭を抱え、篠木は必死になって止めた。
しかし、なら別の作戦があるのかと聞かれれば思いつかない。
羊花の話は無茶だが、黒崎には有効だという一点のみ否定出来ないのも事実。
考えた二人は何故か、隣のクラスから鱒渕を連れてきた。
ボディーガードとして連れていけと言われ、羊花は驚く。
「弱いけど盾くらいにはなるでしょ」
「ついでに見届けて、きっちり失恋してくるといいと思う」
「唐突に引っ張ってきて酷くねぇ? オレの扱いが雑過ぎる」
文句を言いつつも、怒っている様子はない。
鱒渕は「羊花ちゃんが良ければ付き合うよ」と言った。
「えっ、いや。いいよ、いいよ。鱒渕君に迷惑かけられない。これは私と黒崎さんの問題だし」
顔の前で手を振り、羊花は慌てて拒否する。
鱒渕は困った顔で苦笑した。篠木と萌絵はそんな彼に同情の目を向けた。好きな子から言外に『貴方には関係ない事だ』と拒絶されるのは、どんな気持ちだろうかと。
「オレも羊花ちゃんにいっぱい迷惑かけたし、少しはお返しさせて。……それに、黒崎さんが羊花ちゃんから逃げ続けるなら、オレも諦められない」
いつもの人懐こい表情を消し、鱒渕は真剣な顔になる。
告白めいた言葉に、羊花は唖然となった。しかしすぐに我に返ると、きゅっと口を引き結ぶ。
「ごめんなさい、諦めてください」
真っ直ぐな目で告げ、羊花は頭を下げた。
ブハッと噴き出したのは、萌絵と篠木、どちらが先か。もしかしたら一番は、密かに聞き耳を立てていたクラスメイトの女の子だったかもしれない。
「私が好きなのは彼だけ。待たれても、鱒渕君の事を好きになる可能性はないから、ごめんなさい」
「容赦ないな!」
篠木は大笑いしながら、バンバンと机を叩いた。萌絵は必死に笑いを堪えているのか、肩が震えている。
鱒渕はそんな二人を横目で軽く睨んでから、肩を落として息を吐いた。
「……なら、やっぱり同行させて。オレに引導を渡してよ」
そうまで言われては、羊花も拒否出来ない。不承不承ながら「よろしく」と頷いた。
そうして迎えた、決戦の日。
羊花はとある繁華街にいた。
黒崎の高校から、最寄り駅を目指す場合の最短ルート上にある場所。篠木の友人経由で、見かける時間帯も教えてもらった。
学校を休んでいるかもという懸念はあったものの、一昨日も見かけたという生きた情報もばっちりゲットしている。
人の多い目抜き通り。
黒崎と同じ学校の生徒らとは逆方向に進む羊花は、注目を集めていた。
特におかしな行動をとっている訳ではない。
それでも羊花が進む度、人が振り返る。
その理由は、彼女の服装にあった。
「滅茶苦茶、見られてるね。流石、『ひつじ』さん」
少し後ろを歩く鱒渕の言葉が示す通り、羊花は『ひつじ』の時の恰好をしている。
白い羊のアニマルパーカーに、動物の口のイラストが描かれたマスク。分かり易い記号化されたような姿は、噂の形で広まり浸透している。
目撃情報はさほど多くはなく、いつでも『Zoo』のメンバーの誰かしらが一緒。
正体は不明で、詳細も不明。
ただ彼女に手を出せば、『Zoo』から容赦のない報復を受ける。
そんな謎めいた人物が日中、堂々と単独で歩いていれば目立つのも当然。厳密に言えば一人ではないのだが、些事だ。
「目立たないと意味ないからね」
四方八方からの視線に晒されながら、羊花は胸を張って堂々と歩く。
自然と譲られ、前にぽっかりと道が築かれた。
すると前方に、目当ての人物の姿が見えた。
周囲と制服は一緒なのに、不思議と埋没していない。
整い過ぎた容姿のせいか、圧倒するオーラでも出ているのか。今の羊花のように遠巻きにされている二人組。
表情はどちらも暗く、硬い。
そのせいで余計に、人を寄り付けない雰囲気を醸し出している。
会話もなく、ただぼんやりと歩いていた浅黄がふと顔を上げた。
羊花の辺りを通り過ぎた視線が、すぐに戻ってくる。『二度見した』と羊花が呑気に考えていると、浅黄は目を大きく見開いた。
隣の黒崎の肩を叩いて、示す。
鬱陶しげに振り払ってから、黒崎も前を向く。
少し離れた場所にいる羊花を見て、切れ長の目が瞠られた。
「…………」
言葉もなく、ただ見つめ合う。
しかし黒崎はぐっと拳を握り締めて、視線を逸らす。
険しい表情となった彼は振り切るように、踵を返した。
案の定、逃げるのだろう。
そして羊花のいない場所を探すのだ。追いかけるのを諦めるまで、羊花が彼を忘れるまで、ずっと。
(逃がさないから)
羊花はぐっとお腹に力を込めて、真っ直ぐ立つ。
肺いっぱいの空気を全部押し出してから、深く吸い込んだ。
「シロくんっ!!」
羊花は力いっぱい叫ぶ。
周囲の人間が何事かと足を止めるが、知った事ではない。羊花が呼んだのはたった一人。届けと願ったのも一人だけだ。
そして願い通り、立ち去ろうとしていた黒崎は足を止めた。




