92話・餌にかかった魚
◇ ◆ ◇
動きがあったのは、3日後のことだった。
古物商『銀時計』の店主から連絡が入った。
裏社会で暗殺稼業を営む召喚士魚面と、ようやく接触が取れたようだ。
魚は、かかった。
問題は敵が強力であること。
そして俺たちが魚面を罠にかけて呼び出したことを悟られてはいないか……という点。
盗賊スライシャーには監視を頼んでいたが、精霊術師レモリーがいない今、さすがに盗聴まではできなかった。
裏でこっそり『銀時計』の店主が、俺たちの意図を知らせている可能性もある。
「遠目で見た限りですが、店主におかしな動きはありませんでしたぜ」
「あたしが心を読んだ限りでは、出し抜くようなことは考えてなかった」
この二つの言葉をよりどころにして、俺は魚面との対峙を決めた。
やるからには勝たなければならない。
VS魚面の勝利条件は以下のようになる。
・勝利=魚面の確保。襲撃事件の黒幕の特定。
・敗北=魚面の逃走。俺たちの死傷。
「ともかく」
最悪の事態も覚悟して、万全の準備で臨もう。
◇ ◆ ◇
そして当日の夜。
約束の時間より1時間ばかり早く『銀時計』に向かった。
俺はジャージ姿で、知里は例のキャットマスク。
念のために俺も顔を隠しておくべきだろう。
見るからに怪しい風体で貴族街を歩く姿は目立っていた。
「いらっしゃいませ……」
何食わぬ顔で出迎える老紳士。
用心棒の不愛想な表情にも、さすがに慣れた。
ただ奴の腰に差している剣には、気をつけておかないと。
突然、斬りかかられたら何度も回避できるとは思えない。
「約束の時間よりも早く来てしまったので、ここで待たせてもらえるか」
俺は周囲を警戒しつつ、来客用の椅子を引いた。
「はい。ただいま茶などをお入れいたしましょう」
「毒は入れないでくださいよ?」
「貴方様は大切なお客様です。そんな真似は致しません」
俺は軽い冗談のつもりだったが、店主に真顔でかわされてしまった。
「そうだあたし、忘れ物して来ちゃったにゃ」
知里はしれっと言って店を出ていった。
忘れ物、というのは嘘だ。
納屋周辺に、スペルトラップを仕掛けるためだ。
その間、俺は老紳士と用心棒を引きつけておく。
盗賊スライシャーは伏兵として納屋に潜ませておいた。
俺は椅子に腰かけて、ゆっくりと茶を飲む。
毒が入っているなら、知里が店を出る前に殺意を感知しているはずだ。
店主の顔には、やや緊張の色があったが、敵対する意思はなさそうだ。
「美味しいお茶ですね。ごちそうさん」
「……それにしても、お客様は短期間で変わられましたな」
「そうですか?」
「こう言ったら失礼ですが、ふてぶてしくなられました」
「修羅場をくぐったからだろうな」
「左様ですか。それは何より」
この店主も、前回は俺を殺しかけておいてよく言うよ。
もっとも、この10日余りで俺は何度死にかけただろう。
飛竜や上級悪魔、神聖騎士団……。
ロンレア伯に舌と足の健を斬られて、街道を一夜這いつくばったことは、今までの人生でもっとも苦しい時間だった。
あの状態から生還できたことは、精神的にも俺に力を与えた。
その後、回避+3のスキル結晶を埋め込んだことの影響もあるかもしれない。
まあ自信がついたってことか。
……知里や小夜子たちの力がなかったら、死んでいたろうけど。
「お客様が勝つにせよ、負けるにせよ、何やら私の人生も動きそうですな」
老紳士は何やら含みのあることを言った。
「ご主人の運命まで動くかな?」
さすが人生の裏をも見てきた先達だけあって、凄みを感じる。
「運命が動くときは空気がざわつくんですよ。楽しみです」
「まだ戦うと決まったわけじゃない。仕事を頼みたいだけだ」
そんなことを話していたら、知里が帰ってきた。
キャットマスクなので表情は分からなかったが、やや焦りが見えた。
「どうかしたか?」
「表に、虎がいる」
「は?」
「例の奴、虎を連れて現れた……」
虎って、あの肉食動物の?
窓から覗くと、約束の場所に魚面と思しき姿があった。
確かに虎を一頭、連れている。




