97話・仮面の下にあったものと、エルマとヒナとの意外な接点
魚面の下には、何もなかった。
鼻が削がれ、顔の皮が剥がされている状態、というのとは全く違う。
魚の仮面の下はきれいな肌色の球体。
眉も毛髪もなく、文字通りのスキンヘッドだ。
「裏社会の暗殺者の正体は……のっぺらぼう?」
目や口のようなものはある。
しかし、鼻や耳のところには小さな点のような穴状のものが、あるだけだ。
「……!」
俺はギョッとして知里と顔を見合わせる。
その様子に、魚面は逆に拍子抜けしたようだった。
「思ったよりモ、取り乱さないのダな。お前たちも異世界の人間ダからか?」
「お前たち〝も〟って、アンタこの世界の住人じゃないの……?」
「まさか宇宙人じゃないよな?」
そう言われてみれば、その風貌はよくある宇宙人リトルグレイを思い出させなくもない。
目は、小さいけれど。
宇宙人も異世界転生するのか?
まあ、何があっても不思議ではない世界に俺たちはいるのだが……。
「分からなイ。ワタシは前世の記憶を何ひとつ覚えていナイのダ。ただ、転生者だという以外は」
仮面の時はほとんど喋らなかった魚面が、やけに饒舌になっている。
ところどころ発音が独特なのは、顔を奪われたことと関係があるのかも知れない。
何かの罠かとも思ったけれど、こちらには心が読める知里がいる。
知里は魔法銃を抜いていない。
現時点では、罠の線はなさそうだ。
もちろん相手は殺し屋。
油断はできない。
「魚面さん。記憶がないのに自分が転生者だったと、なぜ分かるんだ?」
俺は率直な疑問をぶつけてみた。
「ワタシが13歳の時に訪ねてきタ、傷だらけの女に『転生者』だと聞かされタ」
「えっ!」
魚面の答えは、とても意外なものだった。
俺は、間接的にではあるがその人物を知っている。
「魚面さん。ひょっとしてその女は、『人間のアカシック・レコード』を配っていなかったか?」
「……! 『ヒルコ』を知っていルのか! 本当カ!」
その時の、魚面の驚きよう──。
拘束されているのも忘れ、身を乗り出して変な風に体をよじっている。
「『ヒルコ』のことを! 教えてクレ!」
「いや、俺は知らない。会ったことがある奴が、知り合いに2人いることだけは知ってる」
「ワタシの他に2人モ……!!」
俺をこの世界に呼び出した鬼畜令嬢エルマと、勇者自治区のナンバーツーであるヒナ・メルトエヴァレンス。
2人とも、傷だらけの女から人間のアカシック・レコードという召喚道具を受け取っている。
ただしその女が『ヒルコ』と名乗ったとは聞いていないが。
「ネエ、そノ人たち顔は無事? 何かヲ奪われたとか言ってなかっタ?」
「2人とも無事だ。特に何かを奪われたとも聞いてない」
魚面は興奮して矢継ぎ早に尋ねてきた。
先程までとは本当に人が変わったようだ。
「居場所ノ手がかりがあれば、どんナ些細なことでも教えてほしイ!」
のっぺらぼうのような風貌なので、表情を読み取ることはできないけれど、その声から切実さが伝わってくる。
ほんの5分前は殺し合いをしていたなんて嘘みたいだ。
「すまん。俺も聞いた話なので、よくは分からない」
「……ソウカ。お前の知ってる2人は、ワタシのように顔を奪われてはいナイのだな」
「ああ無事だ。しかし顔を奪われたとは穏やかじゃないな。どんな経緯で奪われたのか、聞かせてくれないか?」
俺(厳密にはロンレア家のマナポーション?)を狙った殺し屋の召喚士との意外な接点。
興味がそそられないわけがない。
「記憶が断片的で、思い出せナイんダ。13歳の誕生日に、傷だらけの女に何かをされテ、顔と記憶を奪われタ……ソレだけを覚えている」
魚面の声が震えていた。
それが怒りによるものなのか、悲しみによるものなのかは表情からはうかがえない。
ただ、大きく感情が揺さぶられるような無念の思いは伝わってくる。
「……」
俺も知里も、魚面の剣幕に押されて何も言葉が出なかった。
「大将、荷馬車お待たせしやした」
ちょうどその時、蹄と車輪の音とともに盗賊スライシャーが納屋の前に現れた。
荷馬車には檻も積んである。
この男、いつもタイミングが良いのか悪いのか。
要領は間違いなく良いとは思うけれど……。
「ちょっと待って。込み入った尋問中なので、こっちには来ないで」
「悪いな、スライシャー。ボンゴロが来たら、そこに寝てる虎を檻に入れてくれ」
俺と知里は、納屋の入り口部分に荷馬車を止めたスライシャーに頼んだ。
「大切な虎質だから、くれぐれも丁重に扱ってやって頂戴」
「へ、へい知里姐さん……」
知里はすかさず補足した。
スライシャーは首をかしげながらも知里の指示に従う。
この一連のやり取りに、驚いていたのは魚面だった。
「ネエ、お前たちに牙を剥いた虎ヲ、丁重に扱えと言っタ?」
「さっきからアンタはずっと虎の心配してた。虎はトレバーって名前だよね。〝家族同然〟〝どう逃がすか〟。……とか色々考えてたよね」
知里の表情は、何となく憂いを帯びていた。
「……戦闘中に薄々感じてはいたガ、お前は本当に心が読めルのか」
「『他心通』。戦闘には便利だけど、知りたくもないことばっかり知っちゃうのが難点かな」
「……迂闊なことヲ〝思う〟ことすら、できないトハ」
魚面は観念したように小さく肩をすくめた。
「ワタシは顔を奪われてから、親に捨てられ、道化芝居の一座に売られタ。虎のトレバーは、その時からの相棒ダ。殺さないでくれたことには深く感謝スル」
「あたしだって、むやみに動物を殺したくはないし」
知里と魚面は、なぜか心が通い合っているようだ。
俺が聞きたいのは俺たちを狙った〝依頼主〟のことだったりするんだけど……。




