449話・重力泥棒
知里とトシヒコの対決は、一見すると静かな睨み合いだ。
勝敗も実にシンプルで、トロッコの中にいるいぶきを押しつぶせば勇者の勝ち。それを阻止したら知里の勝ち……。
……らしいのだが、魔力のない俺には、何が行われているのかさっぱり分からない。
「直行さま。すさまじい魔力です。私の後ろにお隠れください」
レモリーはそう言って俺を庇ってくれた。風の精霊による魔法障壁だ。
俺たちの位置関係は、鵺がくわえたトロッコを狙うトシヒコと、対峙する知里の睨み合いを取り囲むような状況に置かれている。
俺とレモリーと魚面は、鵺の背の部分に体を寄せ合っている。
エルマは頭の部分に立って、緊張した様子だ。鵺がくわえているトロッコの中にいるいぶきが現在どのような状態なのかは、ここからでは分からない。
勇者トシヒコは、夜の湖上の空に悠然と身を浮かべ、不敵に笑っている。
「ポケットに手を突っ込んだままで……。トシヒコさんはアレで攻撃しているのか?」
「はい。勇者さまは特殊な精霊術を使い、重力を操るようです……。トロッコの中にいる、いぶきさまを押しつぶそうとしています。……私の知らない精霊術です」
彼女はそう解説してくれたが、俺にはやはり分からない。
重力を操ると言われても、身体の重さ等に変化はない。
しかも殺気も感じない。これまで戦ってきた強敵のように、目に見えない威圧感のようなものも感じない……。
「とてもそんなすごい魔力戦が行われているとは思えないんだけど……」
「いいえ。勇者さまは絶えず仕掛けています。……それに対して、知里さまが解呪魔法で術式の起動をキャンセルしています」
「殺気を剥き出しにしてるようなのは二流ってこと」
知里はトシヒコから5メートルほど離れた宙に浮かび、左手の魔法銃と右手を掲げて牽制しているように見える……が、レモリーが言うには、トシヒコの能力を無効化しているのだとか。
「……派手な撃ち合いは、街を破壊し、味方を巻き込んでしまうので、ごく小さな的に正確に魔法を発動する。知里さまは、その前に術を解除し無効化しています。両者とも、とてもつない速さと正確さです」
自身も精霊使いとしては手練れのレモリーが解説してくれた。
「勇者さまの技はドルイドのものに似ています。ですが、ドルイドは精霊を活かすのに対して、勇者さまの技は精霊を殺して結晶化させる。禁忌の業です」
重力を操るというトシヒコの能力と、知里の光と闇の魔力。
「トテモ静かな魔法戦ダ……ワタシの出ル幕じゃナイな」
元・暗殺者で凄腕の召喚士で高位魔術師でもある魚面の目から見ても、凄まじいようだ。
言葉少なく、緊張した様子で首筋には汗がにじんでいる。
心なしか、空気が震えているような気がしないでもない。
「!」
達人同士の静かな駆け引き、間合いの取り合い。
その空気を切り裂く、知里の動き。
「トシヒコォ!」
派手に仕掛けたのは知里だった。ダークスーツを着込んだ勇者トシヒコに向けて、魔法銃をぶっ放す。
光弾が放たれたが、それは夜の闇に吸い込まれていった。
「ヨク見て直行サン。夜の闇じゃないヨ。……勇者サンは精霊の亡骸から〝重力場〟を発生させようとしていル」
魚面の視線の先は、光弾が吸い込まれた夜の闇。よく見ると夜空にぽっかりと穴を開けたような漆黒の空洞だ。
──ちょっと待て、夜空を覆い尽くすような漆黒の球は、何だ。
「あれば重力場。トシヒコはあたしたちを、あの穴に〝落とす〟つもり」
〝落とす〟って、ありえないだろ……。
俺たちのいた世界の物理学でも、重力の働きはまだ完全に解明されておらず、いろんな理論が存在する。
しかし魔法が存在するこの世界では、物理学なんて当てにならない。
「いいえ。勇者さまの術式は、知里さまが未然に解除していました。なのに、どうして──」
「いい質問だ別嬪さん。ちーちゃんがシコシコ解除してた術式も、利用させてもらった。ちーちゃんの解除式も組み込んで、重力体を作らせてもらったのさ」
トシヒコは笑う。
「アンタの心を読んでも、そんな術式を考えてるふうはなかった……なのに、術式が起動した。無意識に……?」
知里は驚いて目を見開いていた。
「自動生成プログラムみたいなもんだぜ」
「…………」
「ちーちゃんとか、S級以上の相手なら、こちらの攻撃に対して常に最適な解呪行動を組む。それを、パターンとして利用させてもらった」
…………?
何を言ってるのか俺には全く分からないけど、大筋では相手の解呪も利用した大技と考えればいいのだろうか。
自動的に生成される術式ならば、心を読まれている状況でもトシヒコの意図は読み取りにくい。
「……そんなの、ありえナイ」
「ありえないことなんて、ありえない。だろ? 皆まとめて落ちてもらうぜ」
トシヒコは頭上の大きな闇の球体を指さす。
「浮く……?」
俺たちの体は、その黒い球体に吸い込まれるように浮いていく……。いや、落ちると言ったらいいのか。
頭上の球体に引っ張られるように、落ちる。いぶきが隠れたトロッコも、それをくわえた鵺ごと黒い球体に引き寄せられていく。
「うおおおおーーっ!」
「させるか! 呪縛魔法!」
なすすべもなく叫び声をあげる俺に、知里は呪縛魔法を応用して仲間全員を見えない鎖でつないだ。
そして左手の魔法銃で光弾を放って闇を振り払おうとするするものの、威力が違いすぎて解呪できない。
「直行さん♪ あたくしの出番ですわ♪」
そのとき、高らかに声を上げたのは鵺の頭にしがみついていたエルマだった。
次回予告・
※本編とはまったく関係ありません。
「本日5月10日は『五十音図・あいうえおの日』らしいな」
「あたくしは知りませんわ♪」
「偉そうに言うなエルマよ。石川県の山代温泉のお寺にいた名覚上人という坊さんが平安時代末期に五十音の元となる書物を著したのだとか」
「昔の日本では『いろはにほへと』だと思ってましたわ♪」
「俺もずっとそう思ってたけど、五十音図も歴史があるようだな」
「でも、この日を記念日に制定したのは山代温泉観光協会じゃないですか♪」
「次回の更新は5月13日を予定しています。果たして2度目の温泉回はいつか来るのか。お楽しみに」




