292話・ロンレア伯の気遣い
「簡単に言うと、あっしがネンちゃんを攫おうとした際に、通報されたんでさあ」
「お、おう……」
「それで官憲に突き出されて、すったもんだの挙句、助けてくれたのがキャメル姐さんでさあ……」
盗賊スライシャーは事もなげに言ったが、やらかしたのは幼女誘拐未遂だ。
「スラ、お前よく無事に帰って来れたな……」
「そっすね……」
スライシャーは視線をキャメルに向けた。
「たまたま若旦那を知っていた騎士様が、間に入ってロンレア邸に知らせてくれたのヨ」
「ああ、あの親切な騎士!」
俺とミウラサキは顔を見合わせて頷いた。
「でも、確か俺は名乗ってなかったはずだが……」
「たとえ名乗らなくったって〝ロンレアの若旦那〟は有名人ヨ。ドン・パッティの御曹司と異界の乗り物を乗り回し、幼な妻と愛人を抱えてブイブイ言わせてる異界人の遊び人」
「大評判じゃありませんか、あなた!」
つい先ほどまで闘犬を主宰していたエルマがちゃっかり俺の隣に腰を下ろしている。
「……で、キャメル姐さんがあっしの弁護に立ってくれて、ネンちゃんとそのお父さんも説得してくれて、ここまでついてきてくれやした」
「そういうことか。世話になったなキャメル」
「でも、まさか若旦那がここまで危機的な状況だとは思いもしなかったワ」
キャメルは痛々しそうに俺の体を見ていた。
「……それはそうとキャメル。さらに悪い知らせというのは……」
「ここでは差し障りがあるワね……」
キャメルが声をひそめる。
「はい。風の精霊術で、周囲に音が漏れないように周辺の音を遮断します」
レモリーの精霊術により、隠密会話を行う。
誰が敵だか分からない状況の中、人払いを徹底しておく必要があった。
コボルトの拳闘大会も終了させ、農業ギルドおよび残っていた出向組には解散してもらった。
聖龍教会の2人には労をねぎらって、帰ってもらった。
「司祭どの、お世話になりました」
「助かってよかったですな。ではこれにて拙僧は失礼します」
「……以下同文。失礼します」
お付きの聖騎士は、最後まで以下同文を通して去っていった。
「そうだ。スラ、ボンゴロ、念のため周辺の監視を頼む」
「わかったお」
「あっしに任せて下せえ!」
いま、納屋にいるのは俺、エルマ、レモリー。
小夜子とミウラサキ。
そしてキャメルと意識の戻らない魚面の8人。
「さて……キャメル。最悪の知らせとやらを聞こう」
「……単刀直入に言うワ。クロノ王国が『ロンレア領を国王ガルガの直轄地にする』と言い出してるワ」
「国王の直轄地……」
悪い知らせというものは、重なることが多い。
だがこれは全く予想外だった。
俺とエルマは顔を見合わせ、絶句した。
「要するに、〝ロンレア領をよこせ〟と」
「これを読んで頂戴」
彼女は1枚の書状を取り出すと、俺たちの前に広げた。
…………。
それは、国王ガルガの名による、ロンレア伯に対しての「領地返還」の知らせだった。
「……」
「何年か前に『ガルガの親政』というお触れが出たのはお父様から聞いておりましたが、形式的なものだと伺いました。何より当家は国王派ではなく、法王の庇護を受けておりましたから……」
「はい。実に深刻な事態です」
その庇護を受けているはずの法王庁に、俺たちは決闘裁判でケンカを売ったわけだから、もはや法王庁は俺たちを助ける義理はない。
その辺りを見越したのか……。
「商会に統治を丸投げしていることを問題視したのか、異界人の俺が領地経営に入っているのを危険視したのか、心当たりが多すぎる……」
「わがドン・パッティ商会が入ったのがマズかったのかな……」
まさかとは思うが、スキル結晶の工場がバレた……?
しかし、この手紙に詳しい理由は書かれていない。
書いてあるのは、『ガルガ国王の親政』による「領地返還の知らせ」と、領主の出頭期限だ。
「幸い、手紙に期限は2週間と書かれているけど……」
「ちょっと待って、手紙を出した日付を見てよ!」
小夜子が青ざめた顔で、日付の部分を指さした。
「2日後……?」
「……そう。アタシがこの手紙のことを知ったのが、実は昨日だったの」
キャメルの話によれば、ただでさえふさぎ込みがちなロンレア夫妻が、ここ何日か食事にも手をつけないので、体の具合でも悪いかと伺ったら、この手紙を出してきたと。
「お父様はどうして、あたくしに何も知らせず……」
絶句したのはエルマだ。
「この手の手紙って、無反応がいちばんマズいよね」
「アタシもそう助言したわヨ。そしたら、『何かの間違いかもしれないから、クロノ王国への出頭は保留する』。それで、『法王庁に嘆願書を送った』と……」
よりによって、法王庁に泣きつくのは悪手じゃないのか……?
「伯爵さまは、こうも言ったワ。『領地を返還すれば、エルマは帰ってくるかもしれない』『でも、あの子のことを思うと、うかつに返事はできない』と……」
キャメルは何ともいえない表情で言った。
「本来なら旧王都から新王都までは1週間かかる距離。でも今乗ってきた〝自動車〟という乗り物を使えば、行けるかしら?」
しかし、問題がある。
俺たちは全員、昨日から一睡もしていないのだ。
ギリギリ間に合うにしても、俺は、変わり果てたこの姿。
こんな魔物のような姿では国王の御前に出頭できない。
まさに万事休すだった。




