94話・虎と魚
「……」
俺の顔を見ても、魚面は何も言わない。
ただ、向こうが警戒している様子が伝わってくる。
「俺たちを襲撃した黒幕の名前を言うまで、お前を帰さない」
「……」
この領域内で先に魔法を出した方が、負ける。
俺は少しずつ回り込むように、魚面を壁の方に追い込んでいく。
「どうした? 得意の召喚魔法は使わないのか?」
「……」
大怪我をしたレモリーのことが頭をよぎった。
あごを砕かれたネリーも、回復したからよかったものの、危なかった。
だが、エルマは捕まってしまった。
「誰に頼まれて、俺たちを襲って、仲間に瀕死の重傷を負わせた?」
「……」
「直行、熱くなるのはダメにゃ。魚面は毒の短剣で不意打ちを目論んでるにゃ」
知里の声で、俺は我に返った。
キャットマスクを着けているので今はネコチか。
──!!──
その瞬間、目の前で鋭い刃が軌跡となって光った。
魚面の不意打ちを、俺は回避していた。
「……っぶねー」
スキル結晶・回避+3の効果で、危険を感知し、避けるべき方向に体が反応した。
まさに素人でも達人のような見切りを得られる、最高の補助具だ。
もっと慣れてくれば「体が勝手に動く」という境地に達するかもしれない。
ローブから伸びてきた手には、禍々しい短刀が握られていた。
間違いなく、毒が仕込んである。
元の世界のマンガで見た、殺人鬼の作ったナイフによく似ている。
「0.1mgでクジラを動けなくするような」毒かどうかまでは分からないけれど。
──!!──
俺は次の一撃もかわした。
次いでその辺にあった壺を拾うと、魚面に投げつけた。
──ガシャン!──
一瞬だけ、奴の動きが止まった。
しかし虎が襲い掛かってきて、その爪で俺を引き裂こうとする。
これを、寸でのところで回避。
知里は魚面に実弾入りの魔法銃を放っていた。
弾丸はローブごしの肩口に命中するが、奴は少しもひるむ様子を見せない。
「ちっ。物理耐性のアビリティ付き防具とはね。向こうさんも準備がいいこと!」
小さく舌打ちしてバックステップで距離を取る。
知里は銃口を魚面と虎、交互に向けて大きく深呼吸した。
スペルトラップが発動している以上、魚面は召喚魔法が使えない。
禍々しい短刀からは、毒の飛沫らしきものが滴っている。
かわしても毒の飛沫が時間差で襲ってくる。
当たらなければどうということはない……というわけにもいかなさそうだ。
しかし、この状況下でもっと厄介なのは、虎だ。
まず、一撃を受ければ即死の重量感。
そして威圧感。うなり声だけで足がすくむ。
人間ではないので行動原理が読めない。
それに、鼻を覆いたくなるような肉食獣特有の臭い。
狭い納屋の中を縦横無尽に駆け回りながら、飛びかかってくる。
知里は虎の攻撃を先読みし、実弾を撃ち込むものの、致命傷までは与えられない。
虎の動きは予想以上に素早い。
俺はスキル結晶でドーピングしたとはいえ、猛獣の攻撃をかわし切れる余裕はない。
ただ、虎の攻撃は何度かに1回だけ。
後は納屋の中を、恐ろしいうなり声を上げながらウロウロするだけだ。
魚面がどこまで正確に虎を操れるのかは分からない。
しかし、俺たちの注意はどうしたって猛獣の動向を追ってしまう。
この隙をついて魚面は納屋の入り口へと逃げる。
時折、毒の短刀をチラつかせながら、俺たちを牽制して。
逃げられたら負けだ。
知里は実弾を撃ち込むものの、物理耐性のローブに阻まれてダメージが通らない。
「へっ!」
その時、天井の梁に身を潜めていた盗賊スライシャ―が、矢を放った。
矢は、見事に魚面のローブから出ていた右手首に刺さって、毒のナイフが地面に落ちた。
「……ッ!」
この攻撃にはさすがの魚面も肝を冷やしたようだ。
すぐに短刀を拾う動作に入る。
「そうはさせるか!」
俺は一気に距離を詰めて魚面に体当たりする。
「うおおおお!」
その時、スペルトラップの範囲外から魔法弾が飛んできた。
属性術師ネリーの援護攻撃だ。




