288話・宴のあとに
「思いがけない災難をひっくり返した英雄ミウラサキさま、小夜子さまのご活躍を讃えまして!」
「乾杯!」
夕闇が迫るころ、役場の隣の集会所のような建物では、盛大な宴会が繰り広げられていた。
小夜子とミウラサキの驚異的な身体能力と、勇者自治区の建築術師たちの協力もあって、堤防の決壊はその日のうちに修復された。
水害による負傷者はいなかった。
それでも堤防周辺の家屋では蓄えていた食べ物が流されたり、家や畑が水浸しになるなどの被害が出た。
浸水した地域には、いまも災害ゴミが残っている。
しかし、日が暮れてしまった今、清掃作業を続けるわけにはいかない。
実際のところ、皆作業で疲れたし、腹も減った。
難を逃れたとはいえ、近隣住民を不安にさせてしまった。
そこで俺たちは役場と、隣接する広い建物を解放することにした。
農業・畜産ギルドからも備蓄の農産物を買い上げて住民に提供したのだ。
「直行どの、ロンレアの財政事情も考慮してください!」
助役のギッドに釘を刺されたが、今後のためにもここは大盤振る舞いだ。
元はといえば、工場誘致は俺の責任でもある。
俺としては災害時の炊き出しをするつもりだったけれど、なし崩し的に大宴会になってしまった。
「こちらの世界の人たちは、宴会好きなのか?」
「いいえ。ですが、やはり魔王討伐後で世情が浮かれているのでしょう」
レモリーはクールに振る舞っているが、何となく楽しそうだ。
今回の功労者ミウラサキと小夜子の周りには、人だかりができていた。
小夜子は相変わらずのビキニ鎧姿だった。
「まだ、どこかに敵が潜んでいるかも知れないからね。恥ずかしいけど」
彼女はそう言うが、農業ギルドの若い衆を前に、ビキニ鎧を見せつけるようにしているように見えなくもない。
ミウラサキの方は、小奇麗な格好に着がえていた。
エルマはその2人の間に座り、ハチミツ入りのお茶を飲んでいる。
俺はといえば、酒器を片手に関係者に挨拶回りで大忙しだ。
「今回の件は、不徳の致すところです」
……と頭を下げて回る。
その時だ。
宴を照らすかがり火の向こうに、人影が見えた。
魚面の帰還だ。
彼女はその場に立ち尽くし、暗がりの中でじっとこちらを見ている。
俺は「トイレに行く」と告げて、それとなく彼女に近づいていった。
彼女は人目につかないところまで俺を案内する。
「魚面、どうしたんだ。怪我をしてるのか……」
農業ギルド裏手の納屋で、彼女と落ち合った。
魚面は負傷していて、ところどころ落成式用のドレスが破れていた。
腕や足は紫色に変色していた。
ただ事ではないと、すぐに分かった。
しかし魔法道具の表皮仮面で変装している顔は、不自然なほど無傷で髪の乱れもなかった。
「とにかく治療しよう。誰か」
「ソの前に聞いてクレ……」
回復魔法が使える者を呼ぼうとした俺を、魚面は止めた。
「堤を切ったのは……〝鵺〟の頭目。猿……」
言い終わらぬうちから、魚面の身体が風船のように膨らんでいく。
表皮仮面が剥がれ、のっぺらぼうの顔が明らかになった。
傷だらけの額には不吉な呪文が刻まれていた。
直感的に、人体を破裂させる術式だと感じた。
「小夜子さん! 助けて魚面が!」
破裂しそうなほど膨らんでいく魚面を押さえつけながら、俺は絶叫する。
すでに魚面の身体は、彼女の面影がないほどに膨張している。
……このままでは破裂する。
何か……。
……打てる手段はないか!
俺は魚面を抱きかかえながら、心に念じる。
「回避+3! スキル『逆流』発現しろ! 受け流せ!」
魔法が使えない俺には、これしか打つ手はなかった。
しかし……。
「うぶぽぇ……!」
俺は、圧倒的な不快感に襲われた。
膨張する魚面にかけられた術が、逆流して俺に流れ込んでくる。
胃腸が裏返るような、強烈な悪心。
口から内臓をぶちまけそうなほどの、すさまじい吐き気が俺を襲った。
…………。
何で、こうなった。
薄れゆく意識の中、俺は唐突に訪れた死の感覚に苛まれていた。
…………。
…………。
何の伏線もなく、突然訪れた〝死〟。
脳裏に浮かんだのは、元の世界。
駅のプラットフォームに立つ、傷だらけの女。
彼女は物悲し気に微笑んでいた……。




