96話・魚面戦の事後処理
俺たちの連携で、裏社会の召喚士・魚面と、連れの虎をノーダメージで捕えることができた。
野球で言ったら1-0の完封勝利といったところか。
俺は中学2年まで野球をやっていたが、最近ではめっきり思い出すこともなかった。
異世界に来て、こんなところで思い出すのも意外だった。
「虎の奴、すっかりお眠ですぜ、姐さん」
「ロープで縛って、檻に入れるにゃ! スラの字」
虎は、スラの字こと盗賊スライシャーの目の前で眠っている。
体長3mはあろうかという体躯は、小柄な知里たちの倍くらい大きい。
「檻なんてこんな夜更けに、どこで調達するんですかい?」
スライシャーの問いに、俺が答える。
「どうせ『銀時計』の店主が持ってるだろうから、交渉してみてくれ。何があったか言わなくても、抜け目ない店主なら察してくれるはずだ」
「荷馬車も一緒に頼むにゃ。でないと運べないにゃ」
「へい! 承知」
スライシャーは威勢よく返事をすると、まさに盗賊の敏捷さで夜の貴族街を駆けて行った。
さて……。
俺の足元には魚面が、手足を縄で縛られ、なおかつ拘束魔法もかけられている。
文字通り手も足も出せない状態だった。
ローブは既に脱がされて、薄手のウエットスーツのような肌に密着した衣装。
豊かな胸と、くびれた腰つきがクッキリと分かる。
その姿は、敵とはいえ、少しだけ哀れっぽい。
「知里さん、ちょっとやりすぎなんじゃない?」
「甘いにゃ。仮面を脱がせて猿轡をかませるにゃ」
「待てよ。もう十二分に拘束しているだろう」
「女だと分かるとすぐに可哀そうがるのは良くないにゃ。コイツは凄腕の召喚士で、裏社会の殺し屋にゃ」
知里はそう言って、仮面に手をかけようとしていた。
禍々しい魚類の仮面が、街灯とは別の光に照らされてよく見える。
「あれ? 何か明るくないか」
近隣の住居に明かりが灯っていた。
一連の騒ぎを聞きつけた住民たちが、家の明かりを灯したのだろう。
「ちょっと待った。官憲を呼ばれたらマズい。ネリー、ボンゴロを呼んで近隣住民に説明をしよう」
見張り兼連絡役の戦士ボンゴロとネリーには、近隣住民への説明に行ってもらうことにした。
筋書きは以下の通り。
・夜分、お騒がせして申し訳ない!
・ロンレア家で飼っていた虎が逃げ出したけど、無事捕えることができた。
まるっきりデタラメな話だ。
なおかつ、ロンレア家に責任をなすりつける格好でもある。
嘘の説明は気が引けるけれども……。
一般住民に、裏社会の殺し屋『魚面』と戦闘してました、とか言えないし……。
ご近所さんの『銀時計』が、裏で非合法な商いをやっていたとかも言えない。
場合によっては口封じとして危害が加わらないとも限らないしな。
「……おいら今回お役に立てなかったから、がんばるお! 誠心誠意、近隣住民に説明するお」
「吾輩も協力してやろう」
「頼む。何かあったらすぐに知らせてくれ」
つぶらな瞳の大男ボンゴロと、ゾンビのような魔術師ネリーのコンビに任せよう。
「それから、『時のしずく亭』に待機中の小夜子さんに、ネンちゃんを送ったらアジトに来てほしい旨を伝えてくれ」
壁役の小夜子と回復役のネンちゃんの出番はなかったが、怪我人が出なかったことは幸いなことだ。
10歳の女の子を、殺し屋と対峙させるわけにもいかないし、今回は良かった。
「承知した。委細、吾輩に任せろ」
ネリーは柿渋色のローブを翻らせる。
ボンゴロや小夜子たちの待機する高級ホテル『時のしずく亭』まで小走りで行った。
◇ ◆ ◇
こうして現場には俺と知里と虎、そして魚面が残された。
眠っているとはいえ、虎をこのまま放置しておくのは目立つしマズい。
俺は納屋から荷材を覆う大きな布を取り出してくる。
「これをかけておけば、外からはあまり目立たないかな」
納屋につないだ眠れる虎を、毛布に包んで目立たなくさせておく。
知里は、俺が魚面から目を離して作業している間も、召喚士から目をそらさない。
「直行、そしたら荷馬車が来るまで魚面を納屋まで運ぶにゃ」
俺は『魚面』を抱きかかえ、『銀時計』の納屋に移動させる。
手足を拘束されているためもあり、お姫様抱っこのような格好だ。
特に抵抗するわけでもなく、俺に担がれるままになった。
正体が女性とはいえ、1人で抱えるのは負担が大きい。
「ネコチは手伝ってくれないの」
俺は知里の方をチラリと見る。
彼女は、いつでも対応できるよう魔法銃を魚面に突き付けていた。
この状態でもなお……。
「ネコチはずいぶんと用心深いんだな」
「……こいつはこんな状態になっても諦めてはいない。あたしたちを皆殺しにして、逃げる方法を模索してるにゃ」
「……マジで?」
「大切なものを取り戻すためなら、何も厭わない……こいつは、そういう覚悟を持ってるにゃ」
「大切なもの?」
「……顔だってさ」
「はあ?」
俺は思わず魚面を振り落としそうになったが、こらえた。
納屋の人目につかない位置に、俺は魚面を下ろした。
知里は、再びスペルトラップの術式を展開させようとしていた。
もう少し待てば荷馬車が来るのに、用心深いのにも程があるだろう。
「……負けたよ、ドウやっても、貴女には勝てそうにナイな」
魚面が、観念したようなことを言った。
知里はピクリと眉を動かした。
疑うような目で、俺を見る。
「まだ一手あるにゃ、色仕掛けでそこのお兄さんを誘惑されたらやばいにゃ」
「えっ? 俺?」
「残念だけど無理ダロウ」
「……そっか」
知里は小さく笑った。
と、魔法銃を脇のホルスターにしまった。
何だろう、この会話は?
俺には分からない雰囲気が、2人の間にはできているのか……?
「『召喚魔法』を使われたら、あたしらに勝ち目はないからね」
何を思ったのか知里は、自分のキャットマスクを取って素顔をさらした。
ひょっとしてこれは、死力を尽くして戦った相手への敬意というか……。
サッカーで言うところの「ユニフォーム交換」のようなものか?
拳を交えた実力者同士に芽生えた「友情」的な何かか?
強敵と書いて「友」と読む、古いマンガ的な考え方なのか、俺にはちっともわからない。
「あたしは冒険者の『頬杖』として知られている。あんたの仮面を取らせてもらう」
「……」
ていねいに魚面の兜というかマスクを脱がし始めた。
「……!」
現れたのは、真っ白なのっぺらぼうの顔だった。




