77話・地べたを這う
馬車は法王領を目指して、北へと街道を進んでいるようだ。
俺は闘犬用の檻に入れられて布をかぶせられているので、周囲の状況は分からない。
「あの異界人を差し出せば、あの娘……エルマは本当に無罪になるのでしょうか?」
ロンレア伯爵夫人の心配そうな声が聞こえてきた。
声だけ聴くと、なるほど親子でエルマとはよく似ている。
「ねえ、聞いていますこと? わたくし心配なんですけれどもね」
「ああ、私も同感だ。あれが余計な口を叩く可能性も否めない」
ロンレア伯の言う、あれというのは俺のことだ。
「エルマが転生者ではないかという疑惑は、法王庁には伏せているが、あれの証言によっては、エルマの前世を裏付けてしまうかもしれない……」
「そんな! わたくしたちが13年も隠してきた苦労が……」
俺は興味深く夫婦の話を聞き入った。
「当家から転生者を出したことが世に知られる事態は避けねばならない」
「そうですわ。それに、わたくしのお腹を痛めた子エルマが転生者だという証拠があるわけではありませんもの!」
「エルマがあれを召喚したと聞いた時、奴隷でも買って、異界人に見立てたのかと思った。だが、どうもそうではない……あれは本当に異界人だ」
「やめてください、そんな話は聞きたくありませんわ!」
「分かってる。絶対にあってはならない話だ……」
吐き捨てるようにロンレア伯が言った後、少し沈黙が続いた。
……。
「……ああ恐ろしい。恐ろしいですわ」
「少なくともエルマがこの件に関与したという証言は、潰さなければならない」
この夫婦の会話と、エルマから聞いた話を合わせると、何となく全体像が見えてくる。
・両親は保守派の貴族で、転生者の誕生を忌まわしいものと認識している。
・それが今回のエルマ逮捕で、世間に知られるかもしれない。
・あわよくば俺に全ての罪をかぶせて、無罪を勝ち取りたい。
俺にとってとてつもなく嫌な予感がする事態でもあった。
「従者レモリー、馬車を止めなさい!」
伯爵の声が響き渡り、しばらくして馬のいななきと共に馬車は止まった。
俺の視界を奪っていた布が取り除かれると、伯爵夫妻の嫌悪感をむき出しにした顔が見えた。
レモリーは御者台で不安そうにこちらを見ていた。
「レモリー、これを下におろしなさい」
「いいえ、当主様。何をなさるおつもりですか? 直行さまは大切な証人のはず。エルマ様のためにも、無事に法王庁までお連れしなければなりません」
いつも従順なレモリーが、主の命に異を唱えた。
それは伯爵夫妻には寝耳に水だったようで、心底驚いた様子だ。
だがすぐに怒りへと変わり、夫婦でレモリーを罵った。
「レモリー! 従者の分際で! いまの態度はなんですか!」
「いいから下ろせ。口ごたえするな」
「……はい。申し訳ありません」
レモリーは観念したように檻の鍵を開けると、俺を抱えるようにして、馬車の荷台から地面に下ろしていく。
アキレス腱を切られた両足をかばうように、痛くないように、ていねいに接してくれた。
立つことのできない俺は、地面に両膝をついた形で上体を起こした。
ロンレア伯爵は尊大な顔で剣を抜いていた。
「良し。そのまま羽交い絞めにして、舌を出させろ」
「いいえ……舌でございますか?」
舌を斬るつもりなのか。
俺の頭は真っ白になった。
そんな俺をかばうように、レモリーが両手を広げて前に立ちはだかった。
「どけ」
「いいえ! そのようなことはエルマお嬢さまも、法王庁もお許しになりません」
「殺しはしない。舌を斬ってしゃべれなくするだけだ」
……ちょっと待て!
俺は目で訴えかけたが、どうすることもできない。
「いいえ! それだけはご勘弁ください! どうかこの通りです! 直行さまは誠実なお方です。だからこうして参考人として協力を申し出てくれました。エルマお嬢さまを不利になさるような言動は決してなさいません」
レモリーはひざまずき、必死に懇願する。
土下座、というのとは違うポーズだけれども、それに近い格好だった。
そんなレモリーを、伯爵夫人は足蹴にした。
文字通り、靴で頭を押さえつけたのだ。
「元・奴隷風情が。先代の格別なお引き立てによって従者の身分にしてやったのに、情に溺れたのですか、見苦しいですよ。みっともない。慎みなさい!」
「……はい。申し訳ありません」
レモリーは額を地面にこすりつけられていた。
その姿を見て、俺は激昂した。
「慎めだと! ふざけるな、レモリーから足をどけろ!!」
俺は身を乗り出し、レモリーの頭を押さえつけている夫人の足を払いのけた。
「キャアッ!」
「何をするか!」
ロンレア伯が剣の鞘で俺の顔面を殴った。
重い金属の衝撃と痛み。
そのまま俺は、なすすべもなく倒れ込んだ。
健の切れた足にも激痛が走る。
「いいえ! おやめ下さい! 直行さまを殺してはなりません。舌ならば私が斬ります。何卒、何卒……命ばかりはご容赦ください!」
命がけで俺をかばうレモリー。
ロンレア伯の裾にすがりつき、必死で俺の命乞いをしている。
それを振り払うようにするロンレア伯と、彼女を引きはがそうとする伯爵夫人。
「ええい! おだまりなさい! 情にほだされたお前なんか信用なりません。これ! 離れぬか! これ!」
声を裏返らせてヒステリックに金切り声を上げる夫人は、まるで駄々っ子のようだ。
レモリーを引き離そうとする動作が妙に芝居がかっていて、滑稽に見えた。
俺は、夫人の行動に目を奪われて、伯爵が視界から消えていたのに気づかなかった。
それが明暗を分けた。
「……っら!」
……!
伯爵の片刃直刀が横を薙ぐ。
俺の口元は横に裂けて、鮮血が飛び散った。




