76話・闘犬の檻
今回より数話・若干ショッキングな場面がございます。流血描写等が苦手な方はご注意ください。
ロンレア伯爵家に捕らえられた俺は牢に置かれることになった。
しかし用意された牢は地下牢ではなく、動物用の檻だ。
従者レモリーの話では、以前エルマが飼っていた闘犬ジュリーとメリーの檻だという。
闘犬用の檻を荷馬車に積んで、俺を法王庁まで護送するという。
人手がないので、なぜか俺とレモリーの2人で檻を荷馬車に積み込んだ。
ロンレア伯爵夫妻は監視もせずにどこかへ行っている。
こういう言い方は何だが、行動が雑な貴族様だ。
「それにしても、エルマめ……13歳で闘犬に興味を持つとは、どうかしている」
「いいえ。お嬢様が闘犬に興味を覚えたのは7歳の時でした」
「……どうせレモリーが犬の世話をしたんだろう」
「いいえ。当時はまだ屋敷に人手がありましたから」
「……しかし小さな娘に闘犬なんてものを飼わせる親も親だな」
エルマは『転生者なのに両親に可愛がられた』と言っていたが……。
ロンレア伯には何となく無責任な印象がついて回る。
この家の管理はレモリーに任せきりだし、借金も放置。
資金繰りが悪くなれば従者を1人だけ残して解雇したり。
エルマが逮捕されれば即座に俺を追放したり。
……と、そんなことを思っていたところに、当のロンレア伯が現れた。
すでに出立の支度はできていたようだ。
小さな勲章が2つほどついた礼服をまとい、腰には装飾の施された片手剣を下げている。
「良し。檻の積み込みができたな」
伯爵は俺たちが檻を荷馬車に積み上げた様子を見て、満足げにうなずいた。
「うむ。従者レモリーよ、こ奴が逃げられないように足の健を斬るのだ」
伯爵はサラッと、耳を疑うようなことを言った。
「は?」
足の健……アキレス腱を切れと?
だ、誰の?
「……はい。承知いたしました」
レモリーが、無表情に頷く。
「……ちょっ、待っ……!」
慌てる俺に向かって、レモリーは眉一つ動かさずに水と風の精霊術を放った。
それは飛竜戦で見せた、鋭利な刃となって対象を切り裂く術だった。
風の刃は俺の踵の上の薄皮を裂いた。
同時に使われた水の精霊術は、血しぶきを演出するためのものだった。
俺はレモリーの意図を察した。
命令に従っているように見えるが……違う。
俺を庇って伯爵の目を誤魔化そうとしてくれているのだ。
レモリーはどこかに赤い塗料を隠しておいたのかもしれない。
俺の両足のアキレス腱の表層から、鮮血が噴き出し、俺は前に倒れこんだ。
「ぐわあっ……!」
俺は大げさに痛そうな叫び声をあげて、派手に転げまわった。
「良し。そのまま檻に入るんだ。行け」
まるで動物に言うことを聞かせるように、伯爵は片手剣の鞘で俺の尻を押しやる。
俺は荷台に置いた檻まで這って行った。
その時だ。
……!
両足に衝撃が走り、聞いたことのない大きな音がした。
「……っあああああああ!」
不意打ちだった。
本当にアキレス腱を斬られた。
突然のことに、俺は痛みよりも驚きで心臓が縮んだ。
振り向くと、片刃の直刀を抜き放った伯爵が無表情で立っていた。
べっとりと付いているのは俺の血だろう、その刀身を、布でぬぐっている。
「傷が浅かったようだな。従者レモリー。手加減をしてはならぬ」
「はい。申し訳ありませんでした」
レモリーはできるだけ平静を装って返事をしていたが、顔色は真っ青だった。
……。
唇をかみしめた彼女は、何も語らずに俺をかばいながら牢に入れ、カギをかけた。
「従者レモリー。これと目が合うことを、奥が気味悪がる。血の臭いも不快だ。布をかけて香水をまいておけ」
「……はい。承知いたしました」
レモリーは伯爵の言うとおりにせざるを得ない。
俺は、傷口の熱と痛みにさいなまれながら、自身の軽率な行動を思い知った。
浅はかだった。
異世界を甘く見ていた。
元の世界で謳われていた「人権」はもとより、貴族以外には「所有権」なんてものも無さそうなこの世界。
俺はそこで生きる人々の心を、自分と同じように考えすぎていたのだ。
人間はみな誰もが同じように物事を考えるわけではない。
……。
レモリーが檻に布をかぶせ、俺の視界は閉ざされる。
麝香やアーモンドのような匂いの香水がまかれた。
それを嗅いだ俺は、嘔吐しそうになった。
ただ、それと同時に水の精霊術が施され、止血が行われている。
それと、俺の口元にゼリー状になった紫色の水の玉が付着していた。
少し舐めてみると、マー茶の味がする。
これで水分補給を、ということらしい。
これらの処置で、少なくともレモリーはまだ味方だと判断できた。
もっとも、彼女はどうしたってロンレア家の従者だから、期待しすぎは禁物だけれど。
◇ ◆ ◇
荷馬車が大きく揺れ、走り出した。
檻は布で覆われて視界が閉ざされているので、周囲の様子は分からない。
馬車に乗っているのは俺を含めて4人。
御者はレモリーで、伯爵夫妻は荷台に乗っているのだろう。
「……ねえ貴方、そう思いませんこと?」
「そうだね。エルマが生まれたころの聖龍祭は、とても荘厳だったね」
「そうですとも、わたくしたちの手であの子を救ってあげなければなりませんわ」
「本当にそうだね。あの娘を……」
意外だったが、この夫婦はよくしゃべる。
俺が屋敷にいたときはすれ違う程度の関係だったので分からなかったが……。
他愛もない会話をしている。
やたら「そうだね」「そうですとも」が多いのだが、この夫婦の会話には暗黙の言い回しやルールがあるのかもしれない。
主に話題は聖龍さまと信仰のこと。
どこそこの空にいたとか、雲を引いた飛び方は瑞兆であるとか、天気や宗教がらみが多い。
「すべては法王猊下と聖龍さまの御心のままに」
純粋な信仰心を否定するつもりはないけど、領地を持つ貴族としては、どうなのだろう。
「わたくしたちは責任を取らなければなりません」
「分かってる。エルマを助け出すには、こうするより他にない」
「異界人を差し出して、あの娘を放免させてやらなければなりませんわ」
彼ら夫婦の話題が、重要参考人である俺の処遇について触れられだした。
俺はじっと息をひそめて、彼らの話に耳をそばだてた。
と、いうより他にできる術もない。
足の健を切られたまま法王領へ連行されたら、俺はどうなってしまうのだろう……。




