475話・法王ラー・スノールの憂鬱
※今回は三人称でお送りします。
勇者自治区の迎賓館も兼ねたホテルの貴賓室に、法王ラー・スノールは側近たちと滞在していた。
保守的な聖龍教会が正式に自治区に立ち入るのは、史上初めてのことだ。
国賓として自治区に迎え入れられた二十歳の青年法王は、元々はクロノ王国の第二王子である。
好奇心旺盛で、どちらかといえば研究熱心な学者タイプ。以前から現代文明に興味をそそられていた彼にとって、勇者自治区への訪問は念願であったはずだった。
しかし……。
「法王猊下、また、ため息をつかれましたね。無理もありませぬ。ここ勇者の地は、聞きしに勝る軽薄さ! お気に召しませぬのも当然でありましょう」
同行した老侍従長は、若き法王が頬杖をつく椅子の周りをぐるぐると回っている。
平静を装っているが、落ち着かない様子だ。
自分が常にこき下ろしていた異界の文明を初めて目にして、意外にも夢中になってしまったのか浮かれ気分なのだ。それを隠そうとしているから妙に落ち着かない。
現在この部屋にいるのは、ラーの側近と侍従たち8名。その中にはジュントスやリーザもいる。
紅の姫騎士はさすがに今回ばかりはビキニ鎧を着せられてはいないが、比較的軽装で部屋の入り口に立たされ、番兵の役割を務めていた。
先代法王に重用されていた司祭のうち、私腹を肥やしていた者たちは、この潔癖な新法王によって粛清された。
しかし、法王庁の者たちが伝統的に異界人に対して排他的なのは変わらない。
もともと信仰心が篤いわけでもなく、王族から政治的な理由で法王に据え置かれたラー・スノールの立場は、決して盤石とは言えなかった。
ここにいる側近たちは、ラーにとって比較的信用できるが、全幅の信頼がおけるほどの関係性は築けていない。
法王ラー・スノールは常に孤独だった。
「……皆は、どう思っているのだろう」
特殊能力『天耳通』を受け継ぐ法王は、いわゆる〝地獄耳〟だ。視界内のどのような音でも聞き分けることができる。
それは会話や内緒話だけにとどまらない。能力を使いこなせば、心音や息遣いから、相手がどのような心理状態なのかまで、手に取るように分かるのだ。
(みんな勇者自治区の〝異界文化〟に浮かれているようだな。お祭り気分といったところか……)
法王の自治区入りに関しては、提案したジュントス以外、最高位の聖職者たちのほとんどが反対していた。
身の回りのことを取り仕切る老侍従長も、もちろん異界人との交流には反対だった。ところが情けないことに、同行した彼ら全員が異界の文化に圧倒されてしまい、興奮がおさまらないようだ。
法王の身辺を警護するリーザだけが、異様な雰囲気に飲まれずに任務を遂行しているのは、ラーにとって微笑ましかった。
「フン! 異界人どもの汚れた土地にしては、小奇麗にしておるようじゃないか!」
一方、今まで反対していた側近たちの多くは、声を荒げ、まるで自身の興奮をかき消そうとするかのように、勇者自治区を罵倒していた。
「猊下がわざわざ来るような土地ではありませんでしたなっ!」
「そうですとも! 俗世のことは、我々やガルガ陛下に任せておくべきでした」
「その通り! 猊下は出家された身でありますれば、ただ高処で信徒たちの思いを受け止めておればよいのです!」
興奮した彼らが実際に感じていることと、口に出して言っていることは明らかに真逆だった。とはいえ、彼らの〝言い分〟に道理がないわけでもなかった。
〝王弟〟ラー・スノールにとって今回の〝異文化交流〟を名目とするセレモニーは、末の妹であるアニマ王女が勇者トシヒコに嫁ぐという、政略結婚のお披露目である。
とはいえ地上の権力を捨て、法王になった身なのだから、俗世のセレモニーへの出席など断ってもよかった。
わざわざ因縁のある異界人・直行の口車に乗ったのはほかでもない。
単純に、勇者自治区を見てみたかったからだ。
「…………」
何ごとも自らの目で見て、聞いて、考えたい若者にとって、異世界は純粋に興味の対象だった。
しかし、実際に見た勇者自治区の第一印象は、残念なことに〝期待はずれ〟であった。
もちろん、ずっと憧れていたのに――などとは、枢機卿や侍従長の前では口が裂けても言えない。
そして、異界人の〝現代文明〟を模したという設備自体にも失望した……ということも、もちろん口には出せない。
「皆、下がってよい。余は少し疲れた。ただ、ジュントスには明日の確認事項があるので残ってもらう」
そう言って、ジュントスと警備のリーザだけを残し、人払いをした。
意外なことにラーが現在もっとも信頼している側近が、生臭坊主のジュントスだった。その理由は、自分の欲望に素直で正直な点にあった。
実際、ラーは彼を何度も勇者自治区へ密偵として送り込んでいた。予算を全額使い切って様々なところを見て回るので、幅広い情報が得られた。
「なあジュントス。余は正直、期待外れだったよ」
「左様ですか。さすがは法王猊下ですな。拙僧など、何度来ても飽きませぬ。美味い食事に酒、いい匂いのする女たちを堪能しておりますぞ」
ラーとジュントスの会話が噛み合わないのはいつものことだ。ジュントス自身、どうして法王が自分に信頼を寄せてくるのか、いまだによく分からない。
「……ジュントス。確かに彼らは、われわれとは異なる文化や高い技術を持っている。しかし、勇者自治区が今、技術の下地として利用しているのは、われわれの古代魔法文明なのだ」
「と、申されますと?」
「未知と思えた異界の技術は、精霊石という我々の禁呪を応用した動力に支えられている。それは、お前からの報告でうすうす見当はついていた」
精霊石は、精霊を生きたまま魔晶石に閉じ込めて動力を引き出す。
500年前の魔法王国時代に〝永久機関〟ともてはやされ、流行した〝技術〟だった。
しかし精霊と共存するエルフやドルイドの反感を買い、各地で精霊術師による、テロまがいの精霊石奪還、ないしは精霊の供養と称した精霊石の破壊活動が頻発するようになった。
ことを重く見た法王庁は、精霊石による動力を異端とみなし、禁じた。
その結果、エルフやドルイドとの全面衝突は避けられたものの、彼らと普通の人間との交流も途絶えた。
「聞くところによると、勇者トシヒコはドルイドの生まれだそうですな。ま、異界から転生してきた者であれば、精霊使いとしての道義もへったくれもないでしょうからな」
ジュントスの目は冷ややかだった。彼にとっては、〝便利で生活を豊かにするもの〟であれば何でもよいのだ。
道義などを考えるのは〝宗教家〟の役目だと思っている。
……自身が法王の側近で、立場的には〝宗教家〟であることは完全に棚に上げていた。
「異界人ならば〝石油〟や〝原子力〟と呼ばれるものを使えばいいものを……。それが彼ら転生者たちに使いこなせぬのかどうかまでは知らないが、安易に魔法文明の禁呪に頼りながら、我が物顔で〝世界の改革者〟を名乗ってほしくないものだな」
そう言った意味で法王ラーにとっては、勇者自治区の技術を自分たち流に転用したクロノ王国とて、さして悪いわけでもないと思っている。
……あるいは、兄のやることに異を唱えたくないだけなのかもしれないが……。
さまざまな思いが交錯しながら、セレモニーは開幕のときを迎えようとしていた。
※今回は、次回予告の小芝居を休止させていただきます。
楽しみにされていた方、申し訳ありません。
次回の更新は7月12日を予定しています。




