364話・三正面戦の決着
「これは……ひどい」
ヒナは言葉を失った。
知里に〝鵺〟退治を任せて、猿と戦う魚面たちの戦域に突入したものの、眼下には巨大な蛙の死骸が転がっている。
どれも内臓をぶちまけた状態で、毒々しい臓物からは紫色の瘴気が上がっている。
鼻がもげるような強烈な死臭に、気分が悪くなってきた。
「魚面さん、レモリーさん!」
「ヒナサン!」
ヒナには状況が分からなかったが、魚面とレモリーは無事だ。
彼女たちの方へ降り立とうとする。
「魚面さん、いま呪いを解除するわ!」
「ヒナサン来ちゃダメダ!」
しかし……。
ヒナの到着を、魚面が止めた。
「ヒナが助けるから安心して!」
「……いいえ。ヒナさま。巨大な毒ガエルの死骸です。この辺り一面に猛毒を撒かれました。魚面さんには呪いがかけられています」
レモリーの顔は青ざめていた。
左腕から、かなり出血している。
動きもどこかぎこちない。
毒が回っているのだ。
「大丈夫よ。ヒナが浄化するから!」
そう言うと彼女は静かに降下していく。
そんな彼女の背中を、衝撃が伝う。
「知里? 直行君まで……どうして」
数百メートル先から急接近してくる知里が、ヒナに向けて最小限の威力で魔力を放ったのだ。
ヒナの脳内に、知里の声が響く。
(ヒナ、近寄っちゃダメ。魚ちゃんの影の中に、お猿が潜んでいる。で、そのことを人に話したら、呪いが発動する術式が仕掛けられてる。魚ちゃんは囮にされてるんだ)
知里は直行のスキル『逆流』を利用したテレパシー能力で、自身の思考をヒナに伝えた。
(でも、魚ちゃんもその状態を利用して、自分ごと呪縛魔法をかけてる。だから陰に潜んでいる猿は逃げられない)
知里には瞬時に状況が読めたが、難しい局面だった。
(猿の狙いは逃走。魚ちゃんが死ぬか手足を失うような状態になれば、あたしたちは取り乱す。その混乱の隙を突くつもり……)
呪殺系魔法や呪いは、相手の情報を知っていればいるほど成功率が上がる。
名前、身体的特徴、家族構成、性格……。
対象についての知識があるほど、てきめん、イチコロだ。
暗殺者集団鵺の主要構成員同士が仮面を被り、偽名を用いるのも、身内からの裏切りや呪殺を防ぐという目的もある。
魚面と猿の心を読んだ知里は、この局面の難しさを思い知った。
猿にとって、拾って育てた魚面を呪うのは容易いことだ。
知里の対呪殺の術式がなければ、すでに死んでいてもおかしくはなかった。
魚面にとっては、それほど不利な局面だった。
しかし彼女は少しも動じなかった。
(魚ちゃんは、あたしたちを信じてくれている。いつ死んでもいいと思いながらも、死んだらあたしたちが取り乱すのが分かっているから、呪殺に耐えている。信頼してくれて嬉しいよ魚ちゃん。あたしも燃えてきたよ)
このような知里の思念は、魚面にも届いていた。
彼女は心が熱くなるのを感じた。
鵺にいたころは決して感じることがなかった、温かな感情だ。
すさまじい死の呪いに晒されながらも、魚面の心は穏やかだった。
「師ヨ。13歳のワタシを拾って生かしてくれてアリガトウ……。どんな形でモ生きてナければ今のワタシはなかっタ……。もう貴方には今のワタシのことは分からない」
「黙ってろ半端者が」
魚面が喋ったのは、猿の注意を逸らすためだった。
その一瞬を、知里とヒナは見過ごさない。
「闇の魔手!」
知里が手を伸ばした先に、黒い影のような手が現れて、魚面の影めがけて高速で進撃する。
「浄化!」
それとほぼ同時に、ヒナの周囲を飛んでいた二十数本のマジックタクトから、浄化魔法の雨が降り注ぐ。
「呪縛解除!」
魚面は、知里が影の中から猿を掴んだタイミングで、自身にかけていた呪縛魔法を解除した。
解除しなければ、影に潜んだ猿が引きずり出せない。
当然、知里はその瞬間を見逃さない。
魚面は、猿が地上に引きずり出されたタイミングで、猿の顔面を蹴り飛ばした。
「!」
不意打ちの蹴り。
衝撃で猿の仮面が外れ、月光に素顔が晒された。
目つきの鋭い、白髭をたくわえた初老の男だった。
顔を袈裟斬りにされたような大きな傷があり、魔導士というよりは歴戦の剣士のような風貌だ。
「ナイス! 魚ちゃん」
「師ヨ。素顔ヲ見たのハ2度目だったカ。老けたナ……」
「OK! ヒナの精密記憶でその顔は覚えた。チェックメイトよ!」
知里は改めて呪縛魔法をかけて、猿の動きを封じた。
ヒナはマジックタクトでレモリーと魚面の回復を同時に行う。
3人の絶妙な連携で、鵺の頭目、猿は捕らえられた。
◇ ◆ ◇
その頃、小夜子は工場で〝ミノタウロス〟の自爆攻撃を、間一髪で防いでいた。
命令が伝達する寸前に虎を締め落とすと、盗賊スライシャーに命じて捕縛させた。
残ったミノタウロス6体も、小夜子の締め技で全員意識を喪失。
盗賊スライシャーによって、関節をがんじがらめに縛り上げ、動けないようにした。
「これで、よし! みんなも無事ね!」
小夜子は敵をひとまとめにすると、仲間たちの安否を確認する。
重傷だったスライシャーもボンゴロも、元通りに傷は癒えていた。
血の汚れや衣服はボロボロだが、みんな元気だった。
「……小夜子お姉ちゃん、びっくりするほどつよいです」
回復役を務めたハーフエルフの少女ネンは、怯えながら小夜子に言った。
「もう汗びっしょりよ。シャワー借りたいけど、まずはこの人たちを隔離しないといけないわね」
「そっすね」
「そっすねじゃないお。スラ、ひとっ走り行くお」
こうして、三正面で〝鵺〟の頭目らを撃破する作戦は、ロンレア側の勝利に終わった。
次回予告
※本編とは全く関係ありません
「BAR異界風の店主でしゅ~。直行しゃま〜。勝利おめでとうございましゅ~」
「お、おう。長かった戦いも、これで決着だ」
「祝勝会の準備はおすみでしょうか~? 是非当店の仕出しをご利用くだしゃいませ~」
「いや、パーティの席で襲われたから、こっちも食材を余らせてしまった。廃棄するのは忍びないから、解毒魔法をかけて、再度調理するつもりだけど」
「もしよろしかったら残り物、当店が引き取りましゅよ~?」
「煮込みにしたり塩漬けにしたりして、BAR異界風で出すのか。意外と腹黒……いや、商売うまいな」
「おかげさまでしゅ~」
「次回の更新は10月28日を予定しています。『異界風、まさかの食中毒で営業停止』」
「縁起でもないこと言わないでくだしゃ~い」




