680話・グレン・メルトエヴァレンスを追うな!
グレン・メルトエヴァレンスという名前を、俺も確かに聞いた。
先だってミウラサキからも報告が上がっている。
魔王討伐軍の創設者にして、勇者トシヒコの相棒だった男──。
稀代の戦略家と兵站の運営者としてその名は広く知られているが、6年前にこの世を去っていた。
つまりこの世にはいないはずの人間だった。
それを言った者、隻眼の騎士グンダリは現在、呪縛魔法で拘束されている。
ヒナの初手で視界を遮られているのか、絶体絶命のはずなのに、余裕を感じられる挑発的な笑みを浮かべたままだった。
「聖龍殺しの賢者サマが目潰しとは、セコい手をつかったもんだぜ」
「グレン・メルトエヴァレンスの場所を言いなさい!」
「戒めを解いてくれたら教えてやるよ」
決着はついているはずだった。
ヒナが安い挑発に乗る理由はどこにもない。
「グレン座長の居場所を……」
しかし、彼女は立ち止まりグンダリを前に躊躇しているように思えた。
「ヒナちゃんさん、挑発に乗らないで。これは少しおかしいよ。まずソイツ、グンダリを武装解除させてふんじばろう」
俺は通信機ごしにそう告げながら、戦車を降りて彼女の元まで走っていった。
敵将グンダリの態度は、おかしいのだ。
おかしい、というのは俺の直感……だけではなく、戦術観としても理屈に合わない。
グンダリ自身が絶体絶命のピンチであるのに、まるで危機感がない。
それどころか、ヒナ・メルトエヴァレンスという女王の駒を、みすみす敵本陣に招き入れようとしている。
未来視ができる奴が、聖龍をも倒した一騎当千の女賢者を行かせるだろうか……?
どんな未来が見えているのかは分からないが、向こうには吉、こちらにとっては凶であることは間違いない。
「ヒナちゃん! 迷わないで。団長はもう亡くなっているのよ」
「分かってる! でもカレム君も見たって。ヒナが確認しなきゃ……」
小夜子も刀を構えたまま、警戒しているようだ。
切り刻まれた傷跡は、すでにヒナが治療しているが、ボロボロになった忍者風スーツが痛ましい。
彼女はグンダリから蛇腹剣を取り上げ、強引に武装解除を試みている。
「ママ、ここは任せたわ。戦車は置いておくから直行くんも、後はお願い」
そう言って去って行こうとするヒナの腕を取り、俺は止めた。
「ヒナちゃんさんらしくないよ。こんな危険人物を放置すべきではない」
「グレン団長がいるなら、ヒナが行かなくちゃだめなの!」
ヒナは子供のような言い回しで、向こうの空を見据える。
その瞳はまっすぐだけれど、俺には頑ななようにも見える。
「…………ヒナちゃんさん。……得体の知れない情報に振り回されちゃだめだ」
「大丈夫。気をつけるから」
彼女は優しく俺の手を振りほどくと、飛行魔法で敵本陣の方向へと飛んで行ってしまった。
小夜子は蛇腹剣を奪い、さらにグンダリを拘束しようと、その辺に落ちていたロープに手をかけようとした。
そのときだった。
「よし! これでヒナ・メルトエヴァレンスは終わった」
呪縛魔法を自ら解呪し、吼えるグンダリ。
小夜子は背中に差した太刀〝濡れ烏〟を抜き放つと、奪った蛇腹剣を絡み取るように押し上げた。
しかし、小夜子の手にある蛇腹剣は、まるでグンダリの意志に従うように至近距離から斬撃の雨を降らせた。
「きゃあ!」
短い悲鳴を上げながらも、ピンク色の障壁を発動させて斬撃を弾いた小夜子。
ひょっとしたら忍び装束が破れて露出度が増えた上に、俺の視線を意識したから能力が発動したのか……?
いや、だとしても先ほどのスキルが発動しない状況はどうして……?
俺はグンダリの斬撃が飛んでこないのをいいことに考えを巡らせた。
グンダリは〝未来〟を見すえて斬撃を繰り出す。
それは小夜子にとって意識外からの攻撃になるため、障壁能力『純血の痴女』の範囲外だったのだろうか……?
理屈まではよく分からないが、数秒先の未来に見えた小夜子の位置に斬撃を置くことで、バリアを発動させない攻撃ができる、ということなのか……。
「ええい邪魔だ! 内臓をぶちまけて死にやがれ! もう一回手足をバラバラにしてやる! こっちの未来は確定なんだ!」
しかし小夜子と相対しながら、グンダリの狙いは魚面だった。
未来視を使えば小夜子にもダメージが通るのに、はるか後方の魚面と虎仮面を狙っている。
この攻撃は、そもそもおかしい。
俺たちの中でもっとも強い戦士は小夜子だ。
そして情けないがもっとも弱いのは俺。しかし将棋でいえば王将的な立場でもある。
俺を討ち取れば、戦局は大きく傾く。
なのにどうして俺は狙わないのか……?
相も変わらず、隻眼の騎士は執拗に魚面と虎仮面を狙っている。
ヒナを即座に分断したのは戦術として正しいが、聖龍を倒すほどの彼女を敵本陣に向かわせるリスクは考えないのだろうか。
俺たち現代社会の人間には、そう簡単に人殺しができないことを読んでいるのか……。
いや、違う。この男の行動は未来視に従っている。
だとすれば、俺や小夜子が倒れるヴィジョンは見えていない。
魚面と虎仮面が殺される未来が見えているから、執拗に攻撃を繰り返す。
小夜子が2人をカバーしつつ戦っているが、さすがに防戦一方だ。
そしてヒナを行かせたこと──。
この〝未来が見える〟隻眼の騎士は、自らを囮にして俺たちにとって最悪の未来へと導こうとしているようだ。




