710話・ヒルコのはじまり
今回は三人称でお送りします。
ヒルコは無自覚ながら、この世界の法則から逸脱した存在だった。
いつ、どこで生まれ、自我を得たのか本人にさえ覚えがなかった。
当然、親が誰であるかも知らない。
生まれたときにあった記憶は、高層建築物が建ち並ぶ異世界で13歳の少女だったこと──。
そして強烈な絶望と飢えだけだった。
不定型な肉体と、おぼろげな魂をもってこの世界にあらわれたヒルコが、なぜ己を少女だと認識できたかは、自分でもよく分からなかった。
そんな精神のありようを持つ〝彼女〟。
だが、実体としては目も口も鼻もない、ただの肉塊に過ぎなかった。
もうひとつの欲求だった強烈な飢えに飲み込まれるように、他者を捕食し、同化することで生き延びることができた。
彼女は六神通と呼ばれる能力のうち、神足通を生まれ持った。
それは自由自在に自分の思う場所に行き来でき、外界のものを変化させることのできる力──。
飛行や水面歩行も可能で、世界のありとあらゆる場所に行くことができた。
そこで彼女は本能が求めるまま人間の部位を奪い、命を永らえた。
特に転生者や異界人の肉体は、肉塊だった彼女を人間の姿に変容させていった。
しかし元の持ち主が死に至れば、奪った部位も朽ちてしまう。
そこで命に別状のない範囲で肉体を奪い、ツギハギのような状態で生き延びた。
なぜそうまでして生に執着するのか、自分でも分からなかった。
幾百年もの間、異界人の肉体を奪い続けた彼女──。
だが、当時は魔王も健在であり、麾下の魔物たちも人間界に猛威を振るっていたため、その存在はどこにでもいる魔物の一個体として、人々の注目を浴びることはなかった。
状況が一変したのは、ある異変が彼女に起こったためだ。
長い時間そうしてきたように、転生者の身体を奪ったときに、突然その腹に呪物を身ごもったのだった。
男女の交わりに依らず、肉を奪ったことで受胎した。
特殊能力、神足通の覚醒なのかは定かではなかった。
確かなことは、彼女が産んだ奇妙な円盤が、後に『人間のアカシックレコード』と呼ばれる魔道具となったことだ。
「これは、向こうとこちらをつなぐ橋……」
直感的にそう理解した彼女は、異界から人を寄せるために呪物を使用したが、自身ではどうすることもできなかった。
異世界感で召喚魔法を使うためには、向こうの世界の知識が不可欠だったからだ。
ほとんどの記憶を失っている彼女には、自身が生み出した魔道具を使いこなせなかった。
「無理だ。我にはできない。あっちのことは知らないから」
そこで、ヒルコは転生者を利用することを思いついた。
人の世で生きてこなかった彼女には善悪の区別はなく、ただ生存のためと自身の存在をあらわすために、異界人と接触する。
前世の記憶を持つ13歳の少女を標的にしたのも、彼女らがもっとも二つの世界に近接する心を持っていると直感したためだ。
肉体を奪うだけではなく、より多くの異界人を呼び寄せて、魂の情報を得る。
「向こうの世界には、我の失われた半身があるかもしれない……」
この頃になるとヒルコは、自分が転生の失敗者で、魂だけが不定型な魔物にこびりついてしまったのではないかと思うようになっていた。
「前世には会いたい人もおりましょう」
彼女は転生者の少女が13歳になるとき、神出鬼没な能力、神足通で姿をあらわし、術具を授ける。
場合によっては肉体を奪い、自らのものとする。
いつしか異界人たちからヒルコという名前で呼ばれるようになった。
こうしてこの世界に異界人を呼び寄せる役を担った彼女だが、皮肉なことに彼女が術具を授けた者たちは思いもしない形で社会を変革していった。
ヒナ・メルトエヴァレンスは母親を呼び寄せ、勇者トシヒコと合流し、魔王討伐の偉業を成し遂げた。
近年でも〝鬼畜令嬢〟ことエルマ・ロンレアが呼び寄せた〝恥知らず〟直行が、社会の勢力図を大きく変えてしまった。
彼女、ヒルコ自身はそれらの社会変革には興味がなかった。
ただ異界に置き忘れてきたような気がする己が半身を、求めていた。
しかし現在、彼女の魂は、因果の糸を操るネオ霍去病に絡め取られていた。
彼の母親の記憶からヒルコに縁を結び、過去改変能力でその存在を大きく変化させようとしていたのだ。
巨大な異形と化したネオ霍去病に同化されたヒルコは、何が起きているのか分からないまま、ネオ霍去病の持つ宿命通に取り込まれた。
現在、神経ガスが充満する戦場では機神に搭乗した小夜子がネオ霍去病と対峙指定ものの、過去改変の力によって膠着状態だった。
その様子を風上から見ていた包帯姿の男が、口元をゆがめた
「会いたかったぜヒルコちゃん。蛇野郎の因果は、俺様が断ち切ってやる」
禍々しい呪力を放つ太刀、真〝濡れ烏〟を抜き放った彼は、ネオ霍去病が捕らえたヒルコを見据えた。




