11
羊花が見知らぬ男達に絡まれてから、一週間。
黒崎の言う『掃除』が完了したのか、羊花の周囲はすっかり平和になっていた。
羊のパーカーを着て歩いていても、絡まれる事はない。というか溜まり場に近付いて、『さてそろそろ着替えるか』というタイミングを見計らったかのように、『Zoo』の誰かが合流するので、喧嘩を売ってくるような命知らずがいる訳がなかった。
(なんであんなにタイミング良いんだろ?)
偶然って凄いなと感心している羊花は、やっぱり警戒心が足りない。
(たぶん気にかけてくれてるんだよね。なんか申し訳ないな。お礼とか考えた方が……いやいやいや、私が望んでお店に行ってるんじゃないのに、お礼とかおかしい)
羊花は考えを振り払うように頭を振った。
正気に戻れと自分に言い聞かせ、頬を軽く叩く。
(……でも、美味しいお菓子を毎回ご馳走になってるし。人として貰いっぱなしは駄目だよね)
うんうんと唸りながら悩む羊花は、先日の件でまんまと絆されかかっている。
吊り橋効果とはいわないが、危ない目に遭ったところを助けてもらったのは、羊花の心に小さな変化を齎した。
目立つのが苦手な羊花は、彼等と積極的に関わり合いたいとは思わないけれど、傍にいても苦痛ではないと思う程度には気を許している。
そこに年頃の少女らしい恋の気配は殆ど含まれていないが、信頼度は確実にアップしていた。
(お礼といえばお菓子だけど、下手な市販品より黒崎さんの手作りの方が美味しいしなぁ。他……男子にお礼で渡す物ってなに?)
大人数相手だから、ハンカチ等の小物は駄目だ。
個人の趣味があるだろうし、そうでなくとも羊花は彼等に似合う品を用意出来る自信がない。
センスもだけれど、それ以上に問題なのは値段。何故か『Zoo』のメンバーは揃って、身に着けているものが高価だ。安物を渡す勇気は羊花にはなかった。
(出来れば分けられて、すぐに無くなるものがいいんだけど、思い浮かばない。ジャイアn……じゃなくて、茶臼山さんだけなら、ポテチとコーラでいいから楽なんだけど)
茶臼山が聞いたら怒りそうな事を考えながら、羊花は街を歩いていた。
時折、道沿いのショップのショーウィンドウを眺めながら、ああでもない、こうでもないと悩んでいた羊花だったが、前方に見知った顔を見つけて足を止める。
「うげ……」
潰れたカエルのような呻き声をあげた羊花は、慌てて物陰に逃げ込む。
建物に隠れながら覗き込んだ先にいたのは、主人公君こと鱒渕透だった。
(またいるよ……。しつこい)
羊花が隠れたのは、鱒渕が苦手だという理由からだけではない。
彼が羊花……正確に言うと、自分を助けてくれたアニマルパーカーを着た女の子を探しているからだ。
ここ数日、『Zoo』の溜まり場付近であるこの辺りでよく見かけるのも、それが目的らしい。羊花としては迷惑極まりない。
羊花としてすれ違う分には問題ないかもしれないが、捕まって、何か聞かれるのも面倒だった。
(早くどっか行けー)
物陰からこっそり睨みながら、羊花は呪詛めいた願望をぶつける。
しかし羊花の願いも空しく、鱒渕が立ち去る様子はない。
「……?」
鱒渕はじっと何かを見つめていたかと思うと、そちらに駆け寄る。
彼が声をかけたのは、小柄なおばあちゃんだった。
おばあちゃんは道に迷ってしまったのか、地図らしきものを手に、辺りをキョロキョロと見回している。鱒渕が声を掛けると、安堵した顔で話し始めた。
鱒渕はおばあちゃんから受け取った紙を見て、すぐに近くの店の看板を指差す。
目的地を教えてあげた鱒渕は、それだけでは終わらない。
おばあちゃんの荷物を持って、一緒に店へと向かう。入口に続く階段では手を貸して、さりげなく背中を支えてあげるという驚きの紳士っぷり。
「……」
ドアを開けてあげて、更に当然のように中までついて行く。鱒渕の行動を最後まで見守ってしまった羊花は、大きな溜息を吐いた。
