518話・察知と決意
「ママ……!」
小夜子のピンチを目の当たりにしたヒナが、金切り声を上げた。
間一髪で直行をかばい、涙目で法王ラーに無実を訴えた小夜子。
「……知らぬのならば教えてやろう」
そんな小夜子に、法王がこう語りかけている。
「勇者パーティの女戦士よ。そなたが無関係と言い張る、あの〝魚〟と名乗る女の証言によれば……、わが兄ガルガの死因は、暗殺者集団〝鵺〟に伝わる、暗殺術だそうだ」
ラーは教え諭すように、ゆっくり話している。
そしてその場にいる者たちの発する音に耳をそばだてながら、周囲を見回している。
法王の特殊能力『天耳通』は、視界内のものであれば、どんな些細な音でも聞き逃さない。
ターゲットの呼吸から心臓の鼓動、血液の流れる音、筋肉の収縮・弛緩にいたるまで、あらゆる音を聞き分けることができる。
人の身体が発する音を聞き取ることで、知里のように直接思考を読むことはできなくても、その者のおおよその心理状態をつかむことができた。
(──国王さまを暗殺したのって、まさか〝鵺〟だったの?)
小夜子は愕然とした。
(……っていうことは、まさか……)
彼女とヒナ・メルトエヴァレンスは知らなかった。〝透明な蛇〟が、ガルガの前に姿を現したことを。
決定的な瞬間を見ていなかったからだ。
2人が現場から離れた自治区の自席で感知できたのは、クロノ王国の席でなにやら騒ぎが起こったことと、側近の武人や国王と思われる闘気が放たれたこと、そして何者かの血が流れ、湖に落ちていった肉片という、断片的なものにすぎない。
魔王を倒した一行といえど、6年も平和が続けば気も緩む。
小夜子は饗宴の席で花火と会話を楽しんでいた。
クロノ王国とは一悶着あったが、とくに〝殺意〟までは感じなかった。
〝蛇〟が魔法ではなく、蟲を使った暗殺方法を取ったことも、決定的な瞬間を見逃す原因かもしれなかった。
「…………」
一方、ヒナは無言だったが、明らかに動揺していた。
彼女はようやく思い出していた。
あのとき訪れたロンレア領で、〝透明な蛇〟と交戦し捕らえただけでなく、あろうことか死出の旅路へ向かう蛇に、餞別として金塊まで渡していたことを。
ヒナのスキル・精密記憶が、〝蛇〟との戦いや、その後の顛末を、鮮やかに脳裏に映像として再生させた。
旅人に身をやつし、馬に乗って去りゆく蛇の後ろ姿。
ヒナの鼓動が速く、強くなり、息遣いが荒くなった。
すぐに深呼吸で心身の均衡を整えたものの、一連の反応をラーの『天耳通』が聞き逃すはずがなかった。
「執政官ヒナ・メルトエヴァレンス。あなたも関与していたのか……」
ラーが横目でヒナをとらえた。
「!!」
その冷たい瞳にヒナの全身が総毛だつ。
法王から、すさまじい魔力の圧力を感じた。
◇ ◆ ◇
「…………」
法王ラーは決断し、覚悟を決めていた。
〝この世界は俺たちのものだ。決して異界人に明け渡してはならぬ〟
兄に託された言葉が脳裏によみがえる。
〝勇者自治区の連中……。魔王を倒すなどという、常軌を逸した化け物どもだ。英雄などともてはやされているが、のぼせ上らせておくな〟
(──あの遺言を果たすなら、今だ)
この機を逃せば、勇者一行を射程内から取り逃がすだけにとどまらない。
兄の仇を討つという千載一遇の機会を失う。
勇者トシヒコは稀代の実力を持つ上に、抜け目のない性格だ。
監視用の機械が飛び回る城塞のような勇者自治区に閉じこもられてしまったら、うかつに手出しができなくなるだろう。
ましてや自分は、世俗に介入してはならぬという法王庁の掟を破った身。
法王庁に帰ったら、掟破りの咎を受けねばならない。
枢機卿たちの判断によっては、法王を解任されることもあり得る。
(それは構わない。もともと神など信じてはいないのだから)
解任自体は、決断する彼の背中を押した。
(どうせなら、派手に解任されてやれ)
ラーにとって勇者トシヒコという異界人は、少年だったころに憧れた存在でもあった。
正直に言えば、子どものころから〝魔導の天才〟〝1000年に一度の逸材〟などと誉めそやされた自分の実力が、実際どれほどのものなのか、強敵にぶつけて確かめてみたい――そんな思いさえある。
(掟破りのついでに勇者と手合わせできるなら本望というもの)
子供じみた欲求が今、ふつふつと湧き上がってきていた。
「…………」
ただ、一つだけ、心に引っかかることがある。
それは、クロノ王国側に、裏切り者がいたかもしれないことだ。
ガルガが影武者と入れ替わったのは、おそらく本人の意志で間違いはなかったのだろう。
だが、〝未来視〟を持つグンダリと〝過去を見通せる〟ネオ霍去病がついていながら、この状況を予測できなかったとは考えにくい。
この暗殺劇そのものに、クロノ王国自体の関与はなかったとしても……。
ネオ霍去病とグンダリが兄を見殺しにした疑いがあり、これを利用した謀略が進行している恐れさえある。
(──とはいえ、何の証拠もないことだ。いま気にすることではない)
兄の子ローゼル王子を、ネオ霍去病が擁立して王朝を繁栄させれば、それはそれで良し。
当面は泳がせておいて、様子を見るしかない。
「いま討つべきは〝恥知らず〟と賢者メルトエヴァレンス」
ラーは気持ちを切り替え、深呼吸する。
「兄上の仇を討つ!」
この2人は間違いなく、暗殺事件に関与している。
だが〝恥知らず〟はともかくとして、賢者ヒナを相手にすれば当然、勇者トシヒコが黙ってはいないだろう。
ならば勇者までもここで迎え撃つ。
「まだ法王の立場である今のうちに……!」
兄に託された思いがある。
それと同時に、魔王を滅ぼした異界人たちの実力が、どれほどのものかも知りたい。
それは子どものころからの純粋な欲求だった。
「兄上。魔王討伐をなした異界の英雄たちに、挑んでみます」
ラーは目を閉じ、兄の幻に誓った。
次回予告
※本編とは全く関係ありません。
「11月23日は新嘗祭。古来から五穀豊穣を祝う祭祀の日だ」
「五穀って、米♪ 麦♪ 栗♪ ポテト♪ コーン♪ タピオカ♪ ですわ♪」
「エルマちゃん、だいぶ違うし6種あるわよ。お米と麦はいいとして、栗じゃなくて粟、稗……あと何だっけ?」
「お小夜、黍じゃね?」
「『日本書紀』では豆だったり。『古事記』では稗の代わりに大豆と小豆だったり、近世になると蕎麦が入ったり、時代と共に微妙に変わってるみたいだ」
「だったらコーンやタピオカも五穀に入れたっていいじゃないですかー♪ ねえ知里さん♪」
「タピオカの原料のキャッサバは芋だけどね。さて次回の更新は11月27日を予定しています。『エルマの新・五穀豊穣記』お楽しみに」




