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はぁ、と羊花は大きな溜息を吐いた。
ここ最近、ずっとこんな調子だ。
漫画の世界に転生したと思ったら、主要キャラ二人に絡まれて。しかも何故か、傍にいる事を強要されている。
その上で主人公にも探されているとか、何処のヒロインなんだと自虐混じりに羊花は思った。モブには荷が勝ちすぎている。
頭の痛い問題が次々と浮上して、羊花の愛する平穏な生活が侵食され続けている。
由々しき事態だと羊花は憤慨した。
(今日くらい、普通に帰っても許されるんじゃない?)
物陰にしゃがんで隠れながら、羊花は思った。
ちなみに視線の先は、『Zoo』の溜まり場であるバーの裏口。ここまで来ても最後の一歩が踏み出せない。羊花は往生際が悪かった。
(てか、いついつ来いとは指定されてないし。塾がない日だから馬鹿正直に来ちゃったけど、そんなのあの人達は知らないよね)
ビビりなくせに呑気な羊花は、つい先日、予定どころか寄り道した店まで特定されていたという恐怖を忘れている。
突き詰めれば犯罪じみた手段が思い当たるのに、深く考えないのは能天気だからか。もしくは怖いものに蓋をするビビリ故の防衛本能か。
「……よし、決めた」
ぐっと拳を握り締め、独り言を呟く。
「何を?」
至近距離でかけられた声に、羊花は呼吸を止めた。
ブリキのおもちゃみたいにぎこちない動きで、隣を向く。
そこには、羊花と同じようにしゃがんでいる大男がいた。
シルバーに染めた髪は、ベリーショートのツーブロック。眉は凛々しく、切れ長な目は迫力のある三白眼。表情は乏しく、ほぼ無表情。
大柄な体は細マッチョというよりゴリマッチョの方が近い鍛え方をしている。
強面な上に逞しいので、とても威圧感があった。
灰賀 彰兎。
『Zoo』のメンバーの一人であり、漫画にも登場していたキャラクターだ。
「ひぃちゃん、中に入らないの?」
こてんと小首を傾げる姿は、あまりにも外見と合っていなくて違和感が凄い。
たぶん彼をよく知らない人間が見たら、見間違いだと現実逃避する光景だろう。
しかし羊花は、彼が実は穏やかでのんびりした性格である事を知っている。
ついでに『ひぃちゃん』とは羊の変化形のあだ名だ。心底止めて欲しいと思いつつも、羊花は彼に強く出られないので言えずにいた。
「ひぃちゃんに渡したいものがあったから、今日会えて良かった」
とても迫力のある……しかし無邪気な笑顔を向けられて、羊花は困った。
逃げ出したい気持ちでいっぱいだけれど、羊花は灰賀に弱い。
曲者揃いなメンバーの中で、一人だけ素直な灰賀は、『Zoo』の良心と言える。子供の頃から口下手でのんびり屋だった彼は、虐められないようにと体を鍛えてはいるが、実は喧嘩が好きではない。
女系家族の末っ子で、趣味は裁縫と編みぐるみ。
灰賀には裏も表もない。羊花の事も純粋に仲良くなりたいと思ってくれていると分かるだけに、邪険にし難い。
浅黄か紫倉あたりに追いかけられたら全力で逃げるが、悪意のない灰賀から逃げるのは流石に躊躇われた。
(こんな事なら、さっさと逃げておけば良かった……)
打ちひしがれる羊花を、灰賀は不思議そうに見る。
「早く中に入ろ?」
「…………はい」
羊花の負けが決まった瞬間だった。
「これ、ひぃちゃんに」
灰賀は、取り出した何かを羊花の前に置く。
それを見て、羊花は目を丸くした。次いで喜色を表すように、じわじわと頬が色付く。勝手に緩んでいく口元を我慢して引き結んでいるのか、ちょっと不自然だ。
「……っ、かぁわいいぃ……!」
我慢できなくなった羊花が奇声を上げながら持ち上げたのは、あみぐるみの羊。
白いもこもこの胴体に、濃い茶色の顔。つぶらな目が見上げてくる様子は、たまらなく愛くるしい。ちょこんとついた茶色の小さな足も、絶妙に可愛い。
しかも手触りも抜群。編み目もしっかりしていて、遠目には繋ぎ目も分からない。
売り物になるレベルだと、羊花は感心した。
「あとコレも」
そう言いながら、灰賀が机に置いたのは兎のあみぐるみだ。
耳や目元と背中は灰色で、口やお腹が白色。掌にまるっと収まりそうなフォルムは、とても可愛らしいのに、何故か目つきがやや悪い。