(……鱒渕君、良い人なんだよなぁ)
鱒渕は漫画のまま、性格も変わっていない。
困っている人を見過ごせないし、特に女性には年齢関係なく親切にするフェミニスト。少年漫画のヒーローそのまんま。
だから読者としての羊花は彼を応援していたし、好きだった。
それなのに今、好意的に見られないのは立ち位置の問題だと思う。
鱒渕が変わったのではなく、羊花の見方が変わった。
鱒渕は容姿も普通に整っているし、女子に優しいから結構モテる。
漫画の中でもその人誑し力は発揮され、ダブルヒロイン以外にもちょこちょこ好意を持つ女の子が登場した。
でも彼は恋愛には疎く、好意には気付かない。どの子にも深入りせず公平に扱う、罪作りな男だった。
少年漫画の主人公には珍しくないタイプなので、特に気にした事はなかった。
けれど現実問題となると、その性質がかなり厄介だと知る。
羊花の小学校時代は足の速い男の子がモテる風潮があり、運動神経の良い鱒渕は学年一の人気者だった。
クラスの女子の殆どは鱒渕が好きで、水面下の争いが凄かった記憶がある。
けれど鱒渕は告白らしきものをされてもスルー。
どの子も優しく平等に扱った。その中で唯一の例外が萌絵。
病弱で引っ込み思案だった幼馴染の萌絵を、面倒見が良い鱒渕が気に掛けるのは当然な流れだろう。
それが悪い事だとは言わない。けれど、ちょっと考えれば分かるはずだ。
大人しくて男子に人気のある美少女。
しかも、学年一の人気者が唯一特別扱いする女の子が、周りからどう見られるかを。
(漫画の萌絵ちゃんが引き籠りになった原因の半分くらいは、鱒渕君じゃないかな)
子供と侮るなかれ。
小学校時代、クラスの女子による萌絵へのイジメは、かなり陰湿だった。
色々あって、どうにか阻止は出来たけど、あのままエスカレートしていたら大変な事になっていたと思う。
今の強くなった萌絵を誇らしいと思うのと同時に、漫画の萌絵に何があったかを考えるだけで、羊花はたまらない気持ちになった。
鱒渕が悪いんじゃない。
悪いのはイジメの実行犯と、見て見ぬふりをした人達だ。
それを理解していても、羊花は鱒渕を心のどこかで責めてしまう。
もっと鱒渕が上手く立ち回ってくれたら、萌絵はあんなにも傷付かずに済んだのにと考えて、自己嫌悪に陥る。悪循環だが止められない。
(あー……止め、止め。精神衛生上宜しくない)
落ち込みかけた思考を散らすように、眉間の辺りを指の背でゴツゴツと叩く。
考えても仕方のない事で悩むのは無駄だと切り替えて、顔を上げた。
すると丁度、店から鱒渕が出てくるところだった。
タイミングが悪い。物陰から出るチャンスを失った羊花は、今度こそ鱒渕が立ち去るのをじっと待つ。
(さっさとどっか行……、って今度はなに!?)
羊花の望みとは真逆に、鱒渕は立ち去らない。
今度は喧嘩している男女を発見し、そちらへほいほいと近付いていく。
何故こうも、鱒渕の前でトラブルが起こるのか。
そして何故、一々、トラブルに首を突っ込むのか。
漫画の主人公ゆえのトラブル吸引体質のせいだとしても、鱒渕本人にも少し問題はあるんじゃないかと羊花は頭を抱えた。
そんな羊花の呆れなどつゆ知らず、鱒渕は男女の間に割って入り、女性の方を庇っている。
時折聞こえてくる声から推測するに、高校生カップルの痴話げんからしい。
(見ず知らずの人が割って入っても、余計に拗れるだけじゃないかな……)
羊花がハラハラと見守っていると、男の方が激怒して、鱒渕の胸倉を掴んだ。
女の子が「止めなよ」と必死に訴えても、既に引っ込みがつかない状況になっている。細い路地の方に引き摺られていくのを見て、羊花は更に頭が痛くなった。
胸倉を掴む男を押し退けて、羊花が鱒渕を締め上げたくなった。
わざとやってるんじゃないのかと、問い詰めたくてたまらない。
(見なかった事にして帰りたい。自業自得だし、めちゃくちゃ見捨てたいのに……!)
