590話・すさまじい朝1
白みかけた空に、生暖かい南風が吹き渡る。
血の臭いに混ざって、焦げた熱波が肌にまとわりついた。
次第に明らかになる、すさまじい夜明けの景色は俺の想像をはるかに超えていた。
半分干上がった湖と、命尽きた聖龍が煙になって霧散していく。
打ち捨てられた多くの船が、下ろした錨と共に投げ出されていた。
そのなかでひときわ豪奢な双頭船は、法王が乗ってきた船だった。
「皆々様! ここが踏ん張りどきですぞ! 法王さまを聖都へと連れ帰るのです」
ジュントスの陣頭指揮の元、飛竜騎士隊や聖騎士、神官や司祭までもが一丸となって撤収作業を進める。
「えいおー、えいおー、聖龍さまのご加護あれかし、えいおー」
独特の節回しで掛け声を上げ、聖騎士たちは飛竜の口にロープを結ぶ。
そして豪奢な双頭船の船首と船尾にロープを結わえ、8頭の飛竜が船ごと持ち上げて運ぶ、簡易的な飛空艇が作られた。
「帰還するのです! われらが聖都へ!」
法王ラーは高位の聖騎士たちによって輿のようなものに乗せられ、丁重に運ばれていく。
神官たちは法王の輿を先導し、祈りの言葉を放ちながら、厳粛な行進を続けていた。
「………!」
心なしか、聖騎士たちに興奮した様子がうかがえた。
たった一人で勇者パーティを全滅寸前まで追い詰めた若き法王の奮戦を、熱い思いで受け止めているのかもしれない。
嫌が応もなく世界は変わる。
この一夜の決闘が、間違いなくこの世界の転換点となり、命運が分かれていくだろう。
神=聖龍が失われた世界で、笑うのは異世界転移者たちか、それとも現地の人たちか。
新クロノ王国、法王庁、勇者自治区。三つ巴の三陣営に、俺たちロンレア領が続く。
歴史はどの方向に流れていくか、誰が生きて誰が死ぬか、いまは分からない。
ただ、そう遠くない未来に、大きな決断を迫られる時が来る。
俺は腹をくくらなくてはならない。
生き残り、ロンレアを守り抜かなければならないのだ。
◇ ◆ ◇
勇者トシヒコはヒナに抱きかかえられながら、微動だにしなかった。
レモリーの話によれば、魂と精霊石を同化させられて、生命活動が停止しているという。
回復魔法をかけるために詠唱を続けていたヒナだが、その場で意識を失った。
がっくりと前のめりに倒れ、トシヒコと折り重なるようにして、起き上がることはなかった
小夜子は疲れ果て、大の字になってその場に横たわっていた。
彼女は疲れ果てた体を投げ出してはいるが、口を真一文字に結んだまま、じっと空を見据えていた。
ミウラサキは両足を伸ばして柱に寄りかかり、接合された傷口を静かになぞっている。
歯を食いしばり、悔しそうだった。
「…………」
俺は、声をかけられずにいた。
法王にかけられた、「逆らったら死ぬ」という『強制』もあるにせよ、彼らの存在が遠く感ぜられた。
あれほどの戦いを目の当たりにして圧倒されてしまった。
あらゆる攻撃を無効化する障壁の女戦士、時間操作能力者、ミサイルで聖龍を滅ぼした女賢者──。
正直に言って、あまりにも次元が違う。
何をどう話したらいいか思いつかない。
彼らと親しく会話をしたり、食事をしたことが信じられない思いだ。
「こっちっすよー! 担架こっちっすー」
そんな俺の鬱々とした思いを吹き飛ばすかのような、アイカの威勢の良い声が聞こえた。
失った両腕のことなど、気にも留めない様子で駆け寄ってくる。
ただ、両手がないことでバランスが悪いのか、走り方がぎこちない。
ヒナたちの方を指し示そうとしても、腕がないので上半身をひねって、失った両腕の部分が、痛々しい。
しかし彼女の迷いのない決断が、ヒナの戦線復帰と聖龍討伐を呼び込んだのだ。
「トシヒコさんが!?」
「ヒナ執政官も倒れてる!」
アイカに続いて、勇者自治区の救護班がやってきた。
花火大会で万が一があった時のために組織された、医学知識のある者と回復術師の一団だった。
