17
明けて、月曜日。
兄に強制される形で作ったクッキーを、今度はちゃんと一人分ずつ包装した。萌絵や他の友達に配ろうと鼻歌を歌いながら登校した羊花は、正面玄関で待ち構えていた鱒渕を見て固まった。
そういえば何も解決していなかったんだと、ここに来て思い出す。
濃すぎる週末を過ごしていた為、持ち越しにした問題が頭からすっかり抜け落ちていた。
幸い鱒渕は誰かに話しかけられており、まだ羊花の存在に気付いていない。
登校する人達の影に紛れて、ゆっくり玄関から離れようとする。
しかし残念ながら、人の流れに逆らって別の方向へ進むのは目立つ。
そろりそろりと距離を取っている最中に、こちらを向いた鱒渕とばっちり目が合う。見開いた目が二度ほど瞬き、大きく開けた口が言葉を発する前に、羊花はその場から逃げ出した。
「羊花ちゃん!」
(呼ぶなぁああ!)
全ての規格が大きい鱒渕は、声も例に漏れずだ。
ピークではないとはいえ、そこそこ混み合い始めた玄関で名前を呼ばれるという苦行に羊花は心で泣いた。
何事かと向けられる好奇の視線が背中に刺さる。
足の遅い羊花ではすぐに追いつかれるかと思いきや、距離があったので、どうにか物陰に逃げ込む。植え込みに隠れながら、本校舎ではなく部室棟の方へと逃げ込んだ。
それでも鱒渕は諦めずに、微妙な距離を置いた先で羊花を探している。
下手に動くと見つかってしまう。けれど、だんだんと距離は縮まっているので、このまま蹲っていても同じ事。遅いか早いかの違いだ。
(どうしよ……)
悩んでいる間にも靴音は近付く。
一か八か走って逃げようと羊花は膝に力を込めた。
しかし、駆け出そうとした直前。部室棟の一室の扉が開き、中へと引き摺り込まれる。そして羊花を招き入れた人物は入れ替わりで、外へと出た。
(!? ……だ、だれ!?)
バタンと目の前で閉まった扉を見つめながら、羊花は混乱する。
扉一枚隔てた外から、知った声がした。
「あ、透くん! おはよう!」
「篠木。おはよう」
それは漫画のヒロインである隣のクラスの美少女、篠木咲良のものだった。
「この辺りで羊花ちゃん見なかった?」
「隣のクラスの真白さん? 見てないけど」
不思議そうな声に不自然さは欠片もない。きっと、何も知りませんっていうキョトンとした可愛らしい顔をしているんだろう。
(すご……女優ですか?)
「そっか。もし見かけたら教えてくれ」
「……透くん、なんで真白さんの事探してるの?」
篠木の声が僅かに低くなる。不穏さを含んだソレに羊花は寒気を覚えたが、鈍い鱒渕は気付いた様子もない。
「うん? ちょっと話がしたいだけだよ」
「真白さんは話したくないみたいだけど」
ざくっと鋭い言葉の刃が突き刺さり、鱒渕は一瞬言葉に詰まった。
「それは誤解があるっていうか……。オレはあの子に辛い思いをしてほしくないだけなんだけど、たぶん伝わってない。でも話せばわかると思う」
(はぁあああ!? 人の話を聞かない貴方が言います!?)
羊花は憤慨した。元から低かった鱒渕の好感度は地を這うどころか、地中にめり込んだ。
「……そうなんだ。でも、追いかけ回すのは可哀想だよ」
前半の乾いた声と、後半の可愛らしい声のギャップに羊花は戦慄した。
(こわ……。後半と前半の声のトーンが全然違う。なにこれ怖い。私もしかして、この後消される……?)
「真白さんは目立つの苦手そうだし。声を掛けるにしても、場所を考えてあげないと」
篠木の思惑がどうあれ、言葉自体は至極真っ当だった。羊花の望みをきっちり汲み取って、分かりやすく伝えてくれている。
「……そっか。だからオレ、羊花ちゃんに逃げられたのか」
(そうだけど、そうじゃない!)
鱒渕のポジティブさに、羊花は頭を掻き毟りたくなった。
確かに公衆の面前で話しかけてほしくはないが、二人きりならいいという問題でもない。
「ありがとな、篠木」
「どういたしまして」
たぶん表面上はにこやかに会話しているんだろう。けれど内面はおそらく、結露が発生しそうな温度差がある。
「あ、そうだ。透くん」
「ん?」
「これだけは覚えておいてほしいんだけど」
「うん」
「女の子の『嫌』は『嫌』、『迷惑』は『迷惑』だよ」
「……へ?」
「好きの裏返しとか、照れ隠しとか、曲解しないでね? そのまま素直に受け取って」
「……ハイ」
真正面から笑顔で斬り付けられ、鱒渕は暫し呆然とした。ぽつりとつぶやいた返事は、彼らしからぬ小さな声だった。
その後、力なく遠ざかっていく足音が一つ。
部室内の羊花は張り付いていた扉から身を離し、立ち上がる。ドアノブに手をかけようとして止め、所在なく立っていると、扉が開いた。
逆光で篠木の表情は良く見えない。
後ろ手に扉を閉めて、ようやく彼女の顔がはっきり分かった。
いつも溌剌とした笑みを浮かべている篠木は、真顔だった。
元気いっぱいで、人懐っこくて、クラスの中心で笑っている。そんな彼女の、感情の全てを削ぎ落したかのような無表情は迫力があった。
じっと羊花を見つめていた篠木は、数秒の間を空けてから口角を吊り上げる。お手本として載りそうな笑顔、でも目が笑ってないので恐ろしい。
「真白さん」
「……ハイ」
図らずも、さっきの鱒渕と同じ声量になった。ぷるぷると震える羊花の退路を断つように篠木は扉に背をつけた。
「少し、お話ししたいんだけど、いいかなぁ?」
全力でお断りしたいけれど、そんな選択肢が許される筈もなく。
蛇に睨まれたカエルの如く固まった羊花は、「はい」と力なく頷いた。




