16
自宅のリビングにて。
ソファーに座った羊花は、膝に抱えたアルバムのページを捲る。整然と並んでいるのは、小さな頃の羊花の写真だ。
今の羊花をそのまま小さくしたような小学生の女の子が、笑顔で写っている。
「うーん……」
眉間に浅く皺を刻みながら、羊花はページの端から端まで目を通す。
昔を懐かしんでの行動でない事は、表情から容易く読み取れた。
「あの子、やっぱり写ってないなぁ」
独り言が示す通り、羊花の目的は『黒崎らしき美少年』をアルバムの中から探す事。
子供みたいに大口開けた黒崎を見て、一瞬だけ過った少年の顔がどうしても気になっていた。
あれだけ鮮明に思い描けたのだから、空想ではない筈。
けれどその少年に関わる記憶は、頭の中の思い出を探っても一向に出てこない。手がかりを得る為に子供の頃のアルバムを引っ張り出してみても、何処にもその姿は見つけられなかった。
「まぁ、そうだよね。あんな美少年と友達だったら、流石に覚えてると思うし」
羊花は溜息を零す。
元からあまり期待していなかったとはいえ、やはり少しはガッカリした。
少しだけテンションが下がった羊花は、ぺらぺらと惰性でページを捲る。
ふと手を止めたのは、日本人形のように可愛らしい親友の姿を見つけたからだ。幼い羊花の隣に、緊張した面持ちの少女が行儀よく座っている。
(小さい萌絵ちゃん、かわいい)
この頃の萌絵は人見知りで、羊花も普通に話せるようになるまで結構時間がかかった思い出がある。
ちょっとずつ仲良くなっていく過程が写真の中の距離感にも表れていて、くすぐったい気持ちになった。
少し空いた隙間が徐々に減って、やがて肩が触れる。手を繋いで、頬をくっ付けて。羊花と同じようにとびっきりの笑顔で写るまでに、約一年。
「……あれ?」
慈愛の籠った眼差しで写真を眺めていた羊花は、ページを捲って再び手を止める。何故か唐突に、違和感を覚えた。
期待していた笑顔の萌絵の写真がなかったのも理由の一つ。でもそれだけじゃない。
喉の奥に小骨が引っ掛かったような不快感に、羊花は小さく唸る。
ページの前後を見比べると違和感は更に際立った。
何が変なのかを探る為にページを戻って、進んでを繰り返す。数十秒を費やして、やっと思い当たる。
「……これ、抜けてない?」
羊花の両親は共働きだが、イベントには絶対に参加してくれたし、記録もちゃんと残していた。写真も春夏秋冬を追うように、季節ごとの服装をした羊花がちょっとずつ大きくなる姿が丁寧に収められている。
だからこそ気付けた。このアルバムからは一年分の羊花の記録が、ごそっと抜け落ちている。
(なんで? プリントする前にデータが消えたとか?)
「羊花」
首を捻っていた羊花だったが、呼ぶ声に意識を引き戻される。
リビングに入ってきたのは羊花の兄、辰樹だった。
短く切り揃えられて清潔感のある黒髪と、切れ長な一重の目。顔立ちに派手さはないものの凛々しく、体つきも逞しい。パーツごとに見ると羊花とは似ていないが、並ぶと兄妹だと分かる。
大河ドラマの端役で密かに人気が出そうな顔、とは羊花の従妹の評価だ。
「お前、クッキー何処やった?」
「え、もう無いけど」
「は?」
肩越しに振り返って答えると、辰樹は目に見えて不機嫌になった。
意味が分からないと顔に書いてあるが、羊花も意味が分からない。
「なんで」
「なんでって、人にあげたからだよ」
「あんなに大量に焼いてたのに全部? 兄ちゃんには一枚も寄越さないで?」
信じられねぇと嫌味ったらしく呟かれて、羊花は呆れた。
以前に焼いた時には、甘さが足りないだの粉っぽいだの文句たらたらだったのに、まさか食べたかったのか。
そういえば散々な言われようだったのに完食していたな、と羊花は遠い目をする。
「そう、全部。まさか粉っぽいクッキー食べたかったとは思わなかったし」
「……可愛くない」
羊花はにっこり笑って嫌味に嫌味を投げ返す。
