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 閉じ込められた小さな羊花は、暫くの間、必死になって戸を叩いた。


「誰か! 誰かいませんか!? 開けて!!」


 誰かが通りかかるのを期待して声を張るけれど、応えはない。

 そうしている間にも、外はどんどん暗くなっていく。時刻が夕方に近付くにつれ、予報通り天気は崩れてきた。

 時折、強い風が吹き付けて、古いプレハブをガタガタと揺らす。


「誰か……っ! ごほっ」


 助けを呼ぶ途中で、羊花は咳き込む。

 大人しい羊花は大きな声を出すのが、とても苦手だ。慣れない事をしていたせいで、声が嗄れたらしい。体を折り曲げて、苦しげな咳を繰り返した。


 ようやく治まった羊花は、途方に暮れる。


 誰も通りかからないし、扉は開かない。さっきから何度も揺すっているが、つっかえ棒がガッチリ嵌っているのか、ビクともしなかった。


 誰かに連絡を取ろうにも羊花はスマホを持っていない。

 黒崎達にも不便だと言われたが、羊花の家ではスマホは中学からと決まっていた。羊花もそれで納得していたけれど、今となってはもっとごねておけば良かったと思う。


「あとは……」


 助けが期待出来ないのなら、自分で脱出するしかない。

 羊花は棚の後ろの窓をじっと見た。


 棚と段ボールに半ば塞がれてしまっている窓は、高さが一メートル弱くらいの半間窓。小柄な羊花なら、軽々と通り抜けられるはず。

 ただ、それには棚を退かす必要がある。


 棚の大きさと段ボールの多さに怯むけれど、羊花は気合いを入れるように頬を両手で叩く。「よし!」と覚悟を決めて段ボールの一つに手を掛けた。


「お、重……、わっ……!」


 しかし、羊花は小柄で非力な小学生。

 段ボール一つも満足に動かせない。支えきれずに足元に落とす。危うく足を下敷きにしかけたが、ぎりぎりで躱せた。


 衝撃で開いた箱の中身は、工具やボルトが詰め込まれている。どうりで重いはずだ。

 他の箱も開けてみると、箱一杯のボール、ボロボロの草刈り機、テント一式、等々。羊花にはとてもじゃないが、持てる重さじゃない物ばかり。


 無理だと羊花も悟った。

 それでも諦めきれず、どうにか箱を隅に寄せる。空いた隙間に手を突っ込んで、内鍵を開けた。ずりずりと窓を開ける。


 ようやく見えた、外の景色。

 けれど羊花はそこで、またしても落胆する。


 窓には防犯用の格子が嵌っていた。

 もし奇跡的に棚を退かせたとしても、これでは脱出出来ない。


「どうしよ……」


 羊花は力なく、その場にぺたんと座り込む。


 棚の奥に見えた空は、真っ黒な雲に覆われている。びゅうびゅうと吹き付ける強い風が、運んできた雨粒を羊花の顔に降らせた。


 どうやらもう、雨が降り始めたようだ。

 羊花は窓を閉めてから、床の上で膝を抱える。


「シロくん、ちゃんと帰ったよね……?」


 羊花は黒崎が心配だった。

 ずぶ濡れになって待たれるくらいなら、羊花に腹を立てて帰った方がよっぽどマシだ。


 でも同時に、黒崎がそんな人ではない事も知っている。

 とっつき難い印象を受ける彼だが、実はとても優しい。約束を破られたと腹を立てるよりまず、羊花に何かあったんじゃないかと心配するだろう。


