13
翌日の学校にて。
羊花は鱒渕に追いかけ回されていた。
朝一で捕まり、ホームルームを理由にどうにか帰らせたが、その後も休み時間の度に押し掛けられる。
流石に教室で『Zoo』の話をする程、鱒渕は短慮ではなかったが、それ以外は全く気を遣えていない。
せめて人がいない時間と場所を選んでくれたらと羊花は思ったが、今更だ。
さして交流のなかった二人……しかも輪の中心にいるタイプの鱒渕と、大人しくて存在感のない羊花の組み合わせは目立つ。
その上、揉めているようだと知れば、内容が気になるのが人間というもの。
何事かと様子を窺う人の数は、時間経過と共に増えていた。
「萌絵。羊花ちゃんは?」
「知らない」
「話があるからって、伝言してくれ」
「黙れ、消えろ」
どうにか耐えられているのは、萌絵が間に立ってガードしてくれているからだ。
それから、表立っての介入はないものの、こっそり逃がしたり、隠したりしてくれる他の友人達の助力も大きい。
聞きたい事は沢山あるだろうに、まずは羊花の平穏を守ろうとしてくれる彼女らを見て、羊花は改めて『良い友達を持ったな』と実感した。
休み時間ギリギリまで粘っている鱒渕を、ヒロインである篠木が回収していくのを見送り、羊花はほっと安堵した。
扉が閉まるのを見届け、萌絵は振り返って羊花を手招く。
ギターケースと机の影に匿ってくれていた友人にお礼を言って立ち上がると、苦笑した彼女は「あとで話聞かせてよ」とだけ言った。
「萌絵ちゃん、ありがとう」
席に戻ってきた羊花を、萌絵はじっと見つめる。
数秒の気まずい沈黙。目を伏せた萌絵は、短く息を吐き出した。掻き上げた髪は指通りが良く、僅かのひっかかりもなくさらりと流れた。
「なんであのバカに付き纏われてるのって聞きたいけど、今は止めとく。……どこで誰が聞いてるのか分かったもんじゃないし」
そう言って萌絵は、威嚇するように近くにいた生徒を睨む。
興味津々で覗き込んでいた女子生徒は不自然に目を逸らし、聞き耳を立てていたらしい男子生徒は慌てて立ち去った。
「でも近いうちに、ちゃんと話してよね」
「……うん」
羊花は真剣な顔で頷いた。
こうなった以上、変に誤魔化しては余計に拗れる。
現在抱えているトラブルを説明して、回避する手立てを一緒に考えてもらった方が建設的だろう。
そうして逃げ回り続けて、放課後。
靴箱で張っている鱒渕に萌絵が突っかかっている間に、別の友人が靴を持ってきてくれるという連携プレーのお蔭でどうにか逃げおおせた。
人気のない裏門からこっそり出た羊花は、ようやくそこで緊張を解く。
しかし、その直後。
背後からポンと肩を叩かれた羊花は、比喩でも誇張でもなく、文字通り跳ねた。
「ひっ!?」
「うぇ!?」
短い悲鳴を発した羊花と同じく、肩を叩いた人物も驚きの声を上げる。それが誰の声かなんて考える余裕もなくて、羊花はその場にしゃがみ込む。
ビビリな羊花にとって、執拗に追いかけてくる鱒渕の存在は既にうざいとか苦手なんて領域を超え、恐怖の対象だった。
初回だけ頑張って言った『迷惑です』という言葉を、一切聞き入れてくれないのも理解不能で、更に恐怖に拍車をかけている。
(もうやだ。どっか行って……!)
涙目の羊花は、自分の身を守るように頭を抱えて小さくなった。
傍に立つ人が羊花の様子を窺うように膝をついても、頑なに顔を上げる事を拒む。
「ひ、ひつじちゃん……? 迎えに来たの、そんなにヤだった……?」
弱り切ったような声が、予想していた人物のものとは違うと気付き、羊花は目を丸くした。
恐る恐る顔を上げる。
するとすぐ傍にあったのは、雑誌の表紙を飾るモデルと比べても遜色のない美貌。情けなく眉を下げても崩れない、というか母性本能を擽るという評価になるのだろうから、イケメンというのは得だ。
「あさぎさん……」
「え、うん。オレだよ?」
目の前にいるのが鱒渕ではなく浅黄だと知り、羊花は肩の力を抜いた。
安堵の息を零すと、今度は浅黄が目を丸くする。
「良かった……」
「!」
思わずポロリと零れた独り言は、誰に向けたものでもないからこその本音。心からの言葉を聞いて、浅黄は息を呑む。
一拍置いてから、さっと頬が赤く色付いた。
「お迎えに来てくれたんですね。有難いです。もうちょっと先で着替えますので……。って、どうかしました?」
安心した羊花はすぐに切り替え、立ち上がる。
浅黄がいるなら早めに着替えても絡まれる事はないだろうし、鱒渕の追跡を躱せるだろうと考えて提案する。
けれど振り返った先、浅黄がしゃがみ込んだままなのを見て、首を傾げた。
項垂れていた浅黄は、赤くなった顔を隠すみたいに口元を手で覆っている。
羊花へと恨みがましい目を向けるが、あまり迫力はない。
「……ひつじちゃんさぁ、もしかして凄い悪女だったりする?」
「え?」
「男を掌で転がして、楽しんでいたりしない?」
「……はぁ?」
呆れたような声と表情は、明らかに理解不能だと示している。
それを見た浅黄は「だよねぇ」と諦観混じりの呟きを零し、ゆっくり立ち上がった。
「天然だからこそクる訳だし」
「……日本語でお願いします」
言葉遣いはギリギリ丁寧語でも、尖った視線が『分かる言葉で喋れや』と告げている。そのギャップがまたおかしかったのか、浅黄は声を出して笑った。
「いつもものすごーく迷惑そうな顔しか向けられてなかったオレには、ひつじちゃんの気の抜けた笑顔は刺激が強かったんだよ」
「……その点は、大変申し訳なく思っている次第でございまして」
「引っかかって欲しかったのはソコじゃないんだよなぁ」
今まで酷い態度しかとっていなかった自覚のある羊花は、身を縮めた。しかし浅黄はすぐに、そうじゃないと軽く否定する。
「頼るのは全然構わない……ってか、ひつじちゃんが巻き込まれるトラブルの多くはオレらのせいだし、当たり前だと思ってこき使ってくれてオッケー」
「今回は私がまいた種ですが」
「細かい事は気にしなーい」
その話はここまでだと、浅黄は手を振る。
「さて。じゃあ、変なのが来る前にお着替えしちゃおうねぇ」
浅黄は羊花の背を押して、死角へと誘導する。判子を押したみたいに同じ形をした建売住宅の間の小道へと入った。
羊花がもたもたとパーカーを着る様子を、至極楽しそうに眺める。
やけに機嫌がいいなと思いつつも、その原因が自分だとは思いも寄らない羊花なのだった。




