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※ 黒崎司狼中心の回想となります。
黒崎司狼は、冷めた子供だった。
母親は早くに亡くなり、父親は仕事一筋。祖父母も他界しており、彼に愛情を注ぐ人間はいなかった。
それでも彼が成長出来たのは、愛の力ではなく金の力だ。
赤ん坊の頃はベビーシッター、小学校に上がる頃には家政婦が黒崎の面倒を見た。
しかしその顔ぶれは、数か月のスパンで簡単に入れ替わる。理由は黒崎との相性……ではなく、単に父親の都合だ。
黒崎の父親は容姿と稼ぎの良さで、異性にはとても好かれる。
家に来るベビーシッターや家政婦も例外ではなく、彼に惚れ、後妻となる事を望んだ。
彼女らは必死になって、黒崎を懐柔しようとした。妙に優しくしてみたり、また逆に母親面して叱ってみたりと、明らかに仕事の範疇を超えて暮らしに入り込んできた。
揃って同じ行動をとり、しかも懐かないと知れば苛立たしげに顔を歪める。そんな人間をどうして慕えるだろうか。
彼女らの多くは黒崎を懐柔するのは無理とすぐに判断し、父親に直接アプローチする方向へとシフトする。そして、それを疎んだ父親が彼女らを切る。その繰り返しだ。
砂川の母親も、その中の一人。
ただ他よりも厄介だったのは、自分の娘を黒崎に宛がおうとした事だ。
子供同士仲良くさせて、そこから再婚への足掛かりにしようとしたのか。もしくは、父親が靡かなくても、娘が玉の輿に乗れればいいと思ったのか。
やたらと黒崎と娘の未愛を仲良くさせたがった。
未愛自身も黒崎の容姿を気に入ったらしく、人懐っこく笑って纏わりつく。
容姿はおそらく、可愛らしい部類なのだろう。
しかし黒崎の目には、全く魅力的には映らない。
幼い頃から女性の汚い部分ばかり見せられた黒崎にとって、少女の裏の顔など見破るのは容易い。
砂川未愛は可憐な少女に上手く擬態しているものの、その内面は傲慢で醜悪だ。
しかし残念ながらそれは、砂川未愛に限った話ではない。
学校で黒崎を囲む女子も、砂川未愛と大差なかった。
黒崎の容姿を褒め称え、媚びを売り、周りを蹴落とそうとする。その醜い顔は判子を押したように同じ。
近寄ってこない女子は女子で、黒崎と目が合うと顔を赤らめるくせに、卑屈な表情で目を逸らす。そのくせチラチラと、鬱陶しい視線を寄越す。
黒崎は女性全般が苦手になりつつあった。
かといって男子なら心を許せる、という訳でもない。
女子に囲まれた黒崎を羨み、疎む。
もしくは怯えて避けるか、擦り寄ってくる。
数人だけは例外ではあったが、彼等との間にあるのは純粋な友情ではない。
全員、家庭環境やら対人関係で問題を抱えた似た者同士だと理解し、適度な距離を保つ関係を許容しているだけの事。
だから黒崎にとって羊花との出会いは、衝撃だった。
黒崎はその日、軽く自棄になっていた。
現在の家政婦である砂川と娘が入り浸っている家には帰りたくない。適当に腹を満たそうと寄ったコンビニで同級生の女子に絡まれ、拒否したら泣かれた。その上、その女子の友人らに責め立てられる。
それを振り切った黒崎は目的もなく歩いて、公園に辿り着いた。空腹は感じていたものの、食事を摂りにいく気力もなく、適当な場所に腰掛けた。
たまに黒崎は、人生を消化試合のように感じる日がある。
特に楽しみも喜びもなく、クソみたいなイベントばかりが立て続けに起こる。死にたいとは思わないから生きているが、たぶん彼は今日人生が終わっても、簡単に受け入れるだろう。
(さっさと終わればいいのに)
そう心の中で呟いても、体は勝手に生を望む。
ぐぅ、と鳴った腹を抱えて、黒崎は酷く情けない気持ちになった。
「ねぇ」
鬱々としていた黒崎に、少し高めの声が掛かる。
のろのろと顔を上げるとそこには、同年代の子供がいた。
パッとしない顔立ちの大人しそうな少女だ。
よく見ると可愛らしい顔をしているが、印象が薄い。たぶんクラスメイトであっても、卒業まで関わる事なく、名前も顔も覚えないだろう。
しかし気の弱そうな外見を裏切り、少女は物怖じせずに黒崎を見た。
「食べる?」
そう言って菓子を差し出してくる少女を拒否しながらも、黒崎は内心で動揺していた。
少女の眼差しや言葉には、敵意も好意もない。
空腹の人間を放っておけないという気遣い以外、何も含まれていなかった。
