73話・そんなことしてる場合じゃない!
「ハイハイ、お小夜ちゃんは香辛料のビンを取ってきて、直行ちゃんは、この寸動鍋を火にかけてちょうだい!」
微妙な空気を察知してか、カーチャが元気よく俺たちに指示した。
小夜子はいつもの明るさに戻って、カレー作りの方へ意識を向けた。
ビキニ鎧エプロンの小夜子は、棚から香辛料が入った透明な小瓶を取ってくると、鍋に油を敷いて、クミンシードやシナモンっぽい種子を炒めた。
次にタマネギを焦がさないように炒めるのだが、ペースト状になるまでやるので大変だ。
カーチャと小夜子が交代で大へらを使ってタマネギをかき回す。
その間、俺はすりこ木でニンニクをすりつぶす。
炒めた獣肉を入れるのはその後だ。
俺たち3人は、汗だくになってカレーを作った。
大鍋を使うので、これは重労働だ。
厨房はまるでサウナのように蒸している。
しかも熱せられたスパイスの香りで、何ともいえない気分になってくる。
「暑いわねえ」
「あっはっはっはっ、ホラ直行ちゃん、汗!」
「お、おう……」
小夜子もカーチャも俺も、風呂上がりのようにびっしょりだった。
特に滝のように汗が吹き出る汗かきのカーチャは、笑ってしまうレベルだ。
俺や小夜子に汗をなすりつけて高笑いするカーチャ。
サウナのような湿度と香辛料の刺激的な香りで、3人とも変なテンションになっていた。
「カーチャさんに手伝ってもらうと、すっごく異国的な味になるのよ」
「お小夜ちゃんのカレーはトロッとしてるでしょう。ワタシに言わせりゃ、そっちが異界風よ!」
でも、2人ともすごく楽しそうだ。
俺も自然と笑みがこぼれてしまう。
「よし、こんなもんだね! 直行ちゃんもお小夜ちゃんもお疲れさん」
「じゃあ、味見してみましょうか」
「おう。いただきまーす!」
最後に皆で味見をする。
ショウガとカルダモンの風味が爽やかな辛さを引き立たせて南国を連想させる。
これは先日の昭和カレーとは打って変わって、元の世界でよくネパール人が経営していたインドカレーに近い味だ。
ご飯ではなく、ナンがほしくなる。
もっとも、異世界にカレー文化があったかどうかは分からないから、転生者が伝えた可能性もあるだろう。
「じゃあ、後のことは頼んだよ。今日は男手があるから大丈夫だね!」
一仕事終えると、カーチャは朝風呂を浴びて孤児院に戻って行った。
豪快で暑苦しいけど、気持ちのすかすがしい女傑だった。
そんな彼女だが、両親と弟を魔物に殺されているという。
だから、孤児院で大勢の家族と過ごす時間を大事にしたいと言っていた。
「カーチャさん、パワフルな女性だったな」
「彼女を見てると、今日も1日がんばろう! って気持ちになるの!」
「俺は小夜子さんを見てても、そう思うよ」
残された俺と小夜子は寸動鍋を持って、いつもの公衆浴場の軒下まで運んだ。
俺たちが浴場の軒先に鍋や食器を並べる頃には、人だかりができつつあった。
皆、それぞれ食器を手にしている。
中には欠けた物や、罅の入った物もある。
「おお、もう行列ができてるぞ」
「みんなー! 今日はカーチャさんのカレーよー!」
小夜子はエプロンを脱ぐと、几帳面に折りたたんで軒先のベンチに置いた。
俺は素朴な疑問を彼女にぶつけてみる。
「肌を出してないとバリアって効かないの?」
「う~ん。肌を出す面積もそうだけど、わたしが『恥ずかしい!』って思うのも重要かな。Tシャツくらいだと、とっても脆いバリアなのよ」
「そうか、それで悩殺ポーズもやってたのか……」
「ヤダ。恥ずかしいわ。直行君、思い出させないでよ」
顔を真っ赤にさせた小夜子の周囲は、ピンク色のバリアが張られている。
ああ、なるほど。
「おはようございまーす! 皆さんカレーの炊き出しですよー」
「……えーと、一列に並んでください! だったっけ?」
俺と小夜子は声を張り上げた。
声とビキニ姿とカレーの匂いに誘われるように、ぞろぞろと人が集まってくる。
その中には、俺たちを救ってくれた天才回復役の少女・ハーフエルフのネフェルフローレンことネンちゃんの姿もあった。ひび割れたお椀を2つ手に持っている。
その後ろでは、ダメっぽい感じの無精ひげの父親が、行列から外れてじっとネンちゃんを監視していた。
俺は小声で小夜子に耳打ちする。
「ネンちゃんにお礼を言ってお土産を渡したいんだけど……」
「直行君。優しいんだね」
「でも、あのお父さんにバレたら取られそう。どうしたらいい?」
「そうねえ……」
列に並んだ人たちにカレーをよそりながら、俺と小夜子は一緒に考えこんだ。
その時だ。
ひんやりした風が吹いたような気がした。
ふと、人の気配がする。
見るとレモリーが、俺のすぐ隣に立っていた。
いつからいたんだろう。
カレーの炊き出しやネンちゃんの存在にすっかり気を取られて、気づくのが遅れてしまった。
「一昨日は知里さま、今日は小夜子さまとご一緒なんて、直行さまは、よほど女性がお好きなんですね」
「はい?」
レモリーは平静さを装っているようだが、かなり怒っているし、取り乱してもいる。
メイド服の頭につけるホワイトブリムをしておらず、束ねた金髪も乱れていた。
「直行さま。エルマお嬢さまが逮捕されました」
「……な、なんだってー?」