彼らも避難していなかったのか、それとも引き返してきたのかは分からないが、万が一の事態への備えは機能したといえる。
とはいえ、せいぜい泥酔者の解放か、解毒を想定していたわけで、まさか勇者自治区の首脳陣がこうなるとは夢にも思わなかったに違いない。
「大変な時に救援ありがとう! トシちゃんとヒナちゃんが意識不明の重体なの」
小夜子が起き上がって、まずは救護班に感謝を伝えてから、ヒナとトシヒコを指し示す。
「ええとあの、ボクどうしよう、その何から説明したらいいか」
救護班に状況を伝える小夜子とミウラサキ。
ことがことだけに、説明には難儀しているようだ。
少しだけ気後れしながら、俺はその間に割って入って行った。
「……どうも、花火大会主催だった直行です。ええと、俺からも状況を説明させてください」
俺は慎重に言葉を選びながら、これまでのいきさつを話した。
トシヒコの状態はレモリーから聞いたそのままを伝えた。
「精霊石を心臓に撃ち込まれ……同化させられているという、ことですか……」
救護班の医師や回復術師たちは戸惑っていた様子だが、おおまかな状況は理解してくれたようだ。
ただ、エルマの肉片複製と、ネンちゃんの回復術を合わせた超再生回復術については言えなかった。
法王が俺にかけた『強制』がある以上、話しただけで命を刈り取られる危険があった。
「救護班でヒナ様を治療して、トシヒコさんを搬送します。問題は湖の水量ですが……」
湖の水が半分くらいに干上がってしまった状況で船を出すのは座礁の危険が伴う。
彼女たちが乗って来た蒸気船は、剥き出しになった湖面に乗り上げられていた。
担架をドローンにセットして、空から運ぶのが最善だろう。
ヒナの魔力が回復すれば、瞬間移動も可能だと、回復術師たちはさほど気に留めていないようだった。
大方の説明を終えると、俺は救護班一人ひとりと握手を交わして、その場を後にしようとした。
「直行くん。今回はとんだことになっちゃって……」
俺を引き留めたアイカがぺこりと一礼し、寂しそうな苦笑いを浮かべた。
彼女の決意と、文字通り両腕を差し出した覚悟は、今後の世界情勢の重大な変化のきっかけだった。
……アイカの両腕をヒナに移植するという、メチャクチャな再生を行ったのはエルマだが……。
俺は白目をむいて倒れているエルマの頬をつついた。
「なあエルマ、アイカさんの腕を元に戻すことはできるのか?」
「……ここでは無理ですわ。あたくしもう限界ですし、それにパーツがなければできませんわ♪ 直行さんの腕を切り落として移植することもできますけど、アイカさんに男性の腕を生やすのは酷ですわよね♪」
奴は面倒くさそうに体を起こすと、いいかげんな口調で言った。
……冗談とはいえ、自分じゃミニ阿修羅を作っておいてよく言うよ。
「そっすね」
さすがにノリのいいいアイカの顔も引きつっていた。
「……アイカさんの腕は、必ず元通りになりますよ」
法王による『強制』が発動する可能性があるために、この場で約束するわけにはいかなかったが、俺は心の中で彼女に約束をした。
超人的な才能や戦闘力を持たなくても、強い覚悟は世界に影響力を与えうる。
結果はさらなる混迷だとしても、アイカはこの世界を動かす力となった。
俺は、彼女の強い意志と覚悟に心からの敬意を払った。
次回予告
※本編とはまったく関係ありません。
エルマ「直行さん夏の終わりにかき氷いかがですか?」
直行「何気に1800円もするじゃないか。かき氷なんて元・水に砂糖水かけただけじゃないか」
知里「キタ。日本人は水と安全は無料だと思ってる発言」
小夜子「え、無料じゃないの!」
知里「誰かが欲しがるから値段がつくのよ。1800円でも買う人がいれば、売れるわけよ。三万もするエロフィギュアだってプレミアがついてたりするでしょ」
エルマ「でもそのお店♪ すぐに撤退しましたけどねー♪」
知里「ちっ」
直行「次回の更新は9月19日を予定しています。『かき氷とともに溶ける』お楽しみに」




