68話・異界風での一悶着
俺たちは通り慣れた貴族街を馬車で行く。
御者はレモリー、俺は荷台だ。
空になったアタッシュケースが、荷台でカタカタと音を立てていた。
目的地の異世界BAR異界風は路地裏にある。
通りのわきに馬をつなぐ馬留めがあるので、馬車を留めた。
俺とレモリーは店に入り、店員を呼び止める。
すると見覚えのある若い男性店員が、愛想笑いを浮かべ……。
「あっ!」
「やべっ!」
そいつは俺たちを見捨てて一人逃げた青年だった。
彼は血相を変えてカウンターを飛び越えると、裏口から逃げ出した。
「レモリー、馬車の返却は頼んだ!」
「はい! ですがその前に」
そう返事をしながら、彼女は逃げる青年を指さす。
土色の光の弾が、地面から舞い上がり青年を追う。
石畳を走っている青年が、とつぜん足を取られ、転倒した。
足元には、石片がいくつか転がっている。
レモリーが土の精霊術でサポートしてくれたのだ。
俺は正面から店を出て裏口に回り青年を追う。
さすがに奴は逃げ足が早い。
カンフー映画のような起き上がり方で態勢を整えると、再び一目散で逃げ出す。
「待てコラ! お前、あの時よくも俺たちを見捨てて逃げやがったな」
「ヒィィ」
俺は叫びながら全速力で奴を追う。
青年は逃げる最中、立てかけてあった棒をこちらめがけて倒したり、店先から果物を奪って投げつけたりと妨害する。
しかし俺は動じない。
ちょうど奴が逃げ込もうとした小路がどこの通りに出るのか知っている。
先回りして通せんぼした。
「俺たちは危うく全滅しかけ……」
「ちくしょおおお」
自棄になった青年は、俺めがけてタックルしてくる。
だがその動きは単調だった。
俺が横にかわしつつ足をかけると、青年は転倒。
「申し訳ありませんでしたああああ」
転倒したまま、器用に180度向きを変えて土下座する青年。
「とにかく異界風に戻ろう。もう逃げるなよ」
念のために青年のベルトの腰ひもを使って後ろ手に縛っておいた。
「逃げませんよ。最初から逃げる気だってなかったのに……」
ブツブツ言っている青年を、BAR異界風に連行した。
◇◆◇
ちょうどBAR異界風では、レモリーと坊主頭で髭面のマスターが交渉していた。
予定よりも1日オーバーしてしまったので、その分の料金をもらいたいという。
さらに車輪と幌の修繕費等も加え、25万ゼニルの追加料金を請求している。
「25万ゼニルですか……」
俺は捕まえた青年をチラ見しながらつぶやいた。
「いや、オレは逃げてないし。その……助けを呼びに戻ったんですよ!」
「……」
青年はボソボソと言い訳じみたことを口にしているが、俺は無視して店主を見た。
「ともかく、異界風さんとは今後も良い関係でいたいので、その条件をのみましょう」
「いいんですかい?」
俺の提案に店主の方が驚いていた。
確かに少し吹っ掛けすぎの金額だとは思う。
逃げた青年に対して思うところはあるが、ここの料理は捨てがたい。
「それに、また馬車を借りる機会がないとも言えないから」
「そいつは勘弁してくださいよ」
店主は苦笑いしながらも、お通しの木の実が盛られた皿を準備する。
「俺は獣肉バルとドライ風ビールを。レモリーはどうする?」
「いいえ。私は夕食の買い物とお屋敷の仕事がありますので……」
レモリーはメイド服の裾をつまんで軽く挨拶をする。
そうなんだよな。
彼女は、ワンオペの従者仕事の合間に、借金返済や馬車の返却に付き合ってくれた。
朝食のサンドイッチまで作ってくれたんだもんな。
「分かった。忙しいところ本当にありがとう」
「いいえ。直行さまとの会食にはご一緒したいので、ぜひまたお誘いください」
外見はクール&ビューティなのに、頬を赤らめてうつむくレモリーは可愛い。
「俺はしばらくここで飲み食いしたら、いつもの宿に帰る。エルマから何か動きがあったら知らせてくれ」
「はい。承知しました」
レモリーを店の外まで見送ると、俺はカウンター席に戻った。
ふと見ると、奥のテーブル席に、見慣れた前髪ぱっつんおかっぱ頭の女性がいて、頬杖をついている。
知里だ。
相変わらず、陶器のグラスで赤ワインを飲んでいた。
「おお知里さん。こんな時間から一杯やってたのか」
「まあね。気前の良い依頼主が報酬に色をつけてくれたからね」
「もし良かったら一緒に飲まないか?」
「別に構わないけど」
俺はドライ風麦酒のジョッキと獣肉バルの皿を持って、知里がいる奥のテーブルに相席した。
「おかげさまで、ようやくミッションが完遂できたよ」
ジョッキとグラスを合わせ、乾杯。
そんな俺と知里を、レモリーが窓ガラス越しに、思い切り睨んでいった。
「……ずいぶんと気前がいいみたいだけど、大金を得て気が大きくなっているんじゃない?」
「手厳しいな。自重しよう」
「まあ、根無し草の先輩からのおせっかいな助言だと思って聞き流してよ」
「いやいや、そこは命の恩人の金言として拝聴しないと」
そんな他愛のない会話をしていると、知里は少しだけ険しい顔をした。
「……そこにいる、敵前逃亡したっていう坊や。アンタのこと相当恨んでいるね。気をつけて」
知里は俺だけにしか聞こえないように小声で言った。
俺は、カウンターで酒瓶を並べている青年を見ないようにして、大きくうなずいた。




