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※虐めに関する表現があります。
不快と感じる人が多い内容となっておりますので、閲覧にはご注意ください。
小さな羊花の日々は一見、平穏そのもの。
けれどそうでないのは、大きい羊花も分かっていた。
学校では既に、萌絵とクラスの女子らの間に溝が出来ている頃だ。
小学校の高学年となり、話題の中心が恋愛となった。
とはいっても、まだ子供。隣のクラスの誰が恰好良いとか、先輩がアイドルの○○に似ているとか、可愛らしいものだ。
しかし人気の高い男子の殆どが、美少女である萌絵に好意を持っている。当然、多くの女子らはそれが面白くない。
しかも鱒渕……正確には当時の彼は別の苗字だが、紛らわしいので鱒渕のままとする。
彼の人気が高まってきた事で、幼馴染の萌絵への当たりが強くなってきた。
元から人見知りで友達の少ない萌絵は、クラスで浮き始めている。
何人か気の強い女子は故意に孤立させようとして、萌絵と仲の良い羊花にも接触してきた。
地味で大人しそうな羊花など、簡単に懐柔できると踏んだのだろう。
一緒に遊ぼうとか、グループを組もうとか、遠回しに萌絵から引き離そうとする。
萌絵と一緒がいいのだと羊花が断ると、驚いたような顔をした彼女らは、次に別の手段を選んだ。
萌絵の巻き添えでハブられてもいいのかと、なんとも分かり易い脅しをかけてきた。
貧弱な羊花はメンタルも弱めなので、『どうぞ、ご自由に』と恰好良く笑う事は出来なかった。
それでも、ちゃんと頷けただけでも偉い。大きな羊花は、小さい頃の自分を誉めてあげたいと思った。
孤立させる事に失敗した彼女らのイジメは、別の方向へとシフトした。
小さな私物……文房具とかハンカチがゴミ箱に捨てられていたり、靴が泥まみれになっていたりと、物理的な攻撃性を帯び出す。
羊花は念のために写真を撮ったけれど、現場を抑えていないので証拠として弱い。自作自演だと言われてしまえば、それまでだ。
それでも先生に相談しようかと持ち掛けると、萌絵は震えながら頭を振った。
先生に言いつけた事でエスカレートするのが怖いし、親に知られるのも嫌だと言う。恥ずかしいから、誰にも言わないでと泣かれてしまえば、羊花に為す術はない。
けれど黙って耐えるという選択は、逆に虐める側を増長させた。
聞えよがしな悪口は毎日で、私物が壊されるのもしょっちゅう。足を引っかけて転ばされるとか、事故を装って、汚水で服を濡らされた事もあった。
陰湿な事にそれらは、教師や男子らの目に入る場所では行われない。
だから無関心な傍観者には、萌絵が不運なだけに見えてしまう。
萌絵は少しずつ、休みがちになっていく。
大勢のクラスメイトよりも萌絵を選んだ羊花は、彼女が休みの日はぽつんと一人きりで過ごすようになった。
二人組やグループで作業する授業の時は、ぽつんと一人取り残され、先生を困らせた。遠巻きにクスクスと笑われるのは、とても居心地が悪い。
でもそこで正義漢を発揮し、鱒渕に「オレと組もうよ」なんて言われても、羊花は天の助けとは思えなかった。寧ろ、なんて事をしてくれたんだと心の中で詰った。
しかも他の男子達まで、自分らのグループに加わるように誘ってきたせいで、事態は悪化の一途をたどる。
男子に囲まれる羊花を、一部の女子達は冷ややかに見ていた。
正直、理不尽だと思う。
単純馬鹿の鱒渕はただの厚意だとして、他の男子にはおそらく下心がある。羊花と仲良くなる事で、親友の萌絵と仲良くなりたいだけだ。
だしに使われて、それが原因で恨まれるとか、あんまりにも酷い。
このまま羊花も萌絵と同じく、イジメのターゲットになるんだろうなと覚悟した。
でもそこで、やんわりとだが阻止した人間がいた。
「真白さん、私達のグループにおいでよ」
そう言って手招いたのは、砂川未愛。
