661話・虎と魚、そして虎
焼け野原になったロンレア領に、魚面が立っている。
仮面姿の魚面は、かつての暗殺者集団・鵺の姿で虎のトレバーを連れていた。
農業ギルド長クバラから密命を受けた青年、バートの背中に汗がにじんでいた。
シェルターの通風孔からその様子を見ていたが、外に出るのはきわめて危険だ。
ジュダイン・バート。
彼は元A級冒険者で、盗賊ギルドにも所属していた。
魔王討伐後は冒険者を引退し、クバラの元で農業に生業を見出した。
一面の焼け野原には、身を隠すような場所が少ない。
ましてやいつ次の空襲が来るかもわからない状態でもある。
あるいはここへ来てクロノ王国の地上軍が投入されるかもしれない。
このような状況下で、伝説の暗殺者集団、鵺に所属した魚面を尾行しろとの命令は、元A級の冒険者にとっても厳しい任務だった。
(生きて帰れる保証もない。クバラ翁も無茶ぶりが過ぎるぜ……)
心の中でぼやきながらも、彼の目に燃えるような決意がにじむ。
農業で生きることを選んだ彼もまた、土地と財産を奪われた一人でもあった。
(世界が変わる、その濁流にのまれてたまるかよ)
魔王が滅ぼされ、人間同士の勢力争いが始まる。
時代の流れに巻き込まれ続けるバートだが、その都度生き方を軌道修正させて対応してきた。
彼は冒険者時代に盗賊として活躍した能力を活かし、物陰に身をひそめながら距離を詰めていく。
(魚面は召喚士だと聞いている。索敵魔法は使えないと読んだ。しかし厄介なのは虎だな)
風下に位置を取ったが、おそらく虎には気づかれている。
魚面にも察知されたかどうかまでは定かではない。
気づかれたら気づかれたで、敵ではないのだから普通に挨拶をすればいい。
ただ、彼女の目的が気になった。
魚面は瓦礫に埋もれた一画で、何か探しているようだ。
虎も、それを手伝おうとしている。
バートにもその場所はおぼろげながら覚えがあった。
地下牢だ。
しかし彼の記憶では捕らわれた者などいないはずだ。
荒くれ者の多いロンレア領だが、クバラ麾下の自警団によって統制は取られている。
もちろんケンカや泥酔者の狼藉などは毎日のように起こっているが、それらは簡易的な留置場で二、三日頭を冷やせば釈放される。
盗みを働いた者には手かせ足かせをつけた重労働が科せられるが、地下牢に閉じ込められた話は聞かない。
最も重い罪で女性への乱暴狼藉で、数年前に一度あった。
しかしこれも袋叩きにされた上に額に刺青を入れて追放の措置がとられた。
(俺は知らないぞ……)
固唾を飲んで身をひそめるバートを尻目に、虎が何かを探し当てていた。
鼻を瓦礫に押し付け、喉を鳴らす。
「トレバー! おいで!」
魚面は虎を呼び戻し、頭を撫でる。
そして魔法の詠唱をはじめると、衝撃波で瓦礫を吹き飛ばした。
(A級の魔導士レベルか……)
バートは少しだけ安堵した。
魚面の実力の底が見えたからだった。
勇者パーティの実力を直接見たわけではないが、魚面レベルの魔法力はかつての冒険者時代に何度か目にしたことがある。
一方で味方として考えた場合、現状ロンレア領の最強戦力の魔導士としてはやや心許ない。
噂に聞くS級冒険者の知里や勇者パーティとは、越えられない壁があるのは確かだ。
「……!!」
バートが思案を巡らせていたそのとき、魚面の姿が消えた。
位置取りから、吹き飛ばした瓦礫の下にある地下牢に入ったと思われた。
虎を見張りに立たせているため、それ以上近づくことは難しい。
バートは追跡する手を考えたが、ただその状況を見守ることしかできない。
どれくらい時が過ぎただろう。
魚面は一人の大男と共に地上にあらわれた。
大男は虎を模した仮面を被っている。
魚の面とも共通項がある装備に、バートは総毛づいた。
「あれは……鵺だ」




