1:マラソンの終わり
<ロータス鉱石>
太陽の光を受け、千変万化の色を放つ、まるで花びらのように調和した形状を持つ鉱石。
硬度のみならず、濃密な魔力をも秘めたこの鉱石を入手することは難しい。ごくごく僅かな欠片でさえも高値で取引されるのはそのためだ。
強力であると目される種々の武器防具の中でも、戦闘者たちにとって特に垂涎の品であるような一級品の数々に、ロータス鉱石は欠かすことのできない素材である。
今、ラサニ・アッシュプレーたちのパーティーが断崖絶壁の上で口論をしているのも、元はと言えばこの鉱石を手に入れるためなのだった。
「ここは一つ、恨みっこなしの多数決にしよう」
ラサニの言葉に他の二人――城塞のように堅牢な鎧兜で全身を固め、仲間ですらその素顔を未だに見たことがない騎士、ロイヒ・クーヤン。遠目から見ると新緑の茂みと見紛うほど、頭の先からつま先まで緑づくめの魔術師、セザメ・ヘカテール――は、異論なしよと頷いた。
彼らが立っているのは大陸の端っこ、ここから先には海ばかりというまさに辺境。辺りの大地は荒涼として、枯れたような木がぽつんぽつんと点在するのみ。
聞こえるのは波が岩に当たって砕ける轟音ばかりだった。
「いいか、おれたちがさんざん、あちこち、くたびれまくって探しまわったあのロータス鉱石が、あそこの鉱脈にある」
ラサニが指差したのは断崖絶壁のド真ん中。
とうてい他の生物が近づけないような地点にばかり巣を作るというモラト鳥でさえも敬遠するような岩棚に、淡い青色の鉱脈はあった。
「あそこまで降りていかなきゃ取れん……で、問題は誰が降りるかってことだ」
ラサニは言った。
「かれこれ一時間くらい言い合っても、さっぱり決まらない。わたしが行きます、行かせてくださいという一言が出れば済むんだけど。お前らには自己犠牲の精神がないのか」
「ならお前が行け」
ロイヒが言った。
「いやだ」
ラサニは言った。
「おれには自己犠牲の精神なんて欠片もないってこと、生まれてから二分後には気づいてたもんね」
「人格はともかくとしてもじゃな、やっぱりお主が一番適任じゃと思うぞ、ラサニよ」
セザメが言った。
「ロイヒはこの通り、バカ分厚い鎧を着込んでおるし(バカという言葉を聞きとがめてロイヒは抗議した。セザメは無視した)、わたしは……まあ、小柄なのはアドバンテージじゃろうが、やっぱり、ほら、魔術師じゃし? 魔術師ってのは筋力とか持久力に欠けるもんじゃし? こういうスタントプレーには向かんじゃろ
その点、ラサニ。お主は戦士じゃ」
「え、そうだったの?」
ラサニは伸び上がった。
「戦士なんじゃ」
セザメは続ける。
「崖をつかまえるくらい、お手の物じゃろう。それに軽装じゃ。攻撃を受け止めることよりも避けることを優先したその装備なら、崖を降りていくのにも支障はきたさんはずじゃ」
セザメは得意そうにうなずいた。
「どうじゃ? 的を射た判断じゃろう?」
実際に、この三人の中で最も身軽に動けるのはラサニだった。
何を見ているんだかよくわからないような顔のこの青年は、頭には何も装備せず、体を覆う装束も、柔らかな素材から作られた、決して装備者の運動を阻害しはしないものだった。
彼の指には、装着者の運気を高め、出会いがたい魔物と出会わせ、手に入れがたい素材を手に入れさせるという触れ込みの、色とりどりの指輪がはめられていた。
しかし彼は今回の一連の冒険でつくづくその効果の無能力を痛感し、今度あのふざけた商人に出会ったならばこの指輪をつけさせた後、トロールの住処に放り込んでやろうと心に誓ったのだった。
未だかつて誰一人としてその素顔を見たことがないというロイヒは、砦が動いているような印象を見る者すべてに与えた。
確かに、ゴブリンの棍棒も、火竜のブレスも、アンデッドの爪も、巨獣の牙も、狂気の魔術師の魔法も、この鎧にはそよ風みたいなものだった。
