15
「おい。ひぃ」
黙って二人のやり取りを見守っていた茶臼山が口を開く。
ずい、と掌を差し出され、羊花は目を丸くした。
「大人しく出せ」
「……」
(強盗か!)
端的な命令に、心の中で噛み付く。
「今日はコンビニ寄ってこなかったから、腹減ってんだよ」
「……もう少ししたら黒崎さんが、プロ顔負けのお菓子を持ってきてくれるのでは?」
「は? 総長がお前以外に食わすと思ってんのか?」
馬鹿なの? と表情で告げられて苛立つものの、反論は出来ない。溜まり場に来る度に供されるお菓子や料理は、基本、羊花の前に置かれる一皿のみだ。
「一人で美味しいもの食ってて申し訳ないとか思ったか? ん?」
「う……、はい」
「なら観念してとっとと出せ」
小さく呻いて頷いた羊花に、茶臼山は良い笑顔で手を差し出す。
暫く抵抗するように無言で茶臼山を見つめていたが、どうやら許してくれないらしいと悟ると、傍らのリュックを引き寄せた。
取り出したのは色気もそっけもない、ファスナー付きのプラスチックバック。その中には色んな種類が一緒くたに入っている。
周りにグラニュー糖をまぶしたディアマンクッキーは、プレーンとココアの二種類。同じ生地の応用で市松模様の物もある。
チェリーやピスタチオを飾った華やかな見た目の絞り出しクッキー。形は不揃いながらも、それが逆に美味しそうに見えるドロップクッキーは、オーソドックスなチョコチップ、ピーナッツバター、ドライフルーツと種類も豊富だ。
クッキー自体はかなり美味しそうな見た目に仕上がっているが、適当に詰め込んだ上に適当に運ばれて、既に欠けたり割れたりしているものもある。
朝のうちはもうちょっと形を保っていたけれど、鱒渕から逃げているうちに存在を忘れ、雑な扱いをしてしまったんだろう。下の方に溜まった粉が物悲しい。
梱包がジップ〇ックという事も相まって、『女子高生の手作りクッキー』という付加価値すら薄れる残念仕様。
(我ながら、コレはない……。萌絵ちゃん達にも食べさせなくて良かった)
流石の茶臼山も拒否するだろうなと羊花は思った。
しかしその予想は裏切られる。
「よし」
にこやかな笑顔のまま、茶臼山はクッキーの入った袋を持ち上げる。
「最初っから素直に出しゃあ良いんだよ」
外側から眺めて「どれにすっかな」と悩んでいる茶臼山に、羊花は戸惑う。
「あの、本気で食べるんですか?」
「あ? 今更返さねーぞ」
茶臼山は警戒するように袋を持ち上げ、羊花から遠ざけた。
そして丁度良い場所に来たとばかりに、傍にいた紫倉はその袋に手を突っ込んでクッキーを取り出す。
「あ、テメェ! オレ様より先に食ってんじゃねえよ!」
「いただきますね、羊花さん」
ドロップクッキーを手に、紫倉は優雅な笑みを浮かべる。
口に運ばれていくのを何となく見守ってしまっていたが、口に入る前に、伸びてきた手にクッキーが取り上げられた。
「おや」
「何やってんだ、お前ら」
片手にクッキー、もう片方の手には皿を持った黒崎が立っている。
それも何故か、酷く不機嫌そうな顔で。
苛立たしげに紫倉を睨んだ視線が、そのまま羊花へと向けられた。
「……っ?」
眉間に皺を深く刻み、眇めた目はひやりと冷たい。怖い顔は何度か見た事があったけれど、睨むような視線を自分に向けられた経験はほぼ無い羊花は、ビクリと肩を揺らした。
(な、なんでそんな不機嫌なの……?)
