600話・落日のロンレア伯2
ラーの親書には、以下の内容が記されていた。
◇ ◆ ◇
ロンレア伯爵の篤信ぶりは、信徒の長として誇りに思っている。
決闘裁判にいたる行き違いの経緯は承知している。
その結果も含めた諸々の風評を恥じているかも知れないが、余はそうではない。
ロンレア息女の名誉は必ずや回復されるだろう。
エルマの功績は時代を変え得る技術をもたらしたこと。
ぜひご息女エルマを中心とした新魔法の研究機関を発足させたい。
ロンレア伯にはご息女の件、せひ同意してほしい。
◇ ◆ ◇
──にわかには信じられない手紙の内容だった。
世評とはあまりにも違う法王の見立ては、ロンレア伯が実際に体験した決闘裁判での雰囲気とも食い違う。
「直行殿はこの件をご承知なのかな。仮にもエルマの夫であるのだ。特使殿とも親しい間柄だと存じておりますが……」
本当にラー法王猊下の親書なのか──?
ロンレア伯に、ひとつの疑惑が浮かんでいた。
目の前にいる特使は、決闘裁判の際に異界人・直行と親しげに話していたことが記憶にある。
「……この親書について、“恥知らず”直行殿が、関わっているのか、いないのか……」
ロンレア伯は、鋭い目つきでジュントスに問うた。
その言に、問題の親書を読んでいた夫人は手を止めて息をのんだ。
「“神の代理”たる法王猊下の親書を“偽物”だとするのは、不敬ではありますまいかな」
法王の特使を務めたジュントスにとって、この任務は苦いものだった。
ロンレア伯は第67代法王ラー・スノールの熱烈な支持者だったことは当然、彼の耳にも入っていた。
ラーからは「親書を渡せ」としか命じられていないが、その裏の意図は明確で、分断工作だった。
直行とエルマの関係にくさびを打ち、ロンレア伯と一人娘の親子関係に引き戻す。
「確かに、拙僧と直行どのは、心を打ち明け合った〝ズッ友〟であります。されど拙僧は法王庁の特使として伺ったのです。立場が違います」
ジュントスは毅然として言い切った。
「……これは失礼を申し上げました……」
伏し目がちに呟いたロンレア伯は、唇をかみしめた。
崇拝していた若き法王に対する疑惑を口にしてしまったことを恥じていた。
同時に、あとから湧いてくる自身のどうすることもできない心のわだかまりを、彼は抑えることができなかった。
「……私には、もう、分からないのです。忌まわしき異界人との関係も、娘の行く末も、悪名も、法王猊下のお心も、何もかもが、理解を越えていて……」
思えば彼の半生は矛盾に満ちたものだった。
異界人排斥派だった自身が、あろうことか授かった娘エルマが転生者だったことは悪夢としか言いようがなかった。
しかし、同時に授かった愛娘を心の底からいとしく思っていた。
折しも異世界人排斥の急先鋒だった先代の法王の御代──。
転生者であることが知られたら、貴族であろうと即処刑の苛烈な治世。
同じ異界人嫌いでありながら、ロンレア伯夫妻は愛娘を守りたいという矛盾した心を抱き続けてきた。
ラー・スノールの時代になってからは、苛烈な指令は撤廃されたが、ロンレア伯にとっての人生は矛盾にからめとられたものになった。
愛娘が召喚したという直行という異界人との出会いで、さらに矛盾は極まり、馴染みの古物商の伝手に暗殺者“魚面”を差し向けるという暴挙にも出た。
それらは最悪の形で明るみに出て、あろうことか決闘裁判の当事者ともなった。
「私は家のため、娘のため、よかれと思ってやったことが、全て裏目に出てしまった……」
世界を巻き込んだ悪名と躍進を遂げた自領ロンレアの顛末に、どうしたらいいか分からないのが本心だった。
「……私は法王猊下を崇拝している。エルマを大切に思っている。異界人・直行は許せない。……しかし」