それもそのはず。この「ゴルギアスの鎧」は、かつて千年の栄華を誇った古代の王国を取り囲んでいた城塞から切り出された素材で作られているのだ。
しかしその堅牢無比の代償として、装備者である彼女、ロイヒには、とうてい一歩も動くことのできないほどの負担が強いられているはずだった。
それは何も重量のせいばかりではなく、あるべき場所から切り離されたことによる、城塞の呪いとでも言うべきものも関わっていた。
かの王国が繁栄を極めたのも――そして滅びたのも――理由は唯一つ、魔術に秀でていたためなのだった。
しかしロイヒは、尋常でない脚力――主に逃走の際に発揮される――を持つラサニほどではないにせよ、そのいわくつきの鎧を着用したまま、軽々と行動をすることができた。
ひとえにそれは、彼女の騎士としての能力が並外れていたためなのだった。
セザメの顔を一目見ただけの者は、彼女が今年で150歳を迎える老練の魔術師であるなどとは夢にも思わないだろう。どちらかというと、15歳に見えるほどだ。
しかしその耳のとんがり具合を見て後には、その外見とはあまりにも乖離した年齢にも納得するにちがいない。彼女はエルフなのである。
身にまとったびっくりするほど鮮やかに緑色なローブには、何やらわけのわからない記号がところどころに細かく縫い取られていたが、装備者である彼女にはその意味がわかるのかと言えば、べつにそういうこともなかった。
「そうだな……」
ラサニはセザメの指摘を受けてしばし考え込み、やがて決心して言った。
「多数決!」
「結局それかい」
セザメがつぶやいた。
「一人一票だぞ。よし! じゃあおれが行ったほうがいいと思う奴は? いないよな? いないでしょ? いませんよね?」
ラサニ以外の二人が手を上げた。
「後悔するなよ……」
腰に縄を結わえたラサニが、断崖絶壁を背にして言った。
「死んだら化けて出てやる。一生お前らに取り憑いて千の夜の安眠を妨害してやる」
ものものしい脅し文句がその後も千語ほど続いたが、ロイヒが蹴りをつけた。というか、蹴っ飛ばした。
「ぎゃー!!」
お目当ての岩棚まで真っ逆さまに降下し、そのまま通過し、荒れ狂う海へと消えかけたが、なんとか岩棚にしがみつき、死にものぐるいで鉱脈へとたどり着いた。
「よくやった! さあお目当ての鉱石はもう目の前じゃ!」
はるか高みからセザメの声がした。
「他人の仕事だと思って……」
猛烈な勢いでぼやき続けながらも、繊細な採掘の手順を過つことはなく、ラサニはとうとう、夢にまで見たロータス鉱石、それも格別に大きな原石を取り出すことに成功した。
「よっしゃ! いいぜ、引き揚げてくれ!」
崖上で、ロイヒとセザメは彼の声を聞いた。
「どうやら成功したようじゃ。まったく、素直に最初から行けばよかったものを……おい、ロイヒ、引き揚げてやれ」
「なんだと? 縄はそこらへんの岩に結びつけておくんじゃなかったか?」
「なんじゃと? ちっとも聞いとらんぞそんなの」
二人は黙って顔を見合わせた。
崖下ではラサニが焦れていた。
「おーい。何やってんだ。早く引き揚げてくれ。ちっとも生きた心地がしないんだぞここにいると。肝っ玉に氷でも押し付けられてるみたいなんだぞ。おーい。おーい?」
その時、ラサニの頭に何かがぱらりと落ちてきた。見てみると、崖上にあるはずの、ロープのもう一端だった。
「……え?」
自分がヒモなしで宙ぶらりんだったことに気づいたとたん、彼は吸い込まれるように海へと消えていった。
おかげで、彼はしばらくカゼをひくことになった。
<読んでも読まなくてもいい解説>
・モラト鳥
とてつもなく怠惰なこの鳥は、自分の巣を敵から防衛することすら面倒臭がり、そのために最初から誰にもたどり着けないような場所に巣を作る。そんなことをするほうがよっぽど面倒くさいのではないかと思われるが、どうやらその奇策は功を奏したようで、こんな怠惰な鳥でも絶滅せずに生き延び続けている。その羽根を煎じた薬を飲むと、何をする気も失せ、一日中床に伏せる羽目になる。