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「困っている女の子を助けるのは良い事です。でも、もうちょっと考えてから行動してください」
「えっと……それはさっきの話かな?」
「それだけじゃないけど、それも、です」
「……うん。結局二人で手を繋いで逃げていったしね。オレが口出さなくても、たぶん普通に仲直りしてたんだろうな」
「それは、分からないですけど」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
そのまま拗れて別れていた可能性もある。それでも、結局は二人の問題だ。
手が出そうになっていたならともかく、普通の口論で、しかも彼女側も負けていなかった。なら赤の他人が介入するべき話じゃない。
……と、羊花は個人的に思うけれど、問題はそこじゃない。
「鱒渕君、喧嘩弱いじゃないですか」
「あはは……。ハッキリ言うなぁ」
「それなのに揉め事に首突っ込んでばっかりじゃ、いつか大変な事になりますよ」
漫画の鱒渕はそうしてトラブルに巻き込まれ、周りを危険に晒し、己の在り方を見つめ直していく。
力のない正義が、いかに無謀で脆いものなのかを知っていく訳だが、羊花は思う。そのイベント、本当に必要? と。
大切な人が傷付けられる事で、主人公が精神的に成長するイベントは漫画ではよく見る。定石ともいえる黄金パターンだろう。
分かりやすいし、なにより感動するから羊花だって嫌いじゃなかった。
でも現実世界として考えると、あまりにも理不尽だ。
羊花の人生の主役が羊花であるように、一人一人に人生がある。誰も他人の人生の脇役なんかじゃない。
それなのに、主役の成長の為に消費されるなんてあんまりではないか。
もしその対象が萌絵で、心身に傷を負う事態にでもなったら、今度こそ羊花は鱒渕を許せなくなる。
それなのに当の本人は呑気なもので、へらりと緩く笑う。
「それはまぁ、自業自得だし」
頬を掻きながら苦笑する鱒渕に、羊花は目の前が赤く染まるような怒りを覚えた。
「だから! 貴方だけじゃなくて周りも巻き込まれるかもしれないって、そこを考えろって言ってんです!!」
「っ!?」
「貴方を狙う人が、ご丁寧に貴方だけをターゲットにするとは限らないでしょう!? 友達とか家族とか幼馴染とか、貴方の大切な人が傷付くかもしれないって、ちょっと頭を働かせれば分かるでしょうが、この馬k……」
この馬鹿! とまでは言い切らずに済んだ。
済んだけれど、さしたる違いはない。
「……羊花ちゃん」
感情のままに叫んでいた羊花は我に返る。
呆気に取られた鱒渕の顔を見て、自分がやらかした事を自覚した。
(やっちゃった……。ここまで言う気はなかったのに)
こうも好き勝手に言われては、お人好しな鱒渕でも怒るんじゃないかと蒼褪める。大柄な男子相手に喧嘩を売ってしまったと、羊花は震えた。
しかし鱒渕からの反応は、中々返ってこない。
酷く真剣な顔で、何かを考えこんでいる様子だ。
「……あの?」
あまりにも長く沈黙が続いた為、羊花は恐る恐る声を掛けた。
「……ごめん」
ぽつりとした声で、鱒渕は呟く。
「え?」
「オレ、馬鹿だ……」
そうだねとナチュラルに肯定しそうになって、羊花は慌てて口を引き結ぶ。
羊花が彼を『良い人だけど迷惑な馬鹿』だと思っているのが事実だとしても、今はそれを素直に言っていい空気ではない。
「変わるつもりで、何にも変わってなかった。また萌絵や羊花ちゃんにも迷惑かけるとこだったんだ……」
悔いるように顔を歪め、弱弱しい声でぽつぽつと話す。
その様子に羊花は驚いた。
鱒渕は素直で単純だからこそ、暴走しがちな部分がある。こうと思い込んでしまったら、人の話にも耳を貸さない。
漫画では、その愚直なまでの真っ直ぐさが、あだとなる事もあったのだが。
(もしかして……今の彼なら割と話が通じるの?)