可愛くなくて結構だと心の中で舌を出した。
「渡す人の好みを考えて甘さ控えめだったし、どうせ口に合わなかったと思うよ。それに手作りクッキーなんて、お兄ちゃんが欲しがればくれる女の子がたくさんいるでしょ? そっちに頼みなよ」
素気無く言うと、辰樹は嫌そうに顔を顰めた。
「絶対に嫌だ。何が入ってるか分かったもんじゃない」
表情と語気の強さから、実害にあった事があるのだなと羊花は思った。
辰樹は美形ではないものの、女子に人気がある。
不愛想でとっつきにくいが、女子供には優しい。リーダーシップもあり、頼りになる。高校では剣道で全国大会まで行った経験も相まって、地味に人気が高かった。特に、大人しい文系女子にファンが多く、分厚いラブレターが郵便受けに入っていた事が度々あった。
「それよりも、羊花。お前、誰にやったんだ」
「え?」
一転して、詰問する口調になった辰樹に羊花は目を丸くする。
「甘さ控えめな好みって言ったよな。男か」
問いかけながらも疑問形ではなく断定している。
予想外な言葉をぶつけられ、羊花は一瞬呆けた。
ぱっと思い浮かんだのは『美味い』と笑った黒崎の顔。その時の気持ちまで引き摺られる形で鮮明に蘇り、顔に熱が集まった。
「……は?」
赤面した羊花に、辰樹は低い声を出す。
「は?」
なぜもう一回言ったと羊花はツッコミたかったが、辰樹の顔が怖すぎて言えない。
「お前、本当に男にやったのか? 誰だ。何処のどいつだ」
子離れ出来ていない父親のようなセリフを真顔で言われ、羊花は焦った。
本当に男子に渡したのだと知られたら、おそらく面倒な事になる。
「……甘さ控えめにしたのは、萌絵ちゃんの好みだからだよ」
苦し紛れの言い訳だ。
しかし実際、萌絵は甘すぎるものは好みでない。コーヒーは無糖派だし、チョコはビターを好む。
幼馴染である萌絵は家にも何度か遊びに来ているし、珈琲を淹れる時の会話でその話もした事があった筈だ。
「じゃあ何で赤くなった」
(面倒臭っ)
引く様子のない辰樹に、羊花は辟易した。
たかがクッキーを男子に渡したくらいでは、羊花の父だってここまで面倒臭くはならないだろう。
「気のせいでしょ」
「そんな訳……」
「あ、そういえば! 聞きたい事があったんだ」
流石に無理があると分かりながらも適当に返すと、辰樹は苦虫を嚙み潰したような顔になる。即座に切り返えされた言葉を、羊花は慌てて遮った。
何か良い話題はないかと考えて、手元のアルバムの存在を思い出す。
開いたページを辰樹の眼前に突き付けると、虚を衝かれたのか動きを止めた。
「アルバムの写真が一年分抜けてる気がするんだけど……」
お兄ちゃん、何か知らない? と羊花は続けるつもりだった。
もちろん答えなど期待していない。
妹のアルバムなんて、大多数の兄は興味がないだろう。一冊まるごと紛失したところで気付かないだろうに、一年分の欠如の理由など知る筈がない。そう、羊花は思っていた。
けれど羊花の予想を裏切って、辰樹は息を呑む。
まるで触れてほしくない事に触れられたかのように、表情があからさまに強張った。
「……お兄ちゃん?」
「知らない」
恐る恐る呼びかけた羊花の声に、辰樹は我に返る。
そしていつもの不愛想な顔に戻った彼は、端的に呟いた。
「父さんがうっかりデータ失くしたとか、そんなところだろ」
「え、ああ……そう、だよね?」
呆気に取られた羊花は、納得出来ていないながらも頷く。
「そんな事より、クッキーを焼け」
「は?」
「今度は兄ちゃんの為に、兄ちゃん好みの甘さで作れ」
「は?」
羊花の手からアルバムを取り上げた辰樹は、乱暴な手付きで棚に戻す。
ソファーから立ち上がらせた羊花の背後に回り込み、キッチンの方へと押す。
誤魔化されているのは分かったけれど、辰樹の不自然な態度を見る限り、探りを入れても話してはくれないだろう。
追及を諦めた羊花は、自発的にキッチンへと向かった。




