591話・すさまじい朝2 (恥知らずの決意)
勇者自治区といえども、まだドクターヘリを開発する技術はないようだった。
救護班は二手に分かれ、勇者トシヒコを乗せたストレッチャーを、ドローンのようなエア・モビリティで運んでいく。
一見して危なっかしい光景だが、同乗している術師が魔法により姿勢制御を行っているようだ。
残された救護班が、負傷者の治療に当たる。
とはいえ負傷しているのはヒナやミウラサキや小夜子、アイカなどの要人くらいで、他の者はすでに避難をすませていた。
「対岸で見た限りは“この世の終わりのような景色”でしたが、人的な被害状況はほぼないんですね……」
勇者パーティVS法王の決闘は、聖龍の喪失をはじめ、周囲に重大な影響をもたらしたが、奇跡的と言っていいほど、一般の人々に被害は出なかった。
これはひとえに、勇者と法王が共に理性的だったために出なかった被害だ。
小夜子の障壁や、俺たちの避難誘導も多少は影響したとは思うが、トシヒコもラーも、諸侯や観客を巻き込むような戦い方をしなかったからだ。
「ヒナちゃん。歩ける? 帰ろう……」
「…………」
小夜子は娘のヒナに肩を貸し、静かに歩き始めようとした。
しかし魔力を使い果たしたヒナは、疲労の限界を超えていて、意識が朦朧としていて覚束なく、まともに歩くこともままならなかった。
その様子に気づいたミウラサキと救護班が担架を持って駆けつけ、ヒナを乗せて運んでいった。
心配そうに連れ添うアイカと小夜子。
「直行くん、レモリーさん。ネンちゃんをお願いね」
去り際にそう言い残し、勇者パーティは救護班と共に帰って行った。
◇ ◆ ◇
勇者自治区の陣営も去り、花火大会会場には俺とエルマ、レモリーとネンちゃんだけが残された。
朝の澄んだ空気が、嘘みたいに感じる。
水位が下がった湖に打ち出された大小の船が、朝もやに煙っていた。
もう花火も魔法も飛び交わない空は、深い青と強烈な橙色のグラデーションを描く。
どこまでも静かな朝──。
聖龍が消えた世界の空は、ただ広く、微かな寂しさも感じさせた。
「さて。俺たちも帰ろうか」
感傷に浸ってもいられない。
ロンレア領に帰るためには、まずは勇者自治区に戻らなければならない。
とはいえ干上がった湖を渡る船もないため、俺は通信機で魚面を呼んだ。
「魚面、夜明け前にすまない。いま大丈夫か?」
「……直行サンこそ。そっちはトンデモないことが起こってルね……」
一回の着信で通話に出た魚面の声は緊張していた。
避難は完了しているはずだが、夜通し休まなかったのだろうか……。
「……手短に言うと聖龍さまが斃れ、知里さんは行方不明。トシヒコさんは意識不明の重体。法王猊下も意識がない。とりあえず鵺かアルビオンで迎えに来てほしい……それから」
俺は、通信機越しに言葉を失っている魚面に事の次第を簡単に伝えた。
「……ギッドが近くにいるなら、話したい」
「はっ! 直行どのただいま変わりました。こちら諸侯たちの避難は無事完了し、現在我々は自治区内の宿舎に滞在中。皆で通信機にかじりついております」
早かった。
ほとんど間髪を置かず、ギッドが通信機に出て、矢継ぎ早に状況を説明してきた。
あちらの状況は把握できないが、皆、俺たちのことを気にしてくれていたのだろうか。
ともあれ、皆無事でよかった。
俺は通話を変わったギッドに、改めて状況を説明した。
「……直行どの。もしやとは思いますが、この状況は貴方の意図したものでありますか……?」
おそるおそる、ギッドが尋ねてきた。
いつもの過剰な“買いかぶり”だが、今度ばかりは俺は否定しなかった。
「俺の意志だったと、わざわざ宣伝して回る必要はないが、法王庁やクロノ王国が情報を隠匿したり改竄されたりするよりも先に、この事実を広めてほしい」
実際には単なる偶然で、俺自身夢にも思わなかった結果になった。
最悪といえる状況下だが、本当の戦いはこれからだ。
武器を使わない戦争、諜報活動、情報戦……。
