664話・謎の蘭陵王
生暖かい田園地帯に、黒字に矢印の十字を象った軍旗がはためく。
ロンレア領との国境付近にあった村は、クロノ王国正規軍に接収され、前線基地が設営されていた。
第一次侵攻以降、両国の緊張が高まる中で物々しい緊張感が漂っていた地域だ。
元々の村民たちは強制退去させられ、代わりに5000人もの正規兵と一万人規模の兵站が置かれた。
これだけの規模となると、前線基地というよりは軍事都市といっていいほどの在りようだった。
物々しい壁内には、地上部隊の幕舎や練兵場、騎馬の厩舎などが立ち並んでいる。
中央湖に面した軍港には十機の量産型魔王が停泊し、クロノ王国の本営が置かれていた。
本営では、クロノ正規軍を率いる〝七福人〟のうち総司令官ネオ霍去病を除く3人とその副官たち、上級士官たちの総勢20名ほどが軍議中だった。
「七福人ネオ・ゴダイヴァ様の特攻空爆によって、戦端は切り開かれたましたが、ロンレア、自治区ともにさほど死傷者が出ておりません」
「自暴自棄になった女が、勝手な行動を取るからロクなことにならないのだ……。量産型魔王にどれほどのコストがかかってると思ってるのだ……」
副官の事務的な説明を受けながら、ソロモンは吐き捨てた。
七福人である彼は魔道部隊の司令官を務めている。
「コッパイ家の五男、ゴート、そしてサナ。七福人も3人抜けたな。いっそのこと四天王に名を改めるかい?」
テーブルの上に足を投げ出した隻眼の騎士グンダリが、肩をすくめた。
彼は騎兵、および歩兵の地上部隊の司令官を務めている。
「……オイ。あまり、敵さんを舐めない方がいいぜ?」
一方、この2人とは対照的だったのが、〝七福人〟蘭陵王。
その名の通り、雅楽の仮面を被った謎めいた人物だが、その姿は美少年だったという伝説とは裏腹に、しわがれ声とふてぶてしい態度がとらえどころのない印象を残す人物だ。
「……恥知らずの奴さん。相当に手強いぜ? サナのやけっぱちの特攻をかわしたその足で、法王庁と同盟を結びやがったろう……」
「そうだ。しかも自治区の女賢者を騙し討ちにして処刑した……」
副官の一人が、思い出したように絶句した。
伝説の女賢者ヒナ・メルトエヴァレンス処刑の一報は、すでにクロノ王国には入っている。
「芝居がかった死に方はヒナらしいといえばそうだが、真偽はさておき聖龍殺しの当事者は“死んだ”ことになる。仕組んだかは知らねえが、あの恥知らずが背後にいるのは間違いねえ……」
蘭陵王は仮面の下から伸びた豊かなあごひげをさすりながら続けた。
「……下手したら三者同盟で俺たちを追い詰めてくるぜ? ああ恐ろしい“恥知らず”の君だな」
蘭陵王の仮面で隠された表情は当然分からなかったが、その声が弾んでいることにグンダリは訝しんだ。
「ずいぶんと嬉しそうに恐れるんだな、恥知らずを。あいつ確か法王さまにビビッて女を盾にして逃げ回ってたぜ?」
花火大会での一部始終は、武人グンダリにとってみれば滑稽そのものに思えた。
「恥知らずには計略の才がある。しかも戦闘と政争を同列にとらえて碁を打つ戦バカよ。ああいう戦争の臭いしかしねえロクデナシには、とっととこの世から退場してもらわねえと困るな」
「貴公ほどの軍略家がそこまで〝恥知らず〟を評価するとは意外だった」
2人のやりとりを黙って聞いていたソロモンが口元をゆがめた。
そのとき、彼の麾下である斥候魔導兵が天幕に飛び込んできた。
「申し上げます! ロンレア領内に強力な魔力反応が感知されました」
「まさか〝クソ猫〟があらわれたのか?!」
「指名手配の女冒険者のことだ。誰か見たものはいないか……?」
グンダリはテーブルに投げ出していた足で、麦酒の入ったグラスを蹴り飛ばした。
対してソロモンは身を乗り出し、冷静を装いながら魔導兵に問い直した。
「……いえ、私はロンレアの方角で魔力を感知したにすぎず……」
「……量産型魔王の試作型を単騎で落とした女魔導士……ネコチか?」
冷静さを失ったグンダリとソロモンの様子に、ようやく副官たちが指名手配犯の存在を思い出して結びつけた。
クロノ王国の全兵団にとって、ロンレア領の最高戦力である知里の存在は、もっとも警戒すべき存在だった。
天幕内はどよめき、歴戦の士官や副官たちもが顔を見合わせ表情を曇らせる。
彼らにとって知里の存在は悪夢そのものだった。
そんな中に、ピシャリと鞭の音が鳴り響き、登場した影がある。
「うろたえるな。奴はまだ目覚めてはいない。そんなことよりもこの者らの処刑を早急に済ませろ」
ネオ霍去病があらわれた。
明光鎧と呼ばれる古代中国の鎧をまとった蛇目の青年。
すべての過去を見通す『宿命通』の能力を用い、現実を改変する異能の持ち主だ。
右手には鞭、そして左腕には長い鎖を巻き付けていた。
その先につながれているのは、あどけない表情の青年と、流れるような金色の髪の美女。
2人とも尋常ではない闘気と魔力で肩を震わせている。
囚われている、というよりも「鎖でつながれたまま静かに戦っている」という状況に近い。
「え……? グレン団長」
一瞬、あどけない青年の闘気がゆるみ、大きく目を見開いて息をのんだ。
あどけない青年、カレム・ミウラサキは仮面の男にそう尋ねた。