「皆もいいよね?」
「ええー……でも、男子のグループに入れてもらいたいみたいだし」
砂川と同じグループの女子は、揃って難色を示す。
けれど砂川は、それを苦笑で退けた。
「真白さんは大人しいから、男の子達と一緒は無理だよ」
一見、悪意のないセリフ。けれど砂川の目や声には、明らかに見下す意図があった。それを敏感に嗅ぎ取った女子達は、クスクスと笑いながら頷く。
「まぁ、そうだね。真白さんが男子と話しているの、見た事ないし」
「しょうがないか」
明らかな悪意がそこに存在していても、丸く収まったかに見えてしまう。
教師や男子らの中で、砂川の株だけ上がる結果となった。
「真白さん、名前は羊花ちゃんって言うんでしょ? 私の名前にも『ひつじ』が入っているから、お揃いだね。文化祭とかで、『ダブルひつじ』として二人で何かやろっか」
「やめなよ。未愛と比べられたら真白さんが可哀想でしょ」
「そうだよ。石動萌絵の次は未愛の引き立て役とか、真白さん泣いちゃう」
「そんな事ない。真白さんも可愛いよ」
くすくす、くすくす。
耳に残る嘲笑と悪意に塗れた会話に、うんざりする。
(しんどい会話だなぁ……)
大きな羊花でもそう感じる。
けれど小さな羊花は俯きながらも、その目に涙はなかった。
ちゃんと毎日学校へ通い、萌絵が休みの日は帰り道にプリントを届け、その後に家でお弁当を作って黒崎に届けるというルーティーンを繰り返していた。
(小さい私、根性あるな)
「ひつじ」
「ん?」
その日は浅黄達はおらず、黒崎一人だった。
羊花の渡した弁当を美味しそうに食べていた黒崎は、三分の一ほど減らしたところで手を止める。
隣に座る羊花に、気遣う眼差しを向けた。
「何かあった?」
「え……」
「さっきからずっと、難しい顔してる」
いつも楽しそうな羊花が、今日はずっと沈んだ顔をしているのが黒崎は気がかりだった。
虚を衝かれたように目を丸くした羊花は、数秒、視線を彷徨わせる。薄く開いた唇が何かを言いかけたが、すぐに閉じられてしまった。
一連の行動を誤魔化すように羊花は、へらりと笑う。
「えーと、何でもないよ。ちょっと考え事をしてただけ」
「ひつじ」
しかし黒崎は流さなかった。
真剣な顔でじっと羊花を見つめる。
「オレに何か、出来る事はあるか?」
その真っ直ぐな言葉に、羊花の不出来な笑顔が消えた。
無理やり上げていた口角が歪んで、眉が下がる。じわりと潤んだ目を隠す為に、慌てて俯いた。
きゅっと唇を引き結んだ羊花は、膝の上でスカートを握り締める。
長い沈黙が続いた。
けれど黒崎は急かす事なく、黙って羊花の言葉を待つ。
一分近くの静寂の後、羊花は顔を上げる。
そうして黒崎の方を向き、口を開こうとした。
けれどほんの僅かの差で、別の声が遮った。
「あ! 司狼くん!?」
弾んだ声で呼ばれ、黒崎の表情が不快そうに歪む。
彼の視線を辿って、羊花も可愛らしい声の持ち主の方を向いた。
「家にいないと思ったら、こんな所にいたんだ」
笑顔で駆け寄ってくる女の子の姿を見て、羊花は大きく目を見開く。
「お前に関係ないだろ」
黒崎は目を眇め、舌打ちした。
「なんで帰ってこないの? お母さんと家で待ってたのに」
黒崎は「だからだよ」と呟いてから、羊花に向き直る。
「父親が雇った家政婦の娘ってだけだから。話、聞かなくていい」
黒崎が話しかけても聞こえていないかのように、羊花の視線は女子に向いたまま。
そして女子の方も羊花の存在に気付き、むっと眉を顰めて覗き込む。
「なに、その子……って、真白さん……?」
女子の目が、驚愕に瞠られる。
パチパチと何度か瞬くのを見守っていた羊花は、掠れる声で彼女の名を呼んだ。
「砂川さん……」
どうやら羊花が忘れているのは、黒崎達の事だけではないようだ。
不穏な空気を感じながら、大きな羊花は息を殺して見守っていた。