事態が把握出来ずにいる羊花と違い、茶臼山と紫倉は不機嫌の原因に心当たりがあるらしい。冷や汗を流す彼らの顔には、『やべぇ』と書いてあった。
「総長。ひつじちゃん怖がってる」
遅れて入ってきた浅黄は、そう言って黒崎の肩を軽く叩いた。
暫しの沈黙の後、溜息を一つ。黒崎の怒気が霧散して、羊花は肩の力を抜く。
「お前らさぁ……こうなるの分かってて抜け駆けとか馬鹿じゃないの」
茶臼山の手からクッキーの入った袋を取り上げながら、浅黄は呆れたように言う。
「この機会を逃したら、二度と僕の口には入らない気がしまして」
「オレは普通に腹が減っただけだ」
紫倉は苦笑して、茶臼山は拗ねたようにそっぽを向く。
どちらも反省の色はない。ギロリと一瞥した黒崎は、指先で摘んでいたクッキーを皿の隅に乗せると、羊花の腕を掴んだ。
痛みはないものの、拒否出来ない強引さで立たせて「行くぞ」と腕を引いた。
「えっ、ど、どこへ……?」
涙目でおろおろとする羊花に、浅黄は気の毒なものを見る目を向ける。
大丈夫だよ、と気の抜ける笑顔で言われても、羊花は何一つ安心出来なかった。
「そうちょー。ひつじちゃんに変な事したら、このクッキー全部オレが食うからね」
「ふざけんな。欠片でも食ったら殺す」
捨て台詞を残して黒崎は、羊花を連れて部屋を出た。
光源がグレアレスの照明のみの廊下は、一足先に夜が訪れたかのように薄暗い。急に心細くなって黒崎の背中を見上げると、丁度、突き当りの扉を開けたところだった。
カウンター席とテーブル席合わせても、二十席にも満たないこじんまりとした店内は静まり返っていた。開店時間はかなり先なので、準備に追われる店員の姿もない。
カウンター席の一つに羊花を座らせ、黒崎はその隣に腰を下ろす。
距離の近さが気になって落ち着かない羊花は、逃げるみたいに店内を見回した。
寄木細工のような不思議なデザインの壁を、黒い傘を被ったアンティーク電球がぼんやりと照らす。フローリングは無垢のウォールナット。
バーカウンターは継ぎ目のない一枚板で、材質はチーク。その奥には照明が内蔵された棚があり、酒の入ったボトルを幻想的に浮かび上がらせていた。
材質一つ一つが、一切お金を惜しんだ様子のない高級品。店内が狭いのも予算の関係ではなく、隠れ家を演出する為だろう。
瀟洒な店内をぐるりと眺めて、羊花は余計に落ち着かなくなった。
さり気なく飾られた小さな絵や真っ黒なボトルの値段は分からなくても、自分が場違いな事は分かる。
こんな場所に、制服姿の垢抜けない女が似合う訳がない。
(場所の問題だけじゃないか)
自嘲気味にそう思いながら、羊花は黒崎を見る。同じく制服姿なのに、欠片も浮いて見えない。
当然だ。この店は黒崎の持ち物なんだから。
成人前である黒崎は直接、経営に関わる事はない。しかし出資しているのは彼で、土地も店も彼の所有物らしい。
らしい、というのは茶臼山から又聞きした話だからだ。深く突っ込む勇気を羊花は持っていないので、真実を確かめた事はない。
お金持ちで、カリスマで、喧嘩も強い。
その上で、この容姿だ。
薄明りの中、相対する美貌を羊花は見上げる。
日本人離れした彫の深い目鼻立ちに、少し厚めの唇。削げた頬から顎、太い首と続くラインは男臭い。まだ十代なのに、とんでもない色気だ。
体もかなり鍛えているからか、細身のモデルというより、ハリウッドスターのようだと羊花は思う。
(なんで私に構うんだろ……)
黒崎が望めば、殆どの女性は彼の気持ちに応えるだろう。
たぶん彼の好む素朴な女性も、その中に含まれる。羊花に拘る理由は何一つ思い浮かばなかった。
機嫌が悪くても尚……否、機嫌が悪いからこそ、より研ぎ澄まされた美貌を羊花はぼんやりと眺める。
「お前……」
心ここにあらずといった風情の羊花に、黒崎の機嫌は更に下降した。
何かを言いかけた彼は、珍しくも途中で止める。そして肺から空気を押し出すが如く長い息を吐いてから、短く告げる。
「……食え」
示されてようやく、羊花は前に置かれた皿に意識を向けた。
飾り気のない真っ白なプレートに乗っているのは、シフォンケーキだった。八分の一サイズにカットされ、横倒しになったケーキに生クリームが寄り添い、その上にはちょこんとミントの葉が置かれている。
相変わらず美味しそうだと思うのに、いつものように胸が躍らないのは、その端に鎮座する不格好なクッキーのせいだろうか。
羊花はなるべくそれを視界に入れないようにしながら、フォークに手を伸ばした。
曇りのない銀のデザートフォークとシンプルな皿が、デンマーク王室御用達の某老舗陶磁器会社製である事を羊花が知ったら、おそらく味など分からなくなるだろう。
