80話・生還
「おい! 人が倒れているぞ」
俺に気づいた門番の騎士たちが、駆け寄ってきた。
松明の明かりと共に近づいてきて、俺を照らし出す。
「ひどい傷を負っている……」
「話せるか? おい君」
俺は首を横に振って口元の傷を指さして見せた。
「喋れないのか? 舌をやられてる……」
「手当が必要だ。聖龍教会に連れて行こう」
「……!」
冗談じゃない。
それだけは断固拒否だ。
俺は必死に抵抗してみせる。
「何だよコイツ。暴れるな」
「取り押さえろ」
「格好からすると異世界人か?」
「……!」
マズい。
状況を切り替えないと……。
俺は抵抗をやめて、満面の営業スマイルを見せようと試みた。
……ダメだ、口を斬られているので、できない。
ひきつったように首を振るのが精いっぱいだ。
これは逆効果で、騎士たちに警戒されてしまった。
「怪しくないか……?」
「不死魔物じゃないよな。誰か敵感知の魔法をかけろ!」
やばいやばい。
俺に敵意はない。
……気を取り直そう。
俺は指で地面に文字を書く素振りを見せた。
「何か書く気か?」
騎士の一人がピンと来て、羊皮紙とペンを手渡してくれた。
高級品なのにありがたい。
俺は気を使って端っこに小さな文字で書き記した。
・自分は八十島小夜子に世話になっている被召喚者であること。
・法王領に向かう途中、何者かに襲撃されたこと。
・スラム街の公衆浴場前か孤児院まで搬送してほしいこと。
ロンレア伯については触れなかった。
「……異世界人か。最近多いよな」
「八十島小夜子って、勇者パーティだったっけ……?」
「知ってるぞ、魔王を倒した英雄の一人だろう!」
「一代侯爵を断って、毎日スラムで炊き出しをやってる女だ」
「ああ、ビキニのあの!」
騎士たちも含め、男たちの言う「あの」が何を指すのか言うまでもなかった。
おっぱいは偉大だ。
先ほどまで、警戒心が残っていた騎士たちの表情が柔らかくなり、和やかな雰囲気に包まれた。
「詰め所に担架があったから、持ってこい」
「誰が行く? くじで決めるか?」
「オレ行きたい! 夜勤明けにおっぱい見ながら、炊き出し食いたい!」
「ああ。こんな用でもなきゃ、堂々とそんなことできないもんな」
「騎士の体面があるからな!」
下世話だけど微笑ましい騎士たちの会話を聞いていたら気が抜けたのか、俺は眠ってしまったようだ。
◇ ◆ ◇
気がつくと、俺はやや硬いけれど清潔なベッドに寝かされていた。
朝の陽ざしが、カーテンから差し込んでいる。
全身に痛みがあった。
ずっと這ってきたためか、手首やひじ、肩、腿やひざに、擦り傷や疲労が残っていた。
ゆっくりと上体を起こそうとするが、全身が鉛のように重い。
仕方がないので首だけを動かして辺りを見る。
カーテンで仕切られた室内は、少しだけ学校の保健室を思わせた。
「直行ちゃん、気がついたかい!」
褐色の肌と、小夜子をさらにムッチリさせたような南国系の彼女には見覚えがある。
炊き出しの仕込みを一緒にやったカーチャだ。
彼女は俺のベッドに駆けよって来ると、心配そうに顔を近づけた。
「待ってて。すぐにお小夜ちゃんとネンちゃんを連れてくるから」
この人も元・魔王討伐軍とのことで、怪我人の扱いには慣れているのだろう。
俺の頭を優しくなでると、急いで部屋を出ていった。
俺は一人で部屋に残された。
騎士たちは帰ってしまったようだ。
「直行君!」
5分ほど待って、小夜子とネフェルフローレンことネンちゃんが現れた。
相変わらずビキニ鎧姿の小夜子に、隠れるようにしがみつくネンちゃん。
朗らかな雰囲気は、まだ殺伐としていた俺の心を和ませてくれた。
「直行君。ひどい怪我……。よく帰ってこれたね。頑張ったね……」
何気ない一言に、俺は安心してまた泣いてしまった。
「直行君の着ていたジャージはいま洗濯してるわ。膝と肘のところがすり切れてしまったから、後でアップリケつけてあげるね」
小夜子はそう言うと俺のシーツをめくった。
俺は、タンクトップとパンツだけの下着姿だった。
一昼夜這ってきたので汚れは酷いし汗臭いかも知れず、恥ずかしかった。
「まずは口元から治療しましょう。ネンちゃん、お願いね」
「はーい」
ネンちゃんは慣れた様子で神聖魔法の詠唱を始めた。
柔らかな光が患部を包み込む。
切り裂かれた口元と口内は、スローモーションで逆再生したように皮膚や肉が戻っていく。
心地よくも、むずがゆいような、経験したことのない感覚だった。
それとともに、痛みも消えていった。
……。
「直行おじさん、なにか話してみてください」
ネンちゃんが少しオドオドした様子で語りかけてくる。
俺は、おそるおそる声を出してみた。
「……あー、うん。えー、ネンちゃん、ありがとう」
何事もないように話せる。
さっきまで負っていたひどい傷が、瞬時に治療されたことに、信じられない思いだった。
「盗賊にでもやられたの? レモリーさんは無事?」
小夜子は、俺の口の周りにべっとりと付いていた血をハンカチで拭ってくれた。
「……実はその……。とても厄介な事になってしまって」
「直行君。その話は、足の治療をしてからにしよう」
小夜子は俺の言いにくそうな雰囲気から何かを察したようだ。
「ネンちゃん、お願いね」
「はーい」
ネンちゃんは片足ずつ、ていねいに治癒魔法を使って治してくれた。
斬られたアキレス腱が、みるみる繋がって何事もないような状態に戻って行った。
回復魔法、こればかりは、いくら医学の発達した現代文明でも太刀打ちできない。
ファンタジー世界の面目躍如といったところか。
「直行おじさんの傷は治りました」
「ネンちゃん、いつも助けてくれてありがとう」
「精霊術で止血や化膿止めなんかの応急処置がしてあったから、元通りにできました。そうじゃなかったら、ネンには難しかったです」
「命拾いしたのはネンちゃんのおかげだよ。ありがとう」
「……でも、疲労は回復していないので、よく休んでください」
ネンちゃんは恥ずかしそうに頬を赤くしてうつむいてしまった。
そういえば、俺は下着姿だった。
慌ててシーツにくるまった。
「ネンちゃんも疲れたでしょう。向こうの部屋で休もうか」
「はーい」
小夜子はネンちゃんの手を取り、部屋を出ていった。
ロンレア伯の話は子供に聞かせたくないから、その対応は適切だ。
俺は小夜子が帰ってから、事の顛末をザックリと小夜子とカーチャに伝えた。
「……そんなことがあったのねぇ」
「直行君……」
エルマ逮捕の一報を受け、俺は重要参考人としてロンレア伯夫妻に捕えられて殺されそうになった。
アキレス腱と舌を斬られて身動きが取れなかったところを、レモリーが逃がしてくれたのだ。
「それで、ロンレア伯の庇護を失った直行ちゃんは今後どうするつもりなんだい?」
不意に、カーチャが尋ねてきた。




