666話・呪殺系魔法の脅威
「魔物の襲来だと!?」
「捕虜が解き放たれてるぞ」
そこにいる誰もが、予想外の出来事に驚いていた。
報告した斥候でさえ、キッカケを作ったことに言葉を失った。
ロンレア領からの奇襲について、副官であるレモリーは関知していない。
直行の指示かどうかも分からなかった。
彼は現在法王庁に飛んだはずで、まだロンレア領に戻る時間ではない。
(……誰が、何の意図で魔物を放ったのか……)
彼女は想像を巡らせるが、可能性があるとすれば召喚士魚面の仕業くらいしか思い当たらない。
(……いいえ。この状況を利用して脱出する。考えを巡らせるべきだ)
一方、膠着したこの状況下を、もっとも素早く活かしたのはミウラサキだった。
「秘技! ノロマでせっかち!」
衛兵から奪った槍を霍去病の喉元に突きつけつつ、時間操作の異能を発現させた。
勇者トシヒコによって付与された「ノロマでせっかち」という特殊能力は、周囲の時間の流れを遅らせ、自身は高速で動くというもので、敵の鈍足化と自身の高速化を同時にかけるものだ。
「速度の王」という異名が示すとおり、スピードを生かした圧倒的な行動力で、彼はこの場の主導権を握った。
「レモリーさん! 背中を任せた!」
「はい。ここからの脱出を最優先にいたしましょう!」
霍去病の正面に立ち、背後をレモリーに任せる。
背中合わせになったミウラサキとレモリーの二人は、お互いの死角を補いつつ、敵陣突破を試みる。
当然、グンダリ、ソロモンらも迎撃態勢を整えた。
「目の前の英雄か? 魔物どもの急襲か? 奇しくも同時攻撃だな。面白くなってきやがった!」
グンダリの隻眼が輝き、立てかけた得物の蛇腹剣『真・鉈大蛇』を構える。
ソロモンは再度奪ったミウラサキの槍トライアドを構え、詠唱体勢をとった。
「とっとと処刑しないから、こうなるんだバカ共が!」
霍去病は苛立ちながら、蛇のような目でミウラサキとレモリーを睨みつけた。
その異能『宿命通』により、他者の「過去」を見ることが可能だ。
彼はその能力を活かし、呪殺系魔法を得意とする。
一撃で敵を死に至らしめる呪殺は、相手の情報を知っていればいるほど成功率を上げる。
ごく限られた強者以外は、容易に呪殺できる力を持っていた。
「フン! 奴隷に売り飛ばされたドルイド女か! 賤民めが!」
霍去病の脳裏に、幼いレモリーの姿が浮かぶ。
故郷の村を魔物に滅ぼされて、奴隷商人に引き取られた一部始終が、高速再生された動画のように流れていく。
ロンレア家に買われた顛末や、直行との出会いなども見透かされた。
「領主の情婦となり成り上がったつもりか! 卑しい女め! 汚い女! 死ね!」
霍去病は侮蔑し、唾棄するように直行やエルマとの日々を早送りにすると、即死魔法を放った。
「うぐっ……!!」
レモリーはすさまじい呪力に強烈な吐き気を覚えた。
かつて直行と魚面を融合させた〝猿〟の呪いのような圧倒的な負の力に、肉体が引き裂かれそうな痛みが襲う。
苦痛に歪んだ顔のレモリーは、迫りくる〝死〟の影に対して、なすすべがないように思えた。
自分という存在を、べっとりとした手でつかまれて死へと引きずり込まれる。
直行との日々も、エルマとの生活も、奴隷時代もドルイド村での幼少期も、真っ黒な死の絵の具に塗り込まれて消されていく。
(直行さま……)
忌まわしい呪いに取り込まれた彼女には、心に刻んだただ一人の男の名を呼ぶより他なかった。
そしてレモリーは倒れ、呼吸を止めた。
「死は成ったか……クククク……ハハハハハ!!」
ネオ霍去病は口元をゆがめて哄笑した。
その様子はソロモンとグンダリにも嫌悪感を催させたが、彼らは平静を装い、ミウラサキに得物を向けた。
「どんな顔して直行くんに会えばいいんだよ……」
一方、がっくりと肩を落としたミウラサキは唇をかみしめる。
「英雄狩りだぜ!」
その隙をついてグンダリの蛇腹剣が唸りを上げる。
心が打ちのめされたミウラサキだが戦意喪失はしてはいない。
同時に襲いかかる無数の斬撃を、時間操作によって鈍足化させ、それらすべてを素手で打ち払った。
「……野郎」
S級冒険者級の実力を誇る騎士グンダリでさえ、魔王討伐者の自力には後れを取った。
しかし武人としての彼は、強敵の出現に笑みを浮かべた。
「ヘボ剣士が! 我に任せよ。英雄とやらの死を見させてやる」
そんなグンダリをネオ霍去病は嘲笑った。
次の標的をミウラサキに定め、絵描きが構図を決めるようなポーズを取った。
「……」
霍去病派そう息巻いたものの、現状、英雄ミウラサキの抵抗力には呪殺は通じない可能性が高かった。
それに加え、霍去病には転生者の前世までは見えなかった。
しかし彼には〝もう一人の青年の過去〟が見えた。
「……ドン・パッティ商会の長男は転生者であり、13歳で前世の記憶に目覚めた、が……」
商会の御曹司ジルヴァンは13歳の時に自我を失い、転生者ミウラサキの人格が目覚めた。
霍去病の脳裏に高速再生されたのは、13歳で自我を失うまでの〝ジルヴァン〟の人生。
「貴様の一部始終は垣間見た! わが霍去病の名において死を賜る!」
霍去病は禍々しい呪詛を投げつけた。
彼の魔法の才能、潜在的な魔力はそこそこではあるものの、過去を見ることでミウラサキとレモリーという強者に対しても即死効果を与えうる呪力を得た。
「……英雄ミウラサキではなく、童子ジルヴァンに〝死〟を」
ネオ霍去病の呪殺魔法が、カレム・ミウラサキの転生先であるジルヴァン・ドン・パッティの肉体と魂に照準を合わせた。