「本当に、ごめんね……?」
鱒渕は、叱られた犬のようだ。
しょんぼりとした彼に謝られ、羊花は頭を振る。
「こ、こっちこそ、好き勝手言ってごめんなさい。知ったような顔で偉そうな事言っちゃって……」
「謝らないで。オレ、叱ってもらえて嬉しかったし」
「……へ?」
予想外な言葉にきょとんと目を丸くする。
鱒渕は頬を薄っすらと赤く染め、じっと真っ直ぐに羊花を見た。
「オレや萌絵の事を心配して、怒ってくれたんでしょう?」
「いえ、それは」
(私が心配なのは萌絵ちゃんだけであって、鱒渕くんはついでというか……)
しかしそれを正直に言っても、ポジティブな鱒渕にはツンデレとしか思われない。
もごもごと口籠りながら悩む羊花に、鱒渕は笑いかける。
「羊花ちゃん、優しいね」
「っ!?」
その喜色が溢れるような笑顔を見て、羊花は背筋に悪寒が走った。
フレーメン反応を起こした猫のような顔で固まった後、蒼褪める。とてもじゃないが、爽やかなイケメンに照れ顔で微笑まれ、尚且つ「優しいね」などと言われた女子の顔には見えない。
(と、鳥肌たった……!)
羊花は、毛穴の開いた腕を擦る。
(なにいまの恋愛イベントみたいなやつ!? 私みたいなモブまでハーレムに加える気……? いやでもハーレムに加入するにはスペックが足りなすぎるし、賑やかし要員?)
混乱する羊花の脳内では、鱒渕の背後で『キャーカッコイイー』と棒読みで叫ぶ自分の姿が思い浮かんでいる。
絶対に嫌だと心から思った。
「……羊花ちゃん」
「ひえっ!?」
鱒渕に手を取られ、羊花の肩が跳ねる。
慌てて振り払おうとしても、ビクともしない。
「は、はな、離して……」
「羊花ちゃん、オレ」
真剣な顔をした鱒渕に詰め寄られ、羊花が涙目になったその時。
鈍い音と共に、羊花の眼前から鱒渕の姿が消えた。
そのすぐ後に、何かが転がってぶつかる派手な音が鳴る。
固まっていた羊花が視線を向けると、ゴミ箱を巻き込むようにして道路に倒れ伏す鱒渕がいた。
「ってぇ……!?」
元気に痛がっているので、どうやら無事らしい。
横っ腹の辺りに靴底の跡がくっきりついているので、蹴り倒されたようだ。
羊花は、自分に差す影を追うように視線を上へと向ける。
長い足をゆっくりと下ろし、鋭い目付きで鱒渕を睨め付けている男の横顔は、怖いくらいに美しい。
「誰の許可を得て、慣れ慣れしく触ってやがる」
低い声は張り上げた訳でもないのに、よく通る。
艶があって、少し甘くて。お腹に響くようなその声に、羊花は無意識のまま、ほっと安堵の息を吐く。
頭で理解するよりも早く、体が警戒を解いた。
「え、く、黒崎さん……!?」
自分を蹴り倒した相手が黒崎だと知り、鱒渕は驚愕している。
混乱しながら「なんで?」という当然の疑問を呟いているが、黒崎は鱒渕を無視して羊花へと目を向けた。
座り込んだままの羊花を見て、鋭い目が気遣うような色を帯びる。
眉を僅かに寄せた黒崎は、腰を折って羊花を覗き込む。手を差し伸べ、「大丈夫か」と聞いた。
羊花は、そこでようやく呪縛が解けたかのように、ぱちぱちと瞬く。
今までの自分を振り返って、茫然とした。
(……わたし、今、この人見て安心しなかった……?)
黒崎の手を借りて立ち上がりながらも、羊花の頭の中は大混乱だ。
(う、嘘でしょ……。助けてもらったからって、チョロすぎない!?)
