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「……砂川が本物の『ひつじ』?」
「うん」
鱒渕の問いに、砂川は迷いなく頷く。
暫し考え込むような沈黙の後、鱒渕は「嘘だろ」と短く告げた。
俯いていた羊花は、その断定的な口調に驚いて顔を上げる。
「オレはその『ひつじ』さんに会った事あるけど、お前じゃなかった」
そうきっぱり言い切った鱒渕は、羊花の方へと視線を移す。
「助けてくれたのは、貴方ですよね?」
問われて、羊花は迷いながらも小さく頷いた。
「顔も分からないのに、何でそう言えるの?」
砂川が呆れたように言うと、鱒渕は「勘」とごくシンプルな答えを返す。
「勘って、そんなのどうとでも言えるでしょう」
「勘が気に食わないなら、『お前が人助けなんてしそうもない』って理由なら納得するのか?」
(うわぁ……)
鱒渕のストレートな物言いに、羊花の方が居た堪れなくなった。
彼は基本、紳士だ。年齢問わず女性には優しいはずなのに、何故、砂川にだけ喧嘩腰なんだろうと不思議に思った。
砂川は呆れたように「あっそ」と吐き捨てる。
「確かに透くんを助けたのは私じゃないよ」
「なら」
「でも、本物は私」
断言する砂川に、鱒渕は意味が分からないと言いたげに眉を顰めた。
「小さい頃から司狼くんの傍にいた『ひつじ』は私なの。そんなぽっと出の偽物と一緒にされたくない」
『小さい頃から一緒にいた』という言葉に羊花の肩が揺れる。
やはり黒崎の初恋の人であり、探し人が目の前の砂川なのでは、という推測を後押しする証拠が、またしても増えてしまったから。
(……でも、それが本当だとしても)
羊花は拳を握り締めて、俯きかけた顔を上げる。
(あの優しさまで嘘だったなんて思えない)
「……司狼って、黒崎さんの事だよな? 砂川が黒崎さんの何だったのかは知らないけど、今のあの人が自分の意思で傍に置いているのは、こっちの『ひつじ』さんだ。お前じゃない」
羊花の思いを代弁するように、鱒渕が言う。
すると砂川は目を眇め、羊花を睨み付けた。
「だから代替品なの。私が見つからないから、代わりで我慢していただけ。……それなのにその人は、まるで本当に自分が愛されてるみたいに勘違いして、我が物顔で振舞ってる」
砂川の言葉が羊花の胸を深々と抉る。
「砂川!」
鱒渕は二人の間に割って入った。
しかし砂川は鱒渕を無視して、羊花に鋭い視線を向ける。
「司狼くんが貴方なんて好きになる筈ないのに!」
「……っ」
(貴方に言われる筋合いない!)
羊花は泣きそうになりながらも、それ以上に腹が立った。
声での身バレなんて気にせずに、叫び返してやりたいくらいに。
その衝動をどうにか飲み込む。
ここで口論しても何の得にもならない。砂川が羊花を敵と考えているなら、早々に離脱して黒崎達と情報共有するのが先だ。
(事実かどうかは、黒崎さんに聞く)
そう心に決めた羊花は、鱒渕の腕を引いた。
砂川に食ってかかろうとしている彼に、背後を指差すジェスチャーで『逃げよう』と提案する。
鱒渕は迷う素振りを見せたが、すぐに指示に従って砂川に背を向けた。どうやら羊花を巻き込んでまで我を通す気はないらしい。
「逃げるの?」
挑発的な言葉にも立ち止まらず、大通りを目指す。
しかし、僅かに決断が遅かった。
鱒渕と羊花の前に、ガラの悪い男達が立ち塞がる。
鱒渕は果敢にも羊花を背に庇うが、三対一では不利だ。しかも彼は喧嘩が弱いので、まず勝てる見込みがない。
「未愛、お前に絡んだのってコイツらか?」
「あ! もしかして、コレが未愛ちゃんの言ってた偽物?」
羊花達の背後に立つ砂川に、男達は話しかける。
