727話・クリプトビオシス・ジ・エンド
「なんだ、これ……?」
──強烈な違和感と共に、白日夢のような幻影にみまわれた。
俺の頭の中に、『未来』ではなく、まったく心当たりのない赤ん坊の記憶が流れ込んでくる。
木くずや廃材を寄せ集めて建てられたバラック小屋のようなところで、営まれる性愛と暴力。
クローゼットと呼ぶのもおこがましいほどボロボロの収納家具。
その中で声を押し殺している赤ん坊がいる。
それが霍去病であると気づいたのは、頭の中に、ややカン高くて尊大な声が響いたからだ。
「我と汝は〝何も持たない〟者同士。対になる存在だと思わないか」
確か彼は怪物化した後にクマムシの姿になって朽ちたはずだが、霊体のようになって俺の目の前に立っている。
「どういう……意味だ」
ここは俺の『未来視』の中なのか──。
そこに〝過去を見通す〟異能『宿命通』を持った霍去病が侵入してきた。
俺の記憶の中に霍去病の過去が溶けて混ざってきているように、彼もまた俺の精神との融合を試みているのか──。
霍去病の母親が転生者で、ヒルコに会っている。
その縁から起因して、過去改変で異界にも浸食しようとしているのか──。
トシヒコはもちろん、ヒナや小夜子やミウラサキなどの強者の意識には介入できないとしても、魔法の使えない俺ならいけると思ったのだろうか──。
「俺を、『未来視』の能力ごと乗っ取ろうとしている……?」
いくつもの疑問が浮かぶが、いずれも推測に過ぎなかった。
「〝恥知らず〟直行よ。運も才能も膂力にも乏しいお前の中途半端な人生を書き換えて〝我〟として生きるがよい!」
俺に成り代わる──だと?
『未来視』を剥奪した霍去病が、無造作に手を伸ばしてくる。
「や………めろ……」
抵抗しようにも、まるで金縛りにあったかのように動けない。
そんな俺の頭に手を突っ込んだ霍去病は、脳に埋め込んだ『未来視』のスキル結晶を起点にズブズブと侵入してくる。
『未来視』を『過去改変』能力で書き換えるという、まったく矛盾する概念操作。
転生者を呼び出すヒルコの異能を媒介することによって、時空を捻じ曲げて発現してきた。
魔力を持たない俺には、抵抗する術はなかった。
「実力もないのに随分と良い思いをしてきたようだが、その天祐も今日限りだ」
俺とネオ霍去病──。
二人の存在が混ざり合うように溶けていき、〝俺〟の意識は遠く薄れていく──。
「たった今からお前は〝我〟となる!」
勝ち誇った表情で、俺の記憶を取り込んでいく霍去病。
エルマ、レモリー、皆……。
この世界に来てからの全てが渦のように絡めとられ、流れていく。
死ぬ前に見るという走馬燈ではないが、これまでの思い出がネオ霍去病に吸われていく。
俺という存在は消え失せ、ネオ霍去病の中に存在する「記憶の一部」となる。
『宿命通』『神速通』という、この世界に七つしかないチート能力を合わせて発現されては、俺に勝ち目はなかった。しかし、
「奪われて……たまるか……」
それでも俺は抗った。
為す術がないとしても、動かない手に力を込めた。
気持ちを振り絞る、精神論でしかないかもしれないが、できることをやるしかなかった。
そのときだ。
俺の細胞から、“声”が聞こえたような気がした。
「一人じゃないヨ!」
魚面の声に間違いなかった。
細胞から声が聞こえるなんてありえない話だが──。
かつて“鵺”の“猿”の呪いを受けたとき、庇ってくれた彼女と肉体が融合したことがある。
錬金術師アンナとエルマの蘇生術により、復元したけれど肉体の三分の一くらいは魚面のモノがベースになっている。
──魔力を持たない俺に代わって、魚面が魔法による抵抗を試みている?
我に返ると、現実世界に引き戻される。
白日夢が醒めると、俺の頭にクマムシのようなネオ霍去病が取りつき、舌を伸ばして脳を啜ろうとしていた。
「お魚先生、そういう安っぽい“救い文句”は勘弁してほしいですわね♪」
俺の目線の下にはエルマがいて、邪悪な笑みを浮かべていた。
魚面は腕を伸ばして魔法障壁を発動、俺の体は内側からオーラのような魔力壁があらわれてネオ霍去病の攻撃を弾いている。
「いいえ。直行さまに成り代わろうとは言語道断!」
そこに、雷と化したレモリーがピンポイントで電撃を浴びせる。
「ギャウアアアああああ──!!! クソクソクソクソ! あってはならん! あってはならん!」
黒焦げになった霍去病は、『過去改変』を試みながら自身の体を
「クマムシには代謝を1万分の1にする『乾眠』=クリプトビオシスという状態になると、摂氏150度以上またはマイナス150度以下の温度でも、放射能にも耐えて生き延びることができるらしいですからね♪ 時間をかけて細胞そのものを破壊しておいたんですよ♪」
鼻息を荒くしてトドメを刺そうとするエルマを制し、静かに語りかけた。
勝敗はもう決している。
俺に成り代わったとしても、彼は生命を維持できない状態だ。
それは半分乗っ取られかけた俺だから分かることだった。
「……ネオ霍去病。母親のことは気の毒だったな。……もういいだろう。お前はよくやったと思う」
俺は彼の記憶を垣間見たことで、その生涯を追体験した。
名前もつけられることがなかった赤ん坊が、『宿命通』という能力だけを頼りにガルガ国王、ラー法王の異母弟で宰相格という地位にまで成り上がったのは、すさまじい執念だった。
生存本能だけでそこまでたどり着いたことに、俺は敬意を抱くようになっていた。
「………」
しかし、そんな俺の気持ちなど、彼には伝わらないのだろう。
ネオ霍去病はやはり最後に何ひとつ言葉を残さず、この世から消えていった。
次回予告
※本編とは全く関係ありません。
直行「Windows10のサポートがいよいよ切れたようだな」
知里「移行のための時間的猶予が必要なユーザーに対しては、ESU『拡張セキュリティ更新プログラム』が提供されているみたいだね」
エルマ「一年の猶予♪ というやつですわね♪」
小夜子「そのまま使い続けたらどうなるの?」
知里「セキュリティソフトを入れていても、OSの脆弱性までは守ってくれないから、まあ危険だよね」
直行「でも実は世界で使用されているPCの約半分がまだWindows10なんだとか。11に要求されるマシンスペックも高いし、PC価格の高騰もあって、買い替えるのもハードルが高いよな」
エルマ「世界の半分は10なんですね♪ 安心しましたわ♪」
知里「そういえば知人の実家が不動産屋やってるんだけど、いまだに事務所のPCがxpなんだよね」
直行「……そういう話、たまに聞くよな。そんなわけで次回の更新は10月24日を予定しています。『更新は忘れずに』お楽しみに」