法王の『強制』があるために、大っぴらに彼らに逆らうことはできないが、事実を手早くありのままに広めることは、できるはずだ。
ロンレア領の街道を封鎖して、クロノ王国からの情報網を遮断し、こちらが主導権を握る。
女賢者ヒナが召喚した現代兵器によって聖龍が斃れたことで、まず間違いなく異界人排斥の動きは強まるだろう。
その一方で、仕掛けたのも、聖龍を戦闘に参加させたのも法王という事実は、いかに神の代理人と言えども責任問題ではないか。
法王庁だって一枚岩ではない。ラーの責任問題、という種をまいておいて損はない。
事実だけを広めるだけで、世界は混乱するだろう。
クロノ王国がどう動くかは未知数だが、何がどうあれロンレアを狙ってくるのは間違いない。
できることなら法王庁とは分断して、こちらは勇者自治区を巻き込んで抑止力にしたいところだが、こればかりはどう転ぶかは分からない。
「レモリー、俺は変わるよ。非情なろうと思う。絶対にロンレアを守る。結果として人殺しだって厭わない。悪評も望むところだ。ロンレアの恥知らずとして、この政争を勝ち抜いてやる」
砕け散った自尊心と、さらにくじけそうな心を奮い立たせて、俺は空手形を切った。
「いいえ。そういう汚れ役は、私やエルマお嬢さまが引き受けます。直行さまは皆をまとめ上げる扇の要。それだけを務めていただければいいのです」
レモリーは少し呆れたように笑った。
「直行さんが非情になれるわけないですからね♪」
白目を剥いて倒れていたエルマも、書けた歯をむき出して笑った。
…………。
俺はこの世界の超人たちには決して及ばない。
しかし、負けるつもりはなかった。
信じてくれる仲間たちのために、というとありふれたドラマや少年漫画のセリフみたいで小恥ずかしいが、皆のことを考えると力が湧いてくるのは確かだ。
俺たちの行く末は、困難ばかりが待ち受けている。
ロンレア領の自治権も、法王庁に取られてしまった。
俺は、「強制」の魔法を解いて、どうにかしてラーの脅威を拭わなければならない。
そしてまず間違いなく第二次侵攻を仕掛けてくるであろうクロノ王国。
諸侯たちの反応も気がかりだ。
「神サマも勇者も知里さんまでいなくなっちまった世界だけど、どうにか生き残っていこうな」
「何を気弱なことを♪ あたくしシン・エルマに不可能はありませんわ♪」
「微力ながら私も全力を尽くします」
俺とエルマとレモリーは、改めて誓い合った。
周囲はすっかり夜が明けて、真っ青な空が頭上に広がっていた。
遮るもののない朝の日差しが、俺たちを照らす。
薄桃色の煙を上げていた聖龍も消え失せ、最後に残った霧も風に流されていく。
水平線の向こうから、魚面を乗せたグリフォンがやってきた。
魚面が大きく手を振っているのが分かる。
次いで、鵺に乗ってギッドもあらわれた。
ここからでは表情まではよく見えないが、ギッドはきっと仏頂面だろう。
長い夜が明け、すさまじい朝がやってきた。
俺たちはロンレア領に帰還する。
世界は取り返しのつかない事態となるのだろう。
そんな予感と胸騒ぎがして、俺は知里のスマートフォンを握りしめた。
次回予告
※本編とはまったく関係ありません。
直行「先日オカ研のみんなで『アリスとテレスのまぼろし工場』観に行ってきたな」
エルマ「アリスもテレスもアリストテレスも出て来ませんでしたわね♪」
知里「『希望とは、目覚めている人間が見る夢である』ってアリストテレスの言葉が出てきたからいんじゃね」
小夜子「わたしはメチャクチャ感動したよー泣いちゃったー」
知里「お客さんあんま入ってなかったけど、面白かったわ」
小夜子「ウッソー知里だってボロ泣きしてたくせにー」
知里「まあ。工場の風景はエモかったからね」
エルマ「小さなお子様を連れて観に来てた家族連れが途中で退席してましたけどね♪」
直行「『やっぱりクレしんにしとくんだった』って思ったのかもな」
エルマ「次回の更新は9月23日を予定しています。いよいよ最終章『シン次元! 恥知らずと鬼畜令嬢』お楽しみに」
小夜子「最終章の前に幕間が入るわよ」




