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12:年長ぶりの追いかけっこ

 雑踏で、後ろから誰かが走ってきて、おれたちを素早く追い越していった。

 

 なにやら黒い外套に身を包み、顔も見えなかった。


 それだけならすぐ忘れてしまうのだが、あいにく、そうさせてくれないものを、そいつは残していった。


「あの! 落としましたよ! ちょっと! ねえ! おい!」


 そいつは地面に小さな包みを落としていった。それは茶色い袋で、拾い上げると何やら生温かい上、がさごそと動いている。


「触っちゃいけないものなんじゃないか?」


 ロイヒが言った。


「でも誰かに踏まれるかもしれないし……」


 おれは肩をすくめた。


「なにか、持ち主の手がかりになるようなものはないのか? 名前とか所属とか」


 セザメの勧めに従って、おれはためつすがめつ、その袋を確かめた。だが何も見つからず、ただ手が臭くなっただけだった。そう、その袋はひどく臭っていたのだ。


「開けちゃう?」


 おれは二人に訊ねた。しかし、二人ともそっぽを向いた。何かあったらおれの責任というわけだ。上等。


 おれは袋を開けた。


「うわっ!」


 中からなにかが飛び出してきて、おれの顔に取り付いた。ひどく毛むくじゃらで、ひどく臭いなにかだった。


「おっ、珍しい生き物じゃな。ヨブグースではないか」

 

 セザメが言った。


「どういう生き物なんだそれは?」


 ロイヒが訊ねた。


「おい、解説は後にして、おれの顔に取り付いたのを何とかしてくれないか」


「これはひとつの区域にひとつがいしか生息していない獣でな……」


「聞いてんのか」


 おれのレスキュー要請は無視して、セザメは説明を続けた。

 

「よく生態も何もわかっとらんのじゃが、その稀少さが幸運の証として見なされておってな、富豪連中が目玉の飛び出るような金額で売り買いしておるのじゃ」


「こんな臭いものをペットにするのか? 考えることがよくわからないな……」


 ロイヒは首を振った。


「その臭いものがおれの顔についているんだよ。ほら、早くとってくれ早く!」


「あっ、いましたわ!」


 おれたちの後ろから、大きな声がした。


「わたしのモップちゃん!!」


 声の主はどたどたと駆けつけて、おれの顔にひっついてたヨブグースを引っ剥がすと、嬉しそうに頬ずりをした。マジかよ……


 それは高貴な身なりをした婦人で、その後ろには二人の憲兵もいた。


「よかった、見つかったようですね」


 憲兵の一人が言った。


「盗まれたペットはたいていすぐ売り飛ばされてしまうものなのですが、間に合ったようで……」


 もうひとりが言った。って、ええ、盗まれた?


「あやつめ、泥棒だったのか。それで急いでいたんじゃな」


 セザメがうなずいた。


「ああ、盗まれたペットだったんですか。そいつを盗んだ奴ならあっちの方に……」


 そう指差したおれの腕に、手錠がかけられた。


「……はい?」


「さっさと行くぞ、この盗人め!」


 憲兵が声を荒らげた。


「い、いや、いやいやいやいやいや! おれはただその盗人が落としたのを拾い上げただけで……」


「でたらめを言うな」


 もうひとりの憲兵も言った。


「でたらめなのはそっちでしょうがよ! そうだ、ご婦人! あなたなら犯人の姿を見ているんじゃないですか? この節穴たちに言ってやってくださいよ、本物の犯人はもっと黒々とした服を……」


 しかし、婦人は取り戻したペットに夢中で、こちらのやり取りなど、まるで眼中にないようだった。


「んなバカな!」


 おれの叫びも虚しく、手錠をかけられた腕が引っ張られる。


「無駄な抵抗はよせ!」


「抵抗せずにいられるかってんだよこれが!」


 こちらも腕を引っ張ると、手錠の鎖がぴんと一直線に張った。


即席剣インスタント・ブレイド!」


 唐突に、セザメの詠唱の声が響き、目には見えない刃が、その張り詰めた鎖をすぱりと断ち切った。


 力をかけていたところがいきなり分断されたもんだから、おれも憲兵もひどくのけぞり、地面に派手にぶっ倒れた。


 そのおれを引きずるようにして、ロイヒが腕を掴む。


「行くぞ! こうなったら先の盗人を見つけ出すしかない!」


「お、おう!」


 おれたちはまだもがいている憲兵を尻目に、雑踏の中を突っ走っていった。


 道端の花壇や看板も蹴り飛ばし、行く手を阻む人には誰にでも体当たりをしてどかし、走りに走りまくった。


「いたぞ!」


 おれははるか彼方前方に、困惑した様子で地面に目を向けている、あの盗人の姿を確認した。

 