肩越しに羊花が振り返ると、砂川はにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。
「そうなの。落ち着いてお話しできる場所まで、連れていってあげて」
絶体絶命という言葉が、羊花の脳裏を過る。
こういう時にいつも駆け付けてくれるヒーローのような人達の姿も、今日に限って見えない。
(どうしよ……)
「オレが合図したら走って」
鱒渕は羊花の耳元に顔を寄せ、潜めた声で告げる。
羊花は硬い表情で、小さく頷いた。
隙をついて大通りまで駆け抜けて、大声を出したら流石に怯むかもしれないと、羊花は考える。
非力で鈍足な羊花にその役目が務まるかは不安だが、やってみる価値はある。
「行け!」
鱒渕は前方に立つ一人目掛け、突進する。
無理やり壁際に押さえ付けた事により出来た隙間を、羊花は全力で走り抜けた。
追いかけてくる怒声と大きな物音を振り切るように、大きく息を吸い込む。
しかし、背後から伸びてきた手に塞がれてしまった。その上、ひたりと冷たく硬質な感触が頬に押し当てられる。
折り畳み式のナイフを見せびらかすように、男は羊花の眼前で振った。
「痛い目みたくなきゃ、大人しくしてろよ?」
羊花は為す術なく、唇を噛み締めた。
「おら、入れ」
羊花と鱒渕が連行されたのは、街はずれにある古びた建物だった。
テナントとして貸し出されていた物件だが、立地の悪さが影響して、どんな店が入っても繁盛せずに数年ごとに入れ替わっていた。最後に入っていたリサイクルショップが潰れてさほど経っていないが、室内は荒れている。
オーナーは新しく契約を結ぶ気が既にないのか、外観も内装もボロボロ。割れた窓にはベニヤ板が張ってあるだけというお粗末さ。
そうして、現在は不良のたまり場となっているらしい。
どんと背中を押され、狭い部屋へと羊花は入る。
バックヤード兼休憩室として使用されていた場所だろうか。空のスチールラックが数台並んでおり、安物の衝立の奥には簡素なテーブルとイスが放置されている。水道はまだ止められていないらしく、小さな流し台の蛇口からは一定間隔で水滴が落ち、白い桶の中の水面に波紋を描いていた。
「未愛。で、コイツ等どうすんの?」
「偽物見つけたんなら、直接、黒崎さんに渡せば話が早いんじゃないか?」
大柄な鼻ピアスの男と、ガリガリの腕に蛇のタトゥーが巻き付いた男が、小柄な砂川を挟むように話しかける。
(黒崎……さん? あれ、この人達って『他地区から流れてきた敵対チーム』じゃないのかな?)
羊花の記憶では、『Zoo』に喧嘩を売っているというイメージで固定されていたが、どうやら彼等の認識とのズレがあるらしい。
「その前にちょっとお話したいから、三人だけにしてもらえるかな?」
「分かった。コイツ等に何かされそうになったらすぐ呼べよ」
ガラの悪い男達は、そう言って鱒渕と羊花を睨む。
何かされるもなにも、後ろで手を縛られている二人に何が出来るというのか。
男達が退室すると、砂川は視線を羊花へと向ける。
「立話もなんだから座って……と言いたいところだけど、その前に」
手を伸ばしてくる砂川に、羊花は身構えた。
「お顔、見せてね?」
フードに細い手がかかる。
(やっぱり、見逃してくれないよね)
羊花は胸中で苦い溜息を吐く。
連行される間もフードには触れなかったので、このまま放置しれくれないかなと微かな望みはあったものの、それが無理だとも理解していた。
ぱさり、と背にフードが落とされる。
羊花は伏せていた目を開き、真っ直ぐに砂川と視線を合わせた。
砂川と、その向こうにいる鱒渕が同じような顔をして固まっている。
受けた衝撃の大きさを表すように、目を大きく見開いたまま。
「……真白、羊花」
やがて強張りの溶けた砂川は、信じられないと言いたげな声で羊花を呼んだ。