「ソウマくん達が一緒なら、説得してくれるかな」


 浅黄達が傍にいるなら、危ないからと帰らせてくれるかもしれない。

 しかし浅黄達も優しいから、皆で探すという最悪な展開になっている可能性もある。


「そんな事しないよね……?」


 危ないから止めてほしいと願っても、こんな場所にいる羊花にはどうする事も出来ない。

 なんだか居ても立っても居られなくなり、羊花は辺りをゴソゴソと探り始めた。


 工具類は便利そうだが、羊花には扱えない。

 もうちょっと何か手軽なものをと、段ボールを片っ端から開けた。


「あ」


 見つけたのは懐中電灯。

 かなり古めかしいけれど、スイッチを押すと点灯した。


 プレハブには電気が通ってなさそうなので、重宝する。

 けれどボロボロ具合からして、多用するのは危険だ。必要な時に電池切れは笑えない。


「もうちょっと暗くなったら、ライトが目立つかも。窓から振ってみよう」


 そう決めて、羊花は懐中電灯を大事に横へ置いた。

 それ以外は何かないかと段ボールを開けていると、トタン屋根を雨粒が打つ音が鳴り始める。不規則だったそれは、さして間を置かずに激しい音と変化した。


「……っ」


 土砂降りとなった雨が、ガラスに叩き付けられる。

 音の大きさに、羊花はビクリと肩を揺らした。


 天気が荒れると予報では言っていたが、予想以上だ。

 激しい風雨の音に混ざって、遠くから雷鳴も聞こえてくる。身を縮める小さな羊花と同じく、大きな羊花も身を竦めた。

 押さえた胸が早鐘を打っている気がする。夢の中なんだから、そんな訳ないけれど、恐怖で心臓が壊れそうだ。


「!」


 じっと耐えていた小さな羊花の耳に、カンカンと定期的に響く音が届く。

 堤防横の道路を消防車が巡回しているんだろう。


 羊花は慌てて立ち上がり、懐中電灯を掴む。


「……ぅわっ!?」


 窓を開けた途端、バケツをひっくり返したような雨が一瞬で羊花をずぶ濡れにする。

 まるで洗車機の中に放り込まれたようで、目を開けているのも辛い。それでも羊花は必死に声を張り上げ、手を振った。


「おーい! ここです! 誰か、助けてー!!」


 しかし雨音に全て掻き消される。まだ日も沈み切っていない時刻なせいで、ライトの光も目立たなかった。


 羊花はびしょ濡れになりながら、懐中電灯が壊れてはまずいと気付いて引っ込める。手を振るのは続けていたが、無情にも消防車の鐘は遠ざかって行った。


「だれか、」


 もう一度、叫ぼうとした羊花の視界を、眩い光が焼き尽くす。

 カッと周囲が真っ白に染まったかと思うと、耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。同時に地面が揺れる。


「……っ!!」


 どん、と鳴り響いたのは雷鳴。しかも、たぶん近くに落ちた。

 羊花は耳を押さえて蹲る。小さな心臓が壊れそうなほど、早鐘を打った。


 開いたままの窓から雨が吹き込み、ビシャビシャに濡れながらも羊花は起き上がれない。

 手だけ伸ばして、どうにか窓を閉める事に成功した。


 頭を抱えて床に蹲る小さな羊花を見つめ、大きな羊花は自分の体を掻き抱く。


(覚えてない……覚えてない、はずなのに)


