62話・旧王都への帰還
翌朝。
澄み切った空気と、窓から見える中央湖の雄大な景色。
勇者自治区の高級ホテルでの宿泊は、素朴な異世界生活で疲れ切っていた俺にとって、夢のような体験だった。
フカフカのベッドで眠り、飲みたいときに冷蔵庫から好きな物を取り出すことができ、新品の歯ブラシで歯も磨ける。
ちなみに、このT字カミソリや石けんも含めたアメニティグッズ類。
小夜子がフロントに連絡して、ちゃっかりと使用した3部屋分をもらってきた。
「ちょっとセコいかも知れないけど、直行君、備品の歯ブラシとかカミソリいる?」
「おお! 欲しい。実は売ってる場所、聞こうと思ってたところ」
「図々しいかな~とは思ったけど、消耗品はOKだって」
「タオルとバスローブは持ち帰りNGなんだよな。自治区で買って帰るかな」
「賛成! わたし今のタオル3年も使ってるので、けっこうボロボロだもん」
「チェックアウトしたら少し買い物するかな」
エルマがこの場にいたら、
「悠長にショッピングですか?」と怒られそうだ……。
「早く帰って借金返済しますわよ」とも急かされそう。
フワフワのタオルの感触は忘れられない。
レモリーも何となく嬉しそうだ。
が……。
「欲しいものがあったら、まとめて俺が払うよ」
「それは困るわ。お金の管理は自分でちゃんとしておきたいの」
「命を助けてもらった上に、お礼もさせてもらえないなんて、困るよ」
「だったら、今度炊き出し手伝って。お鍋洗うのとか大変なんだ」
「そんなのお安い御用だ。いつでも呼んでくれ」
「……」
俺と小夜子の親しげな会話。
レモリーはたちまち表情をくもらせ、仏頂面で聞いていた。
「レモリー、何を怒ってるんだ?」
「いいえ、直行さま。朝食の用意ができているそうですよ?」
◇ ◆ ◇
朝食はバイキング形式だった。
この世界では珍しい、ふわふわ、サクサクのクロワッサンや、ドイツパンのラウゲンロール、イタリアの素朴なパン、チャパタ等、昨夜のレストランを彷彿とさせる豊かな品ぞろえだ。
「ここも現代料理だな」
「はい。昨夜の食事処がこの宿屋に朝食も提供しているそうですよ」
レモリーは無表情にビュッフェトレイに刻まれている文字を指さした。
「昨夜のトンカツ、美味しかったなー」
「はい。私は直行さまと同じ炭火焼の獣肉バルをいただきました」
「……まあ、あれだけの店がそう何件もないわな」
食事を済ませた俺たちはチェックアウトの手続きを取った。
何しろ5000万ゼニルもの大金と馬車を預けてある。
しかしそこはVIP御用達の高級ホテルらしく、金庫も倉庫もキチンとしていたので何の問題もなかった。
帰りがけに、フワフワのタオルやバスローブなども買い込んだ。
タオル地のバスローブはレモリーも気に入っていたようで、自分用のものを買っていた。
エルマにもお土産でフェイスタオルと一緒に買っておいてやろう。
知里へのお土産はすでにボトルワインを購入済みだ。
ついでというか、護衛の3人組にも何か買っておいてやるか。
興味深いのが、旧王都の手作り品と比べて価格が抑えめな点だ。
この町にあふれるモノの高品質低価格ぶりには驚いてしまう。
俺がホテルで見たような『複製』スキルの応用で大量生産しているのだろうけれども。
あるいは別に方法があるのかもしれない。
何にしても、現代の技術に、異世界のスキルや魔法を掛け合わせることで、いとも簡単に飛躍した生産性が発揮できるのだ。
俺たちが見たのは、ほんの一部分、表層だけだ。
機会があれば、農業や畜産業などの現場も見てみたい。
なるほど、いぶきやアイカのような被召喚者が、異世界改革に熱狂するのも分かる気がする。
俺と小夜子は馬車の荷台に乗り込んだ。
御者を務めるのはレモリーだ。
馬は1頭しかいなくなってしまったが、帰りの荷物は軽いので問題はないだろう。
「勇者自治区か、すごいところだったな」
「はい。圧倒されてしまいました」
「ヒナちゃんの本気はよく分かったわ。でも、わたしはわたしで頑張らないと!」
この街の熱気を背に、俺たちを乗せた馬車は旧王都方面の街道を走った。
俺たちのマナポーション化粧水6000万ゼニルをめぐる取引は無事、終了した。
エルマは法王庁で単身、弁明中。
しかし借金の3500万ゼニルは期日内に返済のめどが立った。
俺の手元には800万ゼニルが残り、それに加えて1500万ゼニルを皆で山分けすることができる。
現代に帰る方法も、かなり条件は厳しいけれど分かった。
南からの暖かい風を受けて、レモリーの髪がたなびいた。
街道の街路樹は、青々と茂っている。
そういえばこの世界に四季はあるのだろうか……。
空はどこまでも高いので、ひょっとしたら秋なのかもしれない。
旧王都が近づくにつれて、雲の切れ間から空を泳ぐ巨大な深海魚リュウグウノツカイが姿を現した。
悠然と大空を征く聖龍さまは、金色の光彩を放ちながら法王庁のある東の空へ向かって行った。




