34話・『SR』『HR』の敵襲と護衛『N』×3
魔方陣から現れたのは飛竜にまたがった悪魔だった。
「飛竜と悪魔系ですぜ!」
護衛の3人組のうち、小男の盗賊スライシャーが絶叫した。
その魔物が尋常でないことは、素人目でも分かった。
体長はおよそ3メートルくらい。広げた翼も含めれば6メートルはあるかも知れない。
山羊のような角に、獅子のような顔。
大きく裂けた口からは鋭い牙がむき出しになっている。
全身が筋肉質で、青白い炎に包まれている。
両腕には人間など簡単に引き裂いてしまうであろう鋭い鉤爪。
パッと見ただけで、俺は心臓を握りしめられたような、生物としての圧倒的な無力感に震え上がった。
「魔王討伐で魔物はいなくなったんじゃなかったのかよォ!」
御者はパニックを起こしたように馬に鞭を入れている。
馬たちは狂ったようにいななき、駆けだした。
俺は完全に思考停止だった。
突然現れた魔物に、命を奪われるかもしれない?
実感できない。
頭の中がグラグラと揺れる。
何をどうしたらいいのか分からない。
ただ、幌の隙間から魔物の姿を覗くのが精いっぱいだった。
「飛竜でさえ生まれて初めて見ましたのに、悪魔系なんて!」
エルマは真っ青な顔でガタガタと震えている。
レモリーはそんな彼女の肩に手を置き、唇をかみしめた。
「こんな時こそ護衛の出番だ! 行くどぉ、お前らァ」
3人の護衛のうち巨漢の戦士ボンゴロが戦斧を構えて吠えたが、中空にいる悪魔をどうすることもできない。
顔色の悪い男ネリーは、属性魔法の詠唱をはじめたようだ。
盗賊風の小男は短弓を構えて矢を番った。
中空にいる悪魔は、護衛3人組の攻撃態勢を一顧だにせず、指先を馬車に向けた。
「……!」
一瞬、何かが弾けたと思ったら、馬車の幌の後ろの部分が骨組みからバラバラになった。
全速力で走る馬車の、ちぎれた幌だけが、進行方向とは逆に流れていく。
それは走馬灯かスローモーションのように目の前からゆっくりと流れ去り、消えた。
「うわぁぁぁ、何だァー? ちくしょおおお!」
「御者! 叫んでないで馬車を飛ばしなさい!」
「う、うるせえぞ、くそガキぃぃぃ!」
御者の不安が馬にも伝わるのか、2頭の足並みは乱れ、いまにも積み荷が崩れ落ちそうだ。
俺は慌てて木箱に覆いかぶさるが、木箱を押さえつけるので精いっぱいだ。
エルマもレモリーも、揺れる馬車にしがみつきながら、頭上の魔物を警戒している。
「レモリー、何なんですか! あの魔物は!」
「いいえ、分かりません。直行さま、お嬢様をお願いします」
「え、ああ。だけどレモリーは……?」
「はい、ここは私にお任せください」
フワっと、レモリーが立ち上がった。
両手には空気の渦のような風の精霊をまとっている。
全速力で走る馬車の上で、長い髪とドレスがたなびいた。
「我、土と風の精霊に願わん。彼の敵らを地上に落とせ」
レモリーが両腕を魔物たちに差し出すと、両腕にまとっていた空気の渦は突風となり、飛竜と悪魔の翼に襲い掛かった。
飛竜の翼の一部がカマイタチに襲われたようにパックリと割れ、血が噴き出した。
風の精霊が刃のような石片を運び、鋭い石礫を放った。
無数の石片は間髪を入れず、魔物たちの翼を切り裂くために襲い掛かる。
「森へ! 護衛の3人と私が敵を引きつけているうちに、森づたいにお逃げください。自治区で落ち合いましょう」
レモリーは街道から外れたところにある森を指さした。
そして自らはスッと馬車から飛び降りると、魔物に向けて駆けだしていた。
今度は両腕に炎を宿しながら、こちらを振り向くこともせずに。
「レモリー!」
「ダメだ、エルマ」
身を乗り出したエルマを、俺は押さえつけた。
荷馬車の揺れがより大きくなる。
俺たちを乗せた馬車は街道を外れ、森をめがけて全速力で駆けていった。
この動きを察した悪魔が、こちらに光弾を放つ。
真っ赤な稲光かビーム兵器のようなエネルギー体は、馬車のすぐわきにあった街路樹を一瞬で消し炭にした。
「……っぶねえ!」
と、思ったのもつかの間だった。
すぐに次なる光弾が、馬車の後輪を撃ち抜いたのだ。
皆、消し炭にされる……と、思いきや、右の後輪だけが炎上していた。
燃える後輪でバランスを崩した馬車は、フラフラと大きく揺れながら森に突っ込んでいく。
「割れる、瓶が割れてしまう!」
俺は積み荷が崩れ落ちないように必死で支えた。
エルマは手近にあった誰かの外套をひっつかむと、それを利用して車輪の消火を始めた。
馬車は大きく揺れ、いまにも倒れそうだ。
しかしありえないバランスで、辛うじて持ちこたえている。
……どうして?
車輪のそばで、つむじ風のようなものと、緑色のホタルのような光が舞っているのに気付いた。
「レモリーが精霊術で、荷台を支えてくれていたんだ……」
馬車は速度をゆるめながら、森の中へ入って行く。
街道を振り返ると、護衛の3人組と魔物たちの戦闘が始まっていた。
鈍い金属音や、怒号、魔法の閃光などが乱れ飛んでいる。
「この揺れでは召喚の術式が描き出せません……レモリーが心配です」
エルマはいまにも泣き出しそうな顔で、戦闘が行われている街道を見つめている。
俺は、肩を震わせて何度も深呼吸した。
何度も、何度も。
「みんなが時間を稼いでくれている間に、森を抜けて自治区に入ってしまおう。そうすれば助けも呼べる」
何といっても勇者自治区だ。きっとチート級の連中が助けてくれるさ。
泣き出したエルマの手を取り、注意を御者台の方へ戻すと、2頭立てだったはずが、馬が1頭しかいなくなっていた。
「おい……御者?」
馬車を走らせたまま、御者はすでに逃げ出していた。
馬は1頭、奪われてしまったのだ。