 なぜ、こんなにも恐ろしいと思うのか。

 カタカタと震えながら、羊花は自問自答した。


 未だ何一つ思い出せず、小さな羊花の記憶はどこか他人事めいている。

 目の前の光景は確かに恐ろしいけれど、実感のない大きな羊花にとっては映画のようなもののはずだ。


 それなのに、まるで体にべったりと恐怖が染み付いているかのように体が震える。これから起こる更なる恐怖に、身構えるように。


 大きな羊花が考え事をしている間に、小さな羊花はのろのろと起き上がった。

 窓からなるべく離れた隅っこに座り、耳を塞いで小さくなる。それでも完全には遮断出来ずに、雷が鳴る度にビクビクと震えていた。


「……ん?」


 どれくらい、そうしていたのか。

 小さな羊花は少しだけ、眠っていたらしい。目を開けた時には、周辺は真っ暗になっていた。


 天気は回復しておらず、激しい風雨がプレハブを揺らす。


「さむ……」


 小さな羊花は冷え切った自分の肩を抱いて、身を震わせる。

 そして、ぴしゃんと鳴った水音に目を丸くした。


「え?」


 驚いた羊花が動く度に、じゃぶじゃぶと水の音がする。滝のような雨が降る外ではなく、すぐ傍で。

 訳も分からず立ち上がった羊花のスカートから、吸い込んでいた水がびしゃびしゃと落ちた。


「は、……え、なに、」


 混乱する羊花は、手探りで懐中電灯を探す。

 台に載っていた小物がいつくか落ちたけれど、気に掛ける余裕もない。ようやく爪の先にごつんと感触が当たり、慌てて引き寄せる。


「……ひっ」


 ライトのスイッチを入れて足元を照らした羊花は、引き攣った悲鳴をあげた。


 プレハブの中は、水浸しになっている。茶色く濁った水が溜まって、羊花の足首辺りまで浸かっていた。


「なに、なんで?」


 雨が吹き込んだなんて量じゃない。

 明らかに浸水している事態に気付き、羊花は蒼褪める。どうして、と考えた羊花は途中で気付いた。


 今、自分がいる場所が河川敷である事を。

 それからさっき、通り過ぎた消防車が警戒の鐘を鳴らしていた事も。


 河川が増水しても街まで流れ込むのは堤防が防いでくれるかもしれないが、ここは堤防の内側。いわば、川の一部。


 雨が降り続ければ、水に沈む。

 そうしてプレパブに閉じ込められ羊花も、いつかは。


「……っ!!」


 羊花は声なき悲鳴を洩らし、扉に駆け寄った。

 手をかけて、ガタガタと必死になって揺らす。


「開けて! 誰か、助けて!!」


 乱暴に掌を扉に打ち付けて、叫ぶ。


「助けて! 助けてぇっ!!」


 喉が涸れようと、怪我をしようと関係ない。

 形振り構わず、羊花は泣き叫んだ。


「だれか、」


(助けて)


 大きな羊花は小さな羊花と同じように、扉に張り付く。

 いつの間にか、過去の記憶を傍観している感覚は消えていた。彼女は今、恐怖を身近に感じている。

 追体験しながら、もう一度、命の危機に瀕していた。


(嫌だ、こわい……っ、誰か助けて! 私は)


「死にたくないっ!!」


(死にたくないっ!!)


 小さな羊花と大きな羊花の叫びが重なった。それと同時に姿も一つに重なって、小さな羊花の姿だけ残る。

 どちらの羊花にとっても、これは思い出なんかじゃない。生々しい現実だ。


「やだよぉっ! たすけて、パパ、ママっ! お兄ちゃん!」


 打ち付けた手が赤く腫れあがっても、羊花は扉を叩き続けた。

 少しずつ、しかし確実に増えていく水位が彼女のパニックを煽る。


「パパ、ママ、助けて、ママ、ママぁ……!!」


 ぼろぼろと涙を零しながら、羊花は家族を呼ぶ。

 どこかに引っかけたのか、血を流す掌をバンと叩き付ける。


「やだよぉ……」


 弱った心が絶望に呑まれそうになったその時、外から人の声が聞こえた。


『本当にこんな場所にいるのか? 子供の悪戯じゃなく?』


『でも本当だったら大ごとだろ。それに、さっき、窓から一瞬明かりが見えた。子供の声も聞こえた気がするし』


『おい、誰かいるのか!?』


 じゃぶじゃぶと水を掻き分けて進む音と共に、複数の大人の声がする。

 崩れ落ちかけていた体を起こし、羊花は扉を叩いた。


「ここにいる! 助けて!!」


『っ!! 女の子がいるぞ!』


『!? 何だコレ、外から棒がつっかえてる……誰がこんな』


『そんなの後だ! いいから早く!!』


 ガタガタと音が鳴って、扉が乱暴に開く。

 ライトの明るさに眩んだ視界が戻るにつれ、シルエットしか分からなかった姿がはっきりと見えた。

 白いヘルメットとオレンジ色のつなぎ姿の男性らは、消防署の人だろう。


「怪我は、……っおい!?」


 とっくに体力の限界だった羊花の体は、安堵に崩れ落ちる。

 抱き留められた腕と慌てた声を最後に、意識がフェードアウトした。


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