表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/733

65話・「知らない天井」にて悪夢を見たること

 

 俺は何者かの視線から逃れるように、高級宿屋「時のしずく亭」に入った。


 高級宿屋といっても、勇者自治区のホテルに比べれば素朴でこじんまりとしたものだ。

 ただ、それが今の俺にとっては逆に落ち着いた。


 もっとも水道はないし、トイレも共同で汲み取り式だし、風呂もない。

 飲み水を得るにもフロントに言って、()()()を借りてこないといけない。

 精霊術使いのレモリーがいないので、お湯を沸かすこともできない。

 1階が酒場になっていないので、食事は別のところで済ませる必要がある。

 何気に不便だ。


 だが夜も遅いし、安全なところで休めるだけでもありがたい。

 古びてはいるが、質のいいベッドに体を預け、大の字で寝る。

 今日も長い1日だった。



 思い返せば、今朝は勇者自治区の高級ホテルで目覚め、現代を模したショッピングモールで買い物を楽しんだ後、街道に馬車を走らせ旧王都へ戻った。

 夕闇も迫るころ、旧王都ではロンレア伯爵から追放処分を受け、荷物をまとめて屋敷を出る羽目に。

 夜、一人ぼっちで街をさまよい、ここ「時のしずく亭」に落ち着いた。



 この先どうなるのか、予測もできなくなってしまったけれども。

 俺にかけられた『呪い』を解除するためにも、ロンレア家の借金は返済しておかなければならない。


 何となく寝付けないまま、天井を見ている。

 明かりもないので真っ暗だが、ぼんやりと梁のようなものが見える。

 有名なアニメのセリフではないが、『知らない天井』とはよく言ったものだ。


 昨日と今日で天井が3回変わった。

 元のいた世界の俺の部屋、どんな天井だったっけ。

 ……。


 真っ暗な天井を見つめていたら、俺は眠ってしまったようだ。

 そして夢を見た。








 闇だ。

 辺り一面が、真っ黒い巨大な世界。

 暗く、どこまでも深い闇に、俺は沈んでいく。

 深淵という言葉が浮かんだが、心身ともに闇に捕まれて落ちていく。

挿絵(By みてみん)

 どこまで落下するのか、どのくらいの速度なのか分からない。

 時間の感覚もあいまいになっている。

 落ちる、どこまでも暗い。

 鉄のような臭いと味がする。

 俺は血の海に沈んでいるのだろうか……。

 そんなことを考える。

 手足の感覚はない。

 それどころか、体の感覚もない。


 心に強烈に刻まれているのは、何かが「欲しい」という感情。

 手に入れたい、自分のものにしたいという欲求。

 渇望だ。

 どうしても自分のモノにしなければいけない。


 ふと、駅で見た傷だらけの女を思い出した。

 彼女は、俺を見て笑ったのだっけ……。

 いや、顔は見ていないはずだ。

 砕け散るような嫌な音が聞こえて……。







「いいえ直行さま、直行さま! 大丈夫ですか?」


 一転して、世界は光に満ちていた。

 朝だ。


 一瞬、ここがどこか忘れてしまったが、宿屋「時のしずく亭」だ。

 窓からは朝の陽ざしが差し込み、やわらかな風がカーテンを揺らしていた。


 目の前にいるのは、ロンレア伯の従者レモリー。

 切羽詰まったような顔で俺を見ている。


「寝てたのか……俺は」


 俺はゆっくりと体を起こす。

 寝汗でびっしょりだ。

 レモリーは安堵したように、微笑みかけた。


「はい。うなされていましたが、直行さま大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。ただ悪夢を見ていたみたいだ」


 俺は目をしばたかせたり、手を握ったり開いたりしてみた。

 身体に異常はなさそうだ。

 だけどあの悪夢は普通ではない。

 俺にかけられたという『呪い』との関連が気になるほどの、嫌な現実味があった。


「残念ながら私は夢解きなどできませんが、せめてお茶など召し上がって下さいませ」


 レモリーがフロントから水がめを2つほど持ってきてくれていた。

 けっこうな重さだろうに、この人のマメさには頭が下がる。


 火と水の精霊術でお湯を沸かし、備え付けの水差しに茶葉を入れて蒸らす。


 その間、俺は残ったお湯をもらってタオルに湿し、体をふいて着がえる。

 そういえば異世界に来たばかりのころ、異性だからという理由でレモリーの前で着替えるのを躊躇していたら、叱られたことがあったな。

 「従者の生業を否定しないでください」と言われて、ハッとしたものだ。


「着替えは洗濯しますので、このかごにお入れください」


 お茶を入れ終わった後、レモリーは部屋の奥からかごを持ってきて、ベッドのわきに置いた。

 屋敷にいた頃も、身の回りの世話はほとんどやってくれていたな。

 無駄のない動きに感心するばかりだ。


「はい。マー茶でございます」

「ありがとう。じゃあさっそく、いただきます」


 俺は紫色のマー茶を口に運んだ。

 ハイビスカスティーのような酸味のあるエキゾチックな風味が口いっぱいに広がり、寝覚めにはちょうどいい刺激だった。

 エルマはこれにハチミツをたっぷり入れていたが、俺はストレートでも十分いける。


「夕食の残り物で申し訳ありませんが、サンドイッチなどをこしらえて来ました。よろしければ召し上がって下さい」 


 レモリーがサイドテーブルにサンドイッチを広げた。

 パンはライ麦っぽい茶色のやつで、具材はピクルスとチーズと燻製肉。

 少しポソポソするけれど、香辛料とピクルスのビネガーが絶妙にマッチして悪くない。


 腹ごしらえを済ませたら、外に出かける準備だ。

 いよいよ借金を返す。

 件の商人たちには、昨日のうちにレモリーが下話をしてくれていたらしい。


「馬車は裏につけてあります」 


 そういえばこの馬車も借り物だったな。

 借金を返済したら、こっちも返さないと……。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] いよいよ借金返済です。上手くいくと良いのですが。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