羊花はふ、と息を零すように破顔した。
「これは灰賀さんですね」
羊花は指先で、ちょいちょいと可愛がるように兎の頭を撫でる。
「うん」
灰賀はごつごつとした手で兎を持ち上げ、羊花の掌にそっと乗せた。
「可愛がってね?」
『ニコ』ではなく『ニゴォ……』という効果音をつけたくなる笑顔だが、不思議と可愛らしく見える。中身が可愛いと分かっているからかな、と羊花は首を傾げた。
「もちろんです。大事にしますね」
お礼を言ってから慎重な手付きでリュックに仕舞おうとすると、横から伸びてきた手が羊だけを摘まみ上げる。
「あ!」
「相変わらず細けぇもん作りやがって」
摘んだ羊を顔に近付け、じろじろと眺めている男を羊花は睨む。
「……返してください」
「もっと男らしい趣味を持てって、ひぃからも言ってやれ」
「男らしい趣味とか時代錯誤……。昭和ですか」
「馬鹿いえ。オレ様はピチピチの令和生まれだぞ」
「絡みづらいサバの読み方止めてください」
呆れ顔の羊花は男の手から、あみぐるみの羊を救出する。
ポテトチップを食べていた男に掴まれ、汚れていやしないかと念入りに確認した。
「オイコラ、ひぃ。ばっちいものみたいな扱いすんな」
「じ、実際にばっちぃ……いえ、何でもないです」
美人の迫力がある睨みを受け、羊花は慌てて視線を逸らす。
男の名前は、茶臼山 虎太郎。
『Zoo』のメンバーの一人で、灰賀の親友だ。
さらさらの栗色の髪は少し前髪が長めで、襟足は短い。同色の目は綺麗なアーモンド形で、長い睫毛に縁どられている。すっと通った鼻筋、白い肌に薄紅の薄い唇が良く映える。
一言でいうなら、とんでもない美人。
浅黄も美形だが、彼は女性に見間違えられる事はない。対して茶臼山は、男物の制服を着ていても男装の麗人に見えた。
男性に一目惚れされる経験が多く、自衛目的で体を鍛えているうちに強くなったパターンだ。至る経緯は違えど動機は似ているので、灰賀と仲良くなったのかもしれない。
口が悪く、性格は大雑把、適当、いい加減。
ついでに気まぐれでマイペース。
羊花達が部屋に入ってきた時も、我関せずでスマホでゲームをしていたというのに、突然絡んでくるのだから面倒臭い。
あと羊花的には、一人で食べているのにポテチの袋を真ん中から開けるのも気になっている。食べきるならいいが、茶臼山は結構な確率で残す。
それとポテチ食べた手でスマホを触るのも言語道断だ。これが兄なら、頭を叩いて説教するのに、と羊花は歯噛みした。
「じっと見て、どした? 食うか?」
じっとりとした目でポテチを見ていると、何を勘違いしたのか、茶臼山はポテチを一枚掴んで羊花の口元にずいと差し出す。
思わず羊花は身を引いた。
「い、いらな……」
「ほれ、あーん」
輝かんばかりの笑顔だけは、本当に美しい。
けれど中身が近所の悪ガキと同レベルだと分かっているので、羊花は一ミリもトキメかなかった。
今もにやにやと笑っていて、心底腹立たしい。
女の子に毛虫を突きつけて喜んでるのと大差ない。
「コタ。ひぃちゃんが嫌がってる」
灰賀は『めっ』と可愛らしい叱り方をした。
しかしガキ大将は全く悪びれない。
「そんな事ないよなぁ、ひぃ?」
めちゃくちゃ、そんな事あります。羊花が目で訴えていると、ポテチを持つ茶臼山の手を大きな手が掴んだ。
強引に羊花から引き離し、そのまま茶臼山の口にポテチを突っ込む。
「ひつじに変なもん食わせんな」
黒崎に睨まれ、茶臼山は目を逸らす。しかし全く反省していない顔で、ぽりぽりと口の中のポテチを咀嚼していた。
「ひつじはこっちだ」
ことん、と軽い音をたてて、羊花の前に皿が置かれる。
小洒落た木製の皿にレースペーパーを敷き、その上に積み重ねられているのはカラフルなマカロンだった。
「マカロン」
目を輝かせる羊花に、黒崎は「好きか?」と分かりきった事を聞く。
何度も頷くのを見て、満足そうに目を細めた。
「いただきます」
どれから食べようかと目移りしていた羊花は、卵色のマカロンをそっと摘む。
一口齧って、咀嚼して。だんだん幸せそうに顔が綻んでいくのを、男達は生温い目で見守っていた。