危ないところを助けてもらっただけで、黒崎の傍を安全地帯だと認識しかけている事に気付き、羊花は愕然とする。
危険人物だと知っているにも拘わらず、簡単に警戒を解いた己が信じられなかった。
「あ、あの! 羊花ちゃんから離れてください」
「あ?」
壁に寄り掛かっていたせいで少し埃のついた羊花の背中を、甲斐甲斐しく叩いてやっていた黒崎は、ぶしつけに声をかけられて顔を顰める。
睨まれた鱒渕の肩がビクリと跳ねた。
しかし退くつもりはないのか、背筋を伸ばして対峙する。
「その子、オレの友達なんです」
「……で?」
だから何だと、黒崎は最低限の単語だけで聞き返す。
人でも殺してきたかのような凶悪な顔になっているが、全く崩れておらず、研ぎ澄まされた刀のような美しさがある。
美形は得だなと、羊花は震えながら現実逃避のように思った。
「貴方がたの遊びに付き合える子じゃない。返してください」
ぴくりと黒崎は、不快そうに片眉を跳ね上げた。
黒い目が、すぅ、と眇められる。視線が合っただけで凍り付きそうな冷たい瞳だった。
黒崎は分かりやすく激昂したりはしない。
静かに「へえ」と呟いただけ。しかしそれが、酷く恐ろしい。チンピラの恫喝が可愛らしく思えるレベルだ。
しかし対峙する鱒渕は、真っ青になりながらも逃げなかった。
「お前のもんじゃないのに、返せって?」
「そ、それは、そうですけど……っ。貴方のものでもありません! ていうか、貴方には彼女がいるでしょう!?」
必死に食い付いてくる鱒渕の言葉に、黒崎は首を軽く傾げた。理解不能だと表情で示され、鱒渕は「あの子です!」と強く主張した。
「アニマルパーカー着ていた子ですよ!」
「…………」
「…………」
羊花と黒崎は、同じような顔で沈黙した。
こいつ気付いてねぇのかと、図らずも心の声まで一致している。
アニマルパーカーの子と羊花が、身長も体つきも似ていると気付いていたはずなのに。しかも黒崎が率先して構っているという条件が追加されても、同一人物だとは思わない。
主人公特性とはいえ、鱒渕の鈍さは相当なレベルだった。
黒崎は、呆れを隠しもせずに大きな溜息を吐く。羊花の肩を抱き寄せて、頭の上に顎を乗せた。
「アレもコレも、オレの大事な女だ」
「!?」
「なっ……!?」
平然と告げた黒崎に羊花は目を剥き、鱒渕は言葉を失くす。
(なんて紛らわしい言い方をするの……!)
せいぜいペット程度にしか思ってないくせにと、羊花は黒崎を睨む。
正体をバラされるのは困るけれど、身の程知らずにも彼女を名乗っていると思われるのもキツい。
「そんなの許される訳がない……!」
(それはそうだけどお前が言うな)
なにやら憤っている鱒渕に、羊花は心の中で突っ込む。
正論だが、将来的にハーレムを築き上げる男が言うのはブーメランというものだ。
黒崎は冷めた目で鱒渕を一瞥してから、すぐに興味を失くしたかのように視線を外す。
肩を抱いていた手を離したかと思うと、羊花と距離を空けた。
背中を向けて、一歩、二歩、三歩。手の届かない場所まで進んでから振り返る。
そして羊花に、手を差し出した。
「羊花」
「!」
名前を呼んだだけ。
けれど意図は考えずとも分かる。いくら羊花が鈍くとも、察せる程に明確だ。
(……狡いなぁ)
羊花は心の中でごちる。
来いと命令系で言われたら、反抗したくなっただろう。
手を引っ張られたら、もやっとしたかもしれない。
それを見越したように、ただ優しい声で名を呼ぶだけなんて。
逆らう気も起きなくなるではないか。
「っ、羊花ちゃん……!」
後ろから呼ぶ声は聞こえていないかのように、羊花は自然な足取りで進む。なんの気負いもなく、黒崎の手に自分の手を重ねた。
よく出来ましたと誉めるみたいに、黒崎の目が緩む。
「今日は何がいい?」
「パンケーキ」
呑気過ぎる二人の会話が、取り残された鱒渕の耳に届いたかは定かでない。