心情的には一択なのに、小心者の羊花は見捨てられずに別の選択をしてしまう。
内心で地団駄を踏みながら、羊花は鱒渕の後を追った。
人気のない路地裏をこっそり窺うと、睨み合う男二人。そして女の子が彼氏らしき男の腕を引っ張り、必死に止めようとしている。
「ねぇ、ヒロ。謝るからもう止めて。そのひと、関係ないじゃん!」
「関係ないのに首突っ込んできた方が悪いだろ!」
(ごもっとも!)
吠える彼氏に思わず同意してしまった羊花だった。
暴力に訴えるのはいただけないが、鱒渕にも責任があるという一点は同感だった。
「確かに関係ないが、女の子に怒鳴ってる奴を見過ごせない」
(ここでそれは火に油を注ぐんじゃ……。フェミニスト精神は、今は仕舞っておけばいいのに……!)
案の定、彼氏の目付きが変わった。
鋭い目で鱒渕を睨み、拳を握り締める。胸倉を掴む手に力を込め、ぐっと持ち上げた。
(まずい! ど、どどどどうしよ!?)
羊花は辺りをキョロキョロと見回す。いつもタイミングの良い『Zoo』のメンバーは見当たらないし、そもそも通りかかる人すらいない。
(わ、私がどうにか出来る訳ない……。こうなったら)
自力で切り抜けるしかないと腹を決めた羊花は、大きく息を吸い込んだ。
「……おっ、おおお巡りさーんっ! こっちですー!」
震える声で羊花は叫ぶ。
古典的な手段だが、もうそれしか思い浮かばない。そしてこれが駄目ならもう、鱒渕を放って逃げようと羊花は涙目で思った。
「ヒロ、警察呼ばれてるよ!? 早く逃げよう!」
「……っ、クソが‼」
幸い、ヒロくんとやらは国家権力に屈してくれた。
舌打ちした彼は突き飛ばすように鱒渕を放し、彼女と共に慌ただしく去っていく。
看板の影に隠れながら、羊花は長く息を吐き出した。
壊れてしまいそうな音をたてる心臓を押さえながら、ぐすぐすと鼻を鳴らす。
(こ、怖かった……。私も首突っ込まなきゃよかったよぅ……)
「……もしかして、羊花ちゃん?」
「!?」
膝を抱えて小さくなっていた羊花は、ふいに名前を呼ばれて息を詰めた。
目を見開いた拍子に、目尻に留まっていた涙がぽろりと零れ落ちる。驚き過ぎて反応出来ない羊花の頭上から、影が差す。
「さっきの声、聞き覚えあったから……やっぱり、羊花ちゃんだよね?」
上から降ってくる声に、羊花は逃げ場を失くした事を察して絶望した。
「助けてくれて、ありがとう。また迷惑かけちゃったな」
鱒渕は困ったように笑いながら、頭を掻いた。羊花の前に膝を突き、しゃがんだままの羊花を覗き込む。
「オレのせいで、怖い思いさせてごめんね」
返事がなくても気にせず語り掛けてくる鱒渕に、羊花はだんだん腹が立ってきた。
普段の羊花だったら飲み込んで終わりにする事が今は出来ない。恐怖が怒りへと、勝手に変換されているようだった。
「……また同じ事するくせに」
「え?」
「そんな中身のない謝罪、いりません」
「羊花ちゃん……?」
戸惑ったような声で呼ばれ、羊花は顔を上げる。
そしてそんな羊花に涙目で睨まれた鱒渕は固まった。女の子の涙には無条件に弱い上に、大人しい羊花に睨まれる覚悟のなかった彼は、二重の衝撃を受けた。