「いただきます」
小さな声で呟いてからフォークを入れる。一口大に切り分けたソレに生クリームを乗せて、口へと運んだ。
ふわりと柔らかな生地を噛んだ瞬間、アールグレイの香りが鼻から抜ける。お手軽にティーバッグや粉を練り込んだのではなく、ちゃんと紅茶を淹れて抽出したものを使用しているのだろう、丁寧な仕上がりだ。
生クリームは甘さ控えめだが、牛乳そのものの美味しさをしっかり感じる濃さ。コクがあるのにしつこくなくて、舌の上でさっと溶けて消える。
「美味しい」
文句のつけようのない味。百点満点。
でも羊花の顔に、いつもの締りない笑顔はない。
萎れた花のような顔でもそもそと食べる羊花を見て、黒崎の機嫌はまたしても坂を滑り落ちていく。
しかしその苛々を羊花にぶつけない程度の理性は残っていた。
どうにか感情を殺し、彼女に気付かれないまま立て直そうと、皿の端っこにぽつんと置かれたままのクッキーを摘まみ上げる。
「あ!?」
クッキーを持った黒崎の手を、羊花は反射的に掴む。
鈍い羊花にしては、まずまずの反応速度だった。
太い手首に指が回らずに添えるだけになってしまっているが、どうにか止められたのは、黒崎側の協力があってこそ。
視線で意図を問われ、羊花は焦った。
「……っあ」
じっと羊花を見つめる目は、不機嫌さは滲んだまま。けれど真っ直ぐに、瞬きもせず羊花の言葉を待っている。
静かな黒い瞳に、酷く落ち着かない心地になった。
「……それ、たぶん、美味しくない、です」
言語中枢が突然バグったみたいに、途切れ途切れの単語で話す。
誰に出しても恥ずかしい出来だけれど、特に黒崎には食べさせられないと羊花は思う。
大きな手から、クッキーをそっと取り返す。
さっさと消してしまいたくて、そのまま自分の口に放り込もうとした。
「おい」
けれどそんなの、黒崎が許すはずもなく。直前で手を掴まれる。
「美味いか不味いかなんて、食ってみなきゃ分からねぇだろ」
「わ、分かります。少なくとも、貴方が作ったものより……」
美味しくない、と消え入りそうな声で呟いた。
「好みなんて人それぞれだ。勝手に決めんな」
「だって、そもそものスキルが違うし」
「レストランより家の味のが美味い事だってある」
「それは確かにありますけど、私と貴方とじゃ……」
「羊花」
言い訳を続ける羊花を黙らせる為に、少し強めの声で呼ぶ。
「あ」という発音と共に、餌を待つ雛鳥の如くパカリと大きく口を開けた。
(……ん!?)
目の前の光景が信じられなくて、羊花は己の目を疑った。
しかし、軽く目を擦っても何も変わらない。黒崎は、いわゆる『あーん』待ち体勢のまま動かない。
(しょ、正気!?)
可愛らしい子供のような仕草なのに、顔が良すぎて全然可愛らしく思えない。
羊花がそう考えた次の瞬間、黒崎の顔に別の顔がダブって見えた。
ほんの一瞬。
サブリミナル効果を狙った広告みたいに、割り込んだ映像。
小学生……おそらく十歳くらいの子供だ。とても整った顔立ちで、品の良い男の子。大人しそうな印象も、痩せた体も似ていないのに、不思議と黒崎の面影があるような気がした。
(今のなに……?)
想像と呼ぶには、あまりにリアル。
けれど羊花の記憶をどれだけ探っても、思い当たる存在はいないし、思い出もない。映画から1カットの映像だけ切り抜いたみたいだ。
羊花はゴツンと己の頭をノックしてみる。もちろん、応えはない。
そうしているうちに、ずっと放置されていた黒崎が、不満げに片目だけそろりと開けて、羊花を見た。
「はやく」
「……文句は受け付けませんからね」
今さっきの映像のインパクトに、うじうじとした葛藤や羞恥が追いやられた。
全てがどうでもよくなってきて、雑な手付きでクッキーを黒崎の口に押し込む。
目を開けた黒崎は、ザクザクとクッキーを咀嚼した。
「……ん。ピーナッツバターとオートミールか。あとメープル」
「……正解です」
飲み込んでからすらすらと答えた材料は、完璧な正解。
分かりやすい部類の食材とはいえ、食べただけですぐ分かるのは流石だ。
ここまで来ると、美味いか不味いかなんて張り合っていたのが馬鹿馬鹿しくなってくる。寧ろここからどう上達していけばいいか、教えを乞う方が良いなと、羊花は開き直った。
しかし今の今まで料理人の顔で材料を当てていた男は、一転して顔を緩める。
それこそ子供みたいな締りのない顔で、瞳を細めた。
「美味い」
たったそれだけ。
その一言に撃ち抜かれる。一瞬だけど、心臓も止まった気がした。
「……っ」
赤く染まった顔を隠すように手で覆って、羊花は項垂れる。
(何それ、狡い……!)
敗北感を覚えながら、羊花は心の中で歯噛みした。