 そいつは憤怒甚だしく怒涛のごとく迫るおれたちの姿を見ると、くるりと背を向けて、一目散に駆け出した。


 盗人は屋台が立ち並ぶ通りに入り込み、とめどない人の流れや、山と積まれた果物、食事をしているテーブルの上を突っ走って、あっという間に姿をくらませた。


 おれたちもその後に続いたが、セザメは崩れてきたスイカの山に潰され、ロイヒはテーブルの間に挟まり、おれは油炒めの鍋に頭から突っ込んだ。


 痛みに悲鳴を上げる間もなく、通りを何とか抜けたおれたちは、盗人が大きな建物の二階に取り付き、その窓から入り込もうとしているのを目撃した。


「逃さんぞ!」


 おれはそう叫んで同じ窓に飛び込んだが、目の前で盗人が窓を閉めたため、まともに激突した。


「おれの顔へこんでないか?」


 後からやって来たロイヒに聞くが、


「元からそんなんだっただろ。ふざけてないで行くぞ!」


 しくしく泣いてはいられない。


 盗人が入り込んだのは博物館だった。あちこちの遺跡から発掘された史料や、太古の魔物の骨、古の武具が所狭しと展示されていた。


 つるつるの床にははっきりと足跡が残っていたため、跡をたどるのは容易だった。


 一階、三階、四階、五階と見て回った挙げ句、五階の窓辺で足跡は途切れていた。


「ここから飛び出したらしい」


 ロイヒが言った。


「あいつが飛び出せたならわたしたちもイケるじゃろう」


 セザメが言う。おれもうなずいて言った。


「よし、じゃあ誰から行く?」


 おれの哀れな残骸を踏みつけて、セザメとロイヒは無事に地上へと着地した。あちこちに曲がった腕と足を元通りにする頃には、もう二人とも遠くへ行っている。


「素直に捕まっときゃよかった」


 そんな泣き言を言いつつも、それでもおれは盗人の後を追った。


 さんざんあちこちでてんやわんやの追いかけっこを繰り返し、体中まんべんなく激痛が走り出す頃になって、ようやく街路の行き止まりに、おれたちは盗人を追い詰めた。


「さ、さあ! も、もうに、逃げられないぞ!」


 それだけ言うとロイヒはくしゃみをした。ついさっき、粉末の香料の樽に逆さまに突っ込んでしまったのだ。


「……」


 セザメは何も言わなかったが、その形相は凄まじかった。それもそのはず、今の彼女の喉には、生きたまま間違って丸呑みされたサカナがぴちぴちと跳ねているのだった。


 どうしてそんなことになったのか、おれには説明できないし、彼女は説明しようとしないだろう。


「さあ覚悟!」


 血まみれの手を振り上げて(ちなみにこれは羊の血)、おれがそう叫んだの合図に、三人で一斉に盗人へ踊りかかった。


「あっ!」


「がっ!」


「ああああああああ!!!」


 お互いにこれこそが盗人の体だと思って掴んだものは、実はセザメの足、ロイヒの手、そしておれの目だった。だから最後の悲鳴はおれの。


「吾輩を追い詰めるとは、なかなかどうして骨のある奴らだ!」


 どこか上の方から、男の声がした。それこそが、あの憎っくき盗人の肉声であるらしかった。


「どんくさい他の冒険者とは違うようだ……ではさらば! いつかまた会おうぞ!」


「会いたくねえよ! ていうかちゃんとおれたちは犯人じゃないって言え! おい! おい! おーい……」


 盗人は家々の屋根を駆け抜けて去っていった。


「ついに見つけたぞ!」


 後ろから、憲兵の声がした。


 おれはその場にぶっ倒れて言った。


「もう好きにしてくれ」


 最終的に誤解が解けるまで、三日かかった。


<読んでも読まなくてもいい解説>


・即席剣

 目に見えない刃を瞬時に作り出し、対象を切断する魔法。詠唱にもまったく時間がかからず、利便性に富むため、あらゆる魔法使いが真っ先に覚えたがる。しかし単純ながら奥が深く、正確に刃の形をイメージできなければ、意図しない事故も発生しかねない。また何でも切れるわけでもない。ひょいとやってのけたように見えて、セザメがあっさりと鎖を切断したのは、実はけっこうな高等技術だったりする。そのことを黙っていれば格好がいいものの、彼女はこれ見よがしに吹聴するため、ださい。


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