506話・勇者トシヒコは動かない
勇者自治区のテーブルには、一見おだやかな饗宴風景が広がっていた。
「ロンレアの大海老、ウマいっすねえ」
ヒナ側近のアイカや自治区の官僚たちが、夜空に打ち上がるカラフルな花火を眺めながら、のんびりと贅をつくした料理に舌鼓を打っている。
グラスに注がれる法王領産のワインが、優雅なひとときを演出してくれていた。
「法王領のワインなんて、異世界へ来て初めて飲みますね」
「だって、本来ならウチら異界人が口にできるような代物じゃないっすもん。今夜は特別っす」
「なんたって、法王さまの妹姫とウチのトシヒコさんの婚約パーティーですからねぇ……」
「でもさっき、クロノ王国のテーブルで影武者騒ぎがあったようですが……大丈夫なんでしょうか」
彼らには何も知らされていない。
騒ぎがあったことは聞かされていたが、そこまで大事が起きているなどとは、官僚たちは知らなかった。
その一方で、自治区のトップであるトシヒコら勇者パーティの面々は、皆けわしい表情だ。
「ねえトシ。〝この惨劇〟を、アナタは見過ごすつもりなの?」
ヒナと小夜子がトシヒコに詰め寄っている。
はた目には痴話げんかのように見える絵面だったが、内容は深刻だ。
「トシちゃん! 国王陛下をお救いすべきだわ!」
「ヒナたちみんなが手を貸せば、助けられるかもしれない!」
だが勇者トシヒコはシャンパングラスを片手に、いつもの飄々とした態度を崩さない。
「2人ともさぁ、見えたま~んまを見なよ。なぁ~んにも起こってないでしょ」
確かにクロノ王国のテーブルは平穏を取り戻し、今は何事も起こっていないかのように見える。
しかしその光景はソロモンがつくり上げた幻にすぎないのだ。
当然、トシヒコたちはそれが〝幻術〟であると見破っている。
先ほどから尋常ではない闘気がうねり、消えていくさまや、魔力が超高精度で発現する様子は、超一級の戦闘能力を持つ彼らにだけは、肌で感じ取れた。
だが、いくら魔王討伐を成し遂げた勇者パーティといえども、幻術を解除しなければ〝幻術によって隠されている向こう側〟すべてを見通すことまではできない。
会場がパニックになる恐れがあるため、解呪してしまうのも躊躇われた。
「こうしている間にも、ガルガさんが……」
隠された向こう側で、確かにいま、ひとつの命が消えようとしている。
これほど大げさに隠され、延命処置を受ける存在が、影武者であるはずがなかった。
「助けるべきだ! ボクが時間を遅らせれば、できることは増えるし、助かる可能性はグンと上がるよ!」
いつの間にかミウラサキも詰め寄って来ていた。
彼は言動こそ幼いものの、時間操作の能力を持つ強者だ。
そして賢者ヒナは精密記憶を持つ超一級の召喚士で、回復魔法も使いこなす。
彼らと法王が協力すれば、ガルガ国王が蘇生する可能性が上がることは間違いなかろうと思われた。
「いーや。俺たちはここで静観だ」
だがトシヒコは頑なにそれを拒んでいた。
当然、正義感の強い小夜子、ヒナ、ミウラサキには納得がいかない。
「どうしてよトシ!」
「トシちゃん、見損なったわ!」
「トシヒコ君!」
「……だってさ~。国王が死んだって、俺たちはなぁ~んにも損しないんだもん。まあ、あの小僧だってうまくやるだろうから、俺たちが出しゃばったって、何のイイこともない。出る幕じゃないのさ~」
飄々とした口調ながら、トシヒコの冷たい意志は揺るがない。
「トシちゃん! 人様の命をそんなふうに言うものじゃないわ!」
「待った。小夜ちゃんは、ついこないだ〝あの連中〟との戦争に駆り出されて、オッパイ丸出しで単騎切り込んで武将を生け捕りにしたんだろ」
「それとこれとは別問題よ」
「ママの言うとおりだわ。見過ごすことは人道上、許されないことよ」
小夜子とヒナは、おどけた様子のトシヒコを受け流し、強い口調で言った。
「……んなこと言ったってなァ。国王助けたってイイことないって」
トシヒコはさらに詰め寄る2人を、面倒くさそうにたしなめる。
しかしヒナたちはなおも食い下がる。
「……打算的に考えるのはヒナ好きじゃないけど、外交的にも恩が売れるんじゃない? それに、法王にだって。弟さんなんでしょ?」
「兄弟といえば、国王様だってトシちゃんにとってはお義兄さんになる人じゃない! 新婚早々、アニマ王女様を悲しませるのはダメよ、ダメ! 絶対!」
トシヒコの頭からはすっかり抜け落ちていたが、今回の婚姻で、彼らとは親戚同士ということになる。
政略結婚なので当然なのだが、貴族に転生したわけでもない現代日本人にとっては、いまひとつピン来ない考え方だった。
「俺様を覚醒剤みたいに言うなよな~。俺たちゃ慈善事業家でもなく、ヒーローでもねえ国家元首なんだぜ?」
「いや、トシヒコ君はヒーローじゃん」
「ちょっと待て。ミウラサキは黙ってろ。いいか? 皆、勘違いしてるようだけどよ、厄介なのは〝七福人〟っていうヘンな連中だ」
トシヒコは急に真面目な顔になった。
「あいつらの出自なんざ、まぁどうでもいい。だが奴らはおぞましい人体実験をやったり、魔王を量産したり、人様の身体を生きたまま改造しまくるような連中なんだぜぇ。当然、捨て置くことはできないだろ……」
トシヒコは、自身の懸念を語り出した。
次回予告
※本編とは全く関係ありません。
「ねえ皆、お月見団子食べる?」
「お小夜、そういや昨夜は十三夜だったか。お月見とは風流ね」
「十五夜だけの片見月は、あまり縁起がよくないって言うでしょ。硬くなっちゃったから、スライスしてトースターで焼くわね。砂糖醤油で召し上がれ」
「おひとついただきますわ♪ 上新粉とお湯でこねた素朴な味ですわね♪ ハチミツかけてもいいですか♪」
「俺は砂糖醤油でいただこう。うん、優しい味だ。美味いよ小夜子さん」
「そうね。美味しいわ。体へのダメージもないから、パクパク食べられちゃう。ワインにはちょっと合わなさそうだけど、コーヒーとは合いそう」
「ホント? 嬉しい」
「小夜子さんの出汁ですか? 甘みとほのかな塩味がと~っても美味しいですわー♪」
「ちょっとエルマちゃん! 塗れ布巾で蒸してラップこねたから出汁なんか出てないわよ」
「次回の更新は10月13日を予定しています♪ 『出汁対決! 鶏ガラの知里VSとんこつの小夜子』お楽しみに♪」