「しかし?」
「……そう、だからといって娘に“法王猊下の言うとおりにしろ”とは言えない……あの子に“そうしろ”と強制できない……できない……。私の行動は裏目に出るし、そもそも矛盾、なのだ……」
ロンレア伯は言いよどんだ後、ハッとして口を押さえた。
「……矛盾、ですか」
「…………」
ロンレア伯は答えなかった。
いまにも頭を抱えそうに両手を震わせている。
その様子を見た夫人が、そっと彼の手を押さえた。
一方、思いもかけない伯爵の告白を聞き、ジュントスは少しだけ伯爵の心が理解できた気がした。
「人が抱える矛盾は両立し得るものですぞ」
ジュントスは分かったようなことを言った。
「……拙僧もまた、矛盾だらけです。好きで出家したわけでもなく、暴力事件を起こして公爵家を追われた破壊坊主ですが、どういう訳か法王猊下の覚えめでたく、このような大任を仰せつかっております」
あえて語らなかったが、そもそもジュントス自身はコッパイ家の人間ですらなく、替え玉だった。
身代わりを立てた本物はマハーカーラと名を変えて七福人となり、戦に敗れた咎で処刑された。
一方の替え玉ジュントスは“ロンレアの恥知らず”とも親しく、法王にも一目置かれ、そのコネから法王庁でも揺るぎない地位を築きつつある。
「矛盾、それもひっくるめて自分なのです」
彼には妻も子もいなかったが、ロンレア夫妻の姿にふと両親の顔が浮かんだ。
伯爵夫妻とジュントスの両親が似ているわけではなかったが、なぜか思い出した。
おそらく二度と会うことも叶わない実の両親は、替え玉に差し出したわが子を思い出すことがあるのだろうかと──。
「お互い矛盾を抱える同士、仲良くやりましょう。差し当たっては、法王猊下には『ロンレア伯は一切を娘に任せてある』と伝えておきましょう。これ以上あなたが悩むことではありません」
ジュントスはそう言って、ラーの分断工作を反故にした。
エルマとは直接話したことはなかったが、元より「あの鬼畜令嬢」が、直行と手を切って親の言いつけを守り、ラーと行動を共にするとは思えなかった。
それを薄々と感じていたロンレア伯爵も、父親として娘に厳命できなかったのだろう。
「なあに、どうしてもエルマ嬢を引き抜きたかったら法王特例でも何でも出せばよろしいと法王猊下には伝えておきます」
そういい加減に言い残してジュントスはロンレア邸を去った。
その後、ひとり打ち上げと称して立ち寄った酒場・異界風で彼は思わぬ事態を知ることになった。
「法王庁の傘下に入ったはずのロンレア領が『シン・エルマ帝国』を名乗って独立し、諸侯に帰順をうながしている……ですと!?」
異界風の店主ワドァベルトからそう聞かされたジュントスは、耳を疑った。
ロンレア領のエルマが皇帝を詐称し、シン・エルマ帝国を建国して諸侯を傘下に収めると宣言した。
シン・エルマ帝国。
唐突に宣言された『小さな帝国』の出現によって、歴史の波は大きくうねり、時代を大きく動かそうとしていた。
次回予告
※本編とはまったく関係ありません。
エルマ「いよいよこれで600話♪ 次回から最終章ですわー♪」
直行「そんな記念の回なのに、予約投稿って作者は何を考えてるんだか……」
知里「何でも那須塩原にある殺生石を見に行ったみたいよ」
小夜子「伝説の大妖怪・妖狐『九尾の狐』を封印したっていうあの!」
知里「『うしだとうま』のラスボス、白面の者でも有名なやつね」
直行「何か2022年に割れたって話を聞いたが本当なのか? 復活したのか?」
エルマ「次回の更新は10月31日を予定していますわ♪ いよいよ最終章『封印されし妖狐の復活とシン・エルマ帝国の爆誕♪』お楽しみに♪」
※間に合ったら簡単なレポートも作成予定です。