強めの言葉で拒絶しても嫌な顔はせず、簡単に引き下がる。それから黒崎に興味を失くしたようにモシャモシャとクッキーを食べ始めた少女に黒崎は呆然とした。
ようやく我に返った黒崎の頭に浮かぶのは『自意識過剰』という単語。生まれて初めて彼は、転げ回りたいような羞恥を感じた。
しかもまた腹が鳴り、もう一度少女が差し出してくれたクッキーに、今度は手を伸ばした。
少し焦げたクッキーはパサパサしていたが、何故か驚く程美味い。夢中になって食べ尽くしそうになったが、少女は怒らなかった。
もっと食べていいよと勧め、黒崎が躊躇うと考え込む。
そして悪戯を思いついたような顔でクッキーを手に取り、黒崎に差し出した。
「ほら、あーん」
『ぱっとしない顔立ち』なんて考えたさっきまでの自分に、黒崎は呆れた。見る目がないにも程がある。
こんな可愛らしい顔で笑う女の子を、黒崎は他に知らない。
それから色んな話をして、何故か、少女が黒崎の食事を作ってくれる流れとなった。
もし同情ならば、跳ね除けるつもりだった。いくら少女が可愛らしくとも、初めて会った人間に憐れまれるのは我慢ならない。
しかし彼女は黒崎が張った予防線を難なく飛び越える。
「えーと……君がお腹減ってるのかと思うと、美味しくご飯食べられないから?」
きょとんとした彼女は、そんな事を言う。
自己満足だから気にしなくていいと。
その日から黒崎にとって『ひつじ』は、特別な女の子となった。
そこから交流が始まり、黒崎は羊花と仲良くなった。
友人である浅黄らも羊花を気に入ってしまったのは誤算だったが、それ以外は平穏な日々が続いた。
羊花の傍は心地良い。
生まれて初めて感じる幸福に、黒崎は柄にもなく浮かれていた。
しかし幸福はある日、簡単に壊れた。
羊花の元気がなくなっていく事に、黒崎は気付いていた。
思い切って理由を聞いてみるが、中々話してくれない。しつこく食い下がってようやく話して貰えそうになったのに、邪魔が入った。
絡んで来た砂川から羊花を庇ったのは、黒崎にしてみれば当然の行為。
しかしそれは、完全な悪手だった。
(オレのせいだ)
砂川が羊花を敵視するようになったのは、黒崎が対応を誤ったせいだ。
砂川がどんな性格なのか分かっていたのに。彼女の怒りが自分ではなく羊花に向かうのだと知っていたはずなのに。
恋に目が眩んで、何も見えていなかった。
好きな女の子を守っているつもりで、より追い詰めていた。自分は救いようのない馬鹿だと、黒崎は胸中で吐き捨てた。
羊花は欠片も黒崎を責めなかったが、黒崎自身が自分を許せなかった。
嵐の中、消防士に抱き抱えられた羊花はとても小さくて、顔色も真っ白で。
まるで生気のない姿に、ゾッとした。
羊花を失ってしまうんじゃないかと思うと、生きた心地がしなかった。
浅黄らは消防士らによって一旦家に帰らされたが、黒崎は病院の長椅子にしがみ付いて帰宅を拒否した。
黒崎がまんじりともせず時計を睨み付けていると、羊花の家族が病院に駆け付けた。
羊花の様子を見に行った家族は、酷くショックを受けた様子で病室を出て来た。消防士の説明で黒崎を恩人と判断したらしく、頭を下げようとするのを黒崎は止めた。
そして、羊花の家族に向けて深く頭を下げた。
羊花が虐められた原因は自分にあるのだと、正直に全て吐き出した。
正義による行動ではない。真実を明かすべきだなんて清廉な判断でもない。ただ誰かに責めてほしかっただけだ。
怒られ、責められ、罵られたのなら。そうしたらまた、羊花の前に立つ事が許されるのではないかと、そんな浅ましい考えだった。
しかし羊花の両親は、黒崎を責めなかった。
それどころか、羊花を見つけてくれてありがとうと、礼を言われた。
兄だけは黒崎を睨んでいたが、罵りはしなかった。ぶつけてきたのは、「妹に近付くな」と一言だけ。
黒崎の身勝手な望みは、誰も叶えてくれなかった。
目覚めた羊花自身も、黒崎を責めようとはしない。
それが苦しくてたまらなかった。お前の所為だと責めてくれたら、黒崎は『償う』という大義名分を得て、堂々と羊花の傍にいられるのに。
(思えばオレは、自分の事ばっかりだった。……だからアレは、当然の報いだ)
黒崎は知らず知らずのうちに羊花を追い詰め、そうして、失った。
「だれ?」
羊花の記憶から、黒崎司狼という存在が丸ごと消えていた。
あの時の絶望を、黒崎は今でも鮮明に覚えている。
足元が崩れ落ちるような恐怖は記憶にべったりと焼き付いて、いつまでも消えない。




