42話・八十島小夜子とネフェルフローレン
「列に並んでくださーい。まだ量はありますからー」
スラム街の公衆浴場の軒先で、ビキニ姿で炊き出しをやっているメガネ女子。
今回はカレーではなく、豚汁だ。
何にしても思いっきり目立っている。
さすがに行列に割り込み、頭上から声をかけるのは失礼すぎるので、俺は行列に並んで順番を待った。
一刻を争う事態だけれど、仕方がない。
2分ほど待って、順番が来た。
「八十島小夜子さんですよね? 俺は九重直行といいます。零乃瀬知里さんの紹介で来ました。街道沿いで仲間が毒にやられて大けがをしています。力を貸してください」
「大変! あなたもケガをしているじゃない?」
炊き出し用の器に豚汁を盛る手を止めて、小夜子は大きく右手を上げた。
「どなたか、神聖魔法の『回復』を使える方はいませんかー?」
2人して周囲を見渡すけれど、誰も手を上げる者はいない。
少しだけ、小夜子は考えた後、すぐ隣にいた坊主頭の若い衆に声をかけた。
10円玉くらいの濃さに日焼けしたお地蔵様のような青年だ。
「ミッちゃん、炊き出し引き継いでもらえるかしら?」
「ええ~、僕ですかぁ?」
「具はみんな均等になるように入れてあげてね。大丈夫! ミッちゃん頑張って!」
小夜子はまるでスポコン漫画の女子マネージャーのような口調で青年を励ます。
ビキニとメガネと体育会系という、まったく接点のない個性が際立っていて俺は頭がクラクラしてくる。
「直行君、知り合いに回復の素質を持っている女の子がいるから、その娘を連れていくね。敵はもう倒したの?」
「知里さんが助けてくれた。第2陣が来るか警戒中だ」
「そう。知里がいるなら、大丈夫ね!」
小夜子は、いわくがありそうな日本刀を背中にかつぎ、小さなポーチをパンツの腰の紐部分にくくりつけ、最後に使い込まれたショルダーバッグを肩にかけた。
「じゃあ、ここ頼んだわよ」
そう言って、わき目もふらずに炊き出しの場から路地裏の方へ走っていった。
決断から動き出すまでの一連の動作が早い。
……。
あまりの展開に、俺はポカーンとなってしまったけれども、我に返って後を追った。
◇ ◆ ◇
路地裏を少し行ったところで、10歳くらいの耳のとがった少女が、無精ひげの男と一緒に銅貨を数えていた。
男はよれよれのシャツに、ぼさぼさの髪。見るからにダメっぽい雰囲気のオッサンだ。
女の子の方も、顔立ちは可愛らしいが、粗末な服を着せられている。
「ネフェルフローレン、一緒に来てほしいの。力を貸して」
小夜子は、耳のとがった少女をそう呼んだ。
ダメっぽいオッサンは、ここまで聞こえるくらいの大きな音で舌打ちをした。
「ウチの娘を、忌々しいその名前で呼ぶんじゃねえ! 逃げた女房を思い出して虫唾が走る。こいつはネンだ。ネフェルなんとかなんて長ったらしい名前は捨てた!」
「……お母さん、どこに行ったの? いつになったら帰ってくるの? もう会えないの?」
ネフェルフローレンと呼ばれた女の子は、今にも泣き出しそうな顔で父親を見上げている。
出会って3秒で、彼女の家庭環境が察せられてしまった。
「連れ出すんなら、レンタル料払ってもらわねえとな。5000ゼニル」
吐き捨てるように、ダメっぽいオッサンは言った。
「ネフェ……ううん、ネンちゃんのお父さん。今はそういう状況じゃないの! 困ってる人がいるんだから」
「オレだって金に困ってるよ。助けてくれよ? 娘を借りたいんだったら日当1万ゼニルだ」
「ごめんなさい急いでるの!」
小夜子がほんの少し腰を落とし、大きな胸を寄せるようなセクシーなポーズを取る。
すると、半径2メートルくらいに、うっすらとピンク色のバリアーのような光の円が現れた。
ダメっぽいオッサンは、その円の中から弾き飛ばされ、少女と小夜子だけが何事もなかったようにとどまっている。
「あ、てめぇ、ウチの娘を誘拐すんのか」
「この子の将来のためでもあるの。ネンちゃんには回復役の才能があるわ。小さいうちから経験を積ませて勉強させれば、将来きっと良いお医者様になれるでしょう」
「人の娘の将来を、てめえが勝手に決めるんじゃねえ!」
ダメっぽいオッサンは、小夜子に詰め寄ろうとするが、障壁で近づくこともできない。
小夜子は立膝をついて少女と目線を合わせると、両手を合わせてお願いのポーズを取った。
「ネンちゃんお願い。一緒に来てほしいの」
「うん! ネンはお姉ちゃんのお手伝いしたい」
「ありがとう! ネンちゃん」
小夜子はネフェルフローレン=ネンちゃんを抱き上げて、俺の方に歩いてきた。
「ネン、戻れ! こっちに来い」
「お父さんごめんなさい、夕飯までには帰ります……」
「ふざけんなよ! 人ん家の娘を拉致すんのか? 待て!」
ダメっぽい人は小夜子に唾を飛ばしたり、蹴ろうとするが、その全てが弾かれて転倒してしまった。
そして下品な捨て台詞を彼女に吐き捨てた後、ポケットに手を突っ込んで去って行った。
俺はその様子を、ポカンと見ていることしかできなかった。
「直行君おまたせ。ネンちゃん、まずはこのお兄ちゃんのけがを治してあげようね」
「はーい」
ネンちゃんは俺の肩口など傷を負った部分に手をかざし、何かを唱えた。
すると『治癒』の魔法が発動し、瞬く間に飛竜にやられた傷がふさがっていった。
「すごい…これが回復魔法」
「ネンちゃん偉いね。このお兄ちゃんがほめてくれたよ」
「えへへ……」
治療が続く間、小夜子はホバーボードを見て何かを考えているようだった。
「ありがとうネンちゃん、もう痛くないよ」
俺が礼を言うと、ネンちゃんはとがった耳を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむいた。
小夜子は少女の頭をなでながら、ホバーボードをじっと見ている。
「そのホバーボード、もしかして知里の?」
「ああ。でも、さすがに3人は乗れないから、馬車を手配しないとダメかも。小夜子さん、馬とか持ってたりする?」
小夜子は俺とネンちゃんを交互に見て、何かひらめいたようだった。
「ネンちゃんがそれに乗って、わたしと直行君がぶらさがったら、3人乗りできるかも」
「さすがに無茶じゃないか……?」
「前に知里と冒険した時、そのやり方で〝沈没船から財宝を引き上げた〟から、いけると思う」
「とりあえず、やるだけやってみるか」
まずは板の上にネンちゃんに乗ってもらう。
「小夜子お姉さん、ネン怖いです」
「落ちそうになったり、障害物にぶつかりそうになったら、わたしのバリアで守るから安心して。絶対に怪我はさせないわ」
そして浮き上がったホバーボードに、俺と小夜子がぶら下がり、飛ぶという結構無茶な乗り方だ。
アクセルとブレーキの操作は俺が手で行い、高度の調整は小夜子が行う。
「じゃあ、急ぎましょう」




