89話・ネコチの数秒でバレた変装
◇ ◆ ◇
翌日の昼過ぎ。
俺は知里と2人で『銀時計』を訪れた。
彼女は名の知れた冒険者でもあるので、キャットマスクを装着して変装している。
万が一の時の伏兵として、盗賊スライシャーと属性魔術師ネリーを外に配置しておいた。
マスクをつけた知里は、いつもとは違う雰囲気だ。
心なしか、動作が可愛らしい。
「直行、あたしのことはネコチと呼ぶにゃ」
「お、おう……」
「知里じゃないにゃ。分かったかにゃ」
「あ、ああ……ネコチ?」
「にゃ」
普段の気怠い口調とは違う、ニャンコ口調に俺は絶句した。
何だろうこの人……。
やはり、人の心は読めるのに空気は読めないんだな……。
「うるさいにゃ。とっとと行くにゃ!」
「ごめんください」
『銀時計』のドアをくぐる。
俺たちの姿を見るや、鼻眼鏡の老紳士がただ事ではないような表情を見せた。
冒険者上がりだという不愛想な用心棒も、いつ戦闘モードに入ってもおかしくない状態だ。
「そんなに俺たちは〝招かれざるお客さん〟かよ?」
「……滅相もございません。まさか〝頬杖の大天使〟さまとお知り合いとは思いませなんだ」
ソッコーでバレてるし。
数秒も保てない変装とは、ある意味すごいのではないかとも思う。
「人違い……いや、ネコ違いにゃ」
しかし知里は意に介さない。
このまま、にゃんこ口調で押し切るつもりか?
何の意図があって?
俺は戸惑いを隠せない。
「左様ですか。これは失礼いたしました」
一方、鼻眼鏡の老紳士は、全く動じなかった。
表情一つ変えずに礼をする。
後ろにいた用心棒は、意味が分からない様子で店主と知里を交互に見ていたが。
「まあいいにゃ。単刀直入に聞くにゃ。『魚面』という召喚師に仕事を斡旋したことはあるかにゃ?」
「さて。存じ上げません」
店主は涼しい顔でそう言った。
「〝嘘〟は良くないにゃ」
「そういう仮面の方はここに来ました。が、あくまでも店の客です。もう一人の客とお茶を飲んで話していた以上のことは、知りません」
「確かにそれは〝嘘〟ではないにゃ。でも、まだ〝隠し事〟はしてるにゃ」
「……参りましたな。聞きしに勝る六神通ですなァ」
にゃんこ口調に気を取られてしまうけれども、知里の特殊スキルの前では内心を隠しようもないので、尋問としてはえげつない。
事実、老練な『銀時計』の店主に、焦りの色が見え始めている。
ここは勝機と見て、俺も尋問に参加させてもらおう。
「ご主人は『魚面』に仕事を依頼した人を知っていますね?」
「はて……」
「『はい』か『いいえ』で答えてください。依頼人の名前は知っていますね」
「……」
「答えられないなら、『はい』ですね」
「……」
思考をコントロールしようとしているのか、店主の額に汗がにじむ。
「次の質問は、依頼人が〝貴族〟か〝法王庁関係者〟かの2択です」
「どうでしょうねえ」
知里は腕を組んで、まっすぐに老紳士を見つめている。
なるほど、知里自身の表情は見えないから、キャットマスクにも一応心理的な効果があるのかもしれない。
老紳士は右手で後ろ頭をかきながら、左手をテーブルの上に置いた。
その動作は、少し不自然に感じる。
「弱りましたなあ。さて、この局面をどう打開しますか……な?」
……!
用心棒の男が抜刀した。
「直行!」
用心棒が俺に剣を振り下ろす。
俺はその寸前で後ろに跳躍した。
知里は叫びながら、魔法銃を用心棒の男に突き付けていた。
椅子が倒れ、三者ともに一瞬で態勢が変わった。
俺の深呼吸と、用心棒のため息が沈黙の室内に響いていた。
「『頬杖』のお嬢さんが叫ばなくても、この男はわが剣を避けていたな……」




